先週返信があり、報告できていなかった方がこちら。
阪神 吉田 義男 さんです!
高校卒業後、立命館大学に進学するものの中退。 1953年に阪神タイガースに入団します。
1年目から以後16年間、ショートとして不動のレギュラーとして活躍。 華麗な守備は、「蝶が舞い蜂が刺す」など比喩され、その姿から「牛若丸」と呼ばれました。
また、バッティングでも1964年に3割を越え、179打席連続無三振記録を樹立し、リーグ優勝に貢献します。
1969年に、コーチ兼任選手になります。その1年は後継者の藤田 平選手の台頭を見届け、引退。
その後は、1975年~1977年/1985年~1987年/1997年~1998年の3期にわたり監督を勤めました。
やはり、印象に強いのは1985年の日本一。
しかし、その翌々年の1987年には最下位になり退任するなど、2期目は育成に力を入れたかったものの、上手く形にできなかったようです。
3期目は、1997年、98年は阪神の暗黙時代。
1998年4月1日には、寅年のエイプリルフールにちなんで、「阪神が優勝した。」という仮定の上で優勝記者会見が開かれました。失礼な話ですよね笑
その会見の中で、、まず壇上に置かれたコップの中身が水ではなく酒であるというギャグをかまします笑
そしてコメントでは、「身に余る祝辞を賜りまして、穴があったら入りたい」と名言(迷言?)を残します。
その年、阪神は最下位でした笑
丁寧に返信のお手紙も頂き、ありがとうございます!!