太平洋クラブ(クラウン)→阪神 真弓 明信さん | プロ野球カードとサイン

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80年代〜90年代のOB選手を中心です。


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次は、ミッキーマウスマーチが応援歌のこの方



太平洋クラブ(クラウンライター) → 阪神 真弓 明信 さんです! 


阪神時代の応援歌が、「真弓♪真弓♪ホームラン♪」のミッキーマウスマーチで、ファンがライトスタンドを1小節目と2小節目で左右に動いてましたね。


1972年 電電九州(NTT九州)から、ドラフト2位で西鉄ライオンズに入団します。


その後、すぐに西鉄は身売りし、翌年太平洋クラブへ。アメリカへ野球留学をするものの、活躍はあまりせず、1975年のキャンプで整理対象に。


フロントが江藤慎一監督にそのことを相談したところ、「磨けば光るダイヤモンドをどぶに捨てるのか」と一喝。その後、残留が決まりました。


その期待に応え、レギュラーへ定着。1977年には福本豊選手と同タイプのバットを使い、100試合以上の試合に出場。1978年にはオールスターに出場し、ベストナイン(遊撃手)も獲得しました。



そして、そのオフ。阪神へのトレードが決まります。本人は、身売りが決定し、所沢への引越しの手配をしていたそうです。


移籍一年目から活躍し、以後10年近く年間100試合以上、1980年には1番打者ながら29本のホームランを放ち、1983年には首位打者を獲得します。


晩年は、代打の切り札として活躍。1995年に引退します。


近鉄バファローズのコーチを経て、阪神の監督を2009年~2011年まで務められました。


ミッキーマウスマーチの応援歌エピソードとして、晩年の代打の時は、1度しかない打席でファンがで楽しんでほしいという意図から、真弓はコールされてから打席に入るまでの時間を遅くし、初球にも手を出さなかったそうです。


真弓さん、ありがとうございました!

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