溜め込んでいたttm返信報告。今回一挙に公開です。
次は、様々な野球に関わる仕事を経験されているこの方
阪神 → ダイエー 渡真利 克則 さんです!
1980年 沖縄県にある興南高校から、ドラフト2位でタイガースに入団。
入団当初は1軍での活躍はなかったものの、タイガースが日本一を成し遂げる1985年から出場試合数が38試合と多くなりました。
阪神が優勝を決めた、神宮球場での試合で、終盤ランディ・バースと守備交代をし、ファーストへ。
胴上げ投手の中西清起投手から、ウィニングボールを受けた選手としても有名ですよね。
終盤の守備固めや、代打で活躍しました。バースや掛布選手が去った、暗黙時代の阪神の試合に出ていた選手の印象が強いです。
背番号は、当初は「62」 1988年から「29」に変更します。
その後、1990年のオフに4対5の大型トレードで池田投手、大野、岩切野手と共にダイエーへ移籍し、19試出場した後に、1992年引退。
ここから、渡真利さんは、セ・リーグの審判になります。1990年代前半は、柳田・秋村・橘高審判など元プロ審判が多く入団しています。
2003年に体調不良で倒れることが多くなり、2006年に東京ドーム巨人戦主審で、対戦相手だった阪神矢野捕手へ覆いかぶさるように倒れ、途中交代。それがきっかけで審判から退きました。
その後、転職。 現在は阪神園芸で勤務されています。
阪神園芸とは、甲子園球場、鳴尾浜球場のグランド及び球場の周りの蔦の整備を行うスポーツ施設や住宅の自然物を維持・管理する会社です。
選手→審判→グラウンドキーパーと、このような進路を歩んでいるプロ野球選手は珍しいですよね。
タカラプロ野球カード1987年、1989年にサインをいただきました。 ありがとうございます!