ささやくキャッチャーといえば・・・
広島 達川 光男 さんです!
広島商業高校1年生の時、練習をしていた際、キャッチャーを守っていた子がタコの食中毒で守れなくなり、代わりに達川さんが入った出来事がキッカケで、正捕手を獲得したラッキーボーイ。
元々の強肩を活かしたコンバートでした。
1973年には、春の選抜高校野球で準優勝。江川 卓率いる作新学院高校を、小技と待ちで下しました。
その後、東洋大学へ進学し、後に西武へ入団する松沼雅之選手とバッテリーを組みます。
1976年 春季リーグで東洋大学初の東都大学リーグ1部優勝へ導きます。翌年、ドラフト4位で広島カープに入団。
入団直後から、投手陣に信頼を得て貰うために意欲的に活動しました。
・キャンプ中、江夏豊投手の部屋を掃除・マッサージ
・川口和久投手の投球をノーサインで受け止める
・当時解説者だった野村克也さんから、「達川がうるさくて困る。」と言われるほど話を聞きにいく
・休みの日に、巨人のキャンプを視察
などなど多くの信頼を得るための活動をした結果、入団6年目に広島の正捕手の座を得て、116試合に出場します。
以後、1992年まで平均100試合以上、広島の砦を守り続けた達川さん。
プレースタイルで有名だったのが、「ささやき戦術」と「デットボール」
珍プレー好プレーにもよく取り上げられていました。
コンタクトをグランドに落とし、探す姿も印象的ですw
「ヤクルト池山選手への内角攻めの告知」や「ヤクルト長嶋一茂への駆け引き」など多くのエピソードが当時のプロ野球を生々しく伝えられる生き証人だと思います。
1992年に引退。
その後、ダイエーのコーチの後に、広島の監督→阪神コーチ。現在は、中日ドラゴンズのコーチとして、谷繁監督を支えています。
コーチ姿もいいのですが、そろそろ解説も聞きたいですね。ありがとうございます!