2023年11月に山口県長門市にある「大寧寺」と「長門豊川稲荷」に行きました。
・大寧寺(たいねいじ)
応永17年当時の守護代、鷲頭弘忠創建と伝わる曹洞宗屈指の名刹です。
かつては、西の高野といわれるほどの隆盛を誇りました。
また、室町時代に西国の覇者として、山口に栄華を極めた大内氏の終焉の地としても知られています。
境内は広く、江戸時代に再建された本堂、かつての山門の礎石、大内義隆公が顔をうつして最期を悟ったと伝わる姿見の池、かぶと掛けの岩などがあります。
本堂近くの山道を登ると大内義隆公と嫡男の義尊、家臣の墓が並び、苔むした宝篋印塔が無言のうちに悲しい歴史を語りかけるような気配を漂わせています。
春は桜、秋は紅葉の名所としても知られています。
例年の見ごろは11月中旬~12月上旬。
11月上旬から色付き始めるみたいです。
撮影日は上旬だったので、まだ人も少なかったです。
県道34号線を南下していくと看板が出ているので、入っていきます。
動画を見ていただければわかると思います。
こんな道に続きます。
朝の8時半くらいです。
さすがに誰もいなかったです。
駐車場はかなり広いですが、真ん中のスペースはどう停めていいのかww
トイレ、自販機もあります。
ありがたいです。
それでは散策していきます。
さっそく紅葉してますね。
姿見の池。
かぶと掛けの岩。
赤い橋があります。
車道からも入れますが、車を停めるところはないです。
盤石橋。
全長14.2m、幅2.4m。
自然石を巧みに組み合わせた橋の工法が見事です。
かつてこの橋は、岩国の錦帯橋、山口にあった虹橋と並ぶ「防長三奇橋」のひとつに数えられました。
橋の上から見る景色も良いです。
ホタルも見えるみたいですね。
それでは本堂に向かいます。
この道が本堂へと通じる道です。
池があり、鯉がいます。
朝の空気と絶妙な光で雰囲気は抜群です。
山門跡。
桁行5間、梁行2間5尺、桧皮茸入母屋重層の荘厳な山門であったが、明治以後、藩の庇護も疎くなり維持困難を極めて明治末期に倒壊し今日に至っている。
「当寺は山門復興を発願し、総額6億円の見積もりで、ひろく皆様の浄信におすがりしております」とのことです。
いつか復興できたらいいですね。
こちらが本殿。
山口県指定有形文化財です。
梵鐘は長門市指定の文化財です。
御朱印は本堂の向かって右側でいただきます。
左手には虎渓殿(歴史資料館)があります。
入場は無料です。
本堂の手前にも水がながれています。
こちらにもたくさんの鯉がいます。
毛利家重臣墓群。
このように藩の重臣が一か所に眠る墓地は全国的にも珍しいそうです。
上に行けば色ん墓所があるみたいです。
ここからの紅葉がすごくきれいでした。
すぐとなりに鳥居があります。
長門豊川稲荷です。
大寧寺境内にまつられているこの稲荷は、昭和36年に愛知県妙巖寺の豊川稲荷のご分霊を勧請して創建されました。
御神体は「叱枳尼眞天(だきにしんてん)」といって、仏法の興隆護持、国土の災禍を除き、民衆の福徳成就させる大誓願を
もつ御神体で、白いキツネに乗って空を走り仏法を守るといわれています。
国の神仏分離政策による妙巖寺豊川稲荷つぶしが起こり、簣運和尚は妙巖寺の住職等とともに政府に救済を求めました。
新政府の要人の中には三条卿や多くの長州人がおり、豊川稲荷はこの危機を救われました。
このような縁があり、長門豊川稲荷を大寧寺に迎えることができたのです。
満願八狐。
中心に立てば、すごいご利益がありそうです。
本殿?拝殿でしょうか。
お人形堂。
人形や玩具をねんごろにっ供養し、仏様のもとえ、お返しし感謝の心と共にお別れすることで、子供たちはもとより、大人の感性も豊かになればとの願いで建立されたそうです。
渡れない橋があります。
帰りは川沿いの道を通って戻ります。
このあたりは紅葉が進んでます。
グラデーションがいい感じです。
こちらの道はお地蔵様がたくさん並んでいます。
釈迦三尊と十六羅漢。
苔がかなり味を出しています。
この道を抜けると、先ほどの盤石橋に戻ってきます。
こちらの花の木(名前がわからないw)の近くで蜂がとんでました。
結構近づいてきます。
花見てたらブーンって来てビックリしました。
不用意に近づかない方がよいです。
駐車場の付近にあります。
これから11月下旬に向けて見頃になると思うので、暖かい服装できてください。
朝の方がゆっくり見れます。
帰るころにはいつの間にか人が来てました。
長門湯本温泉を利用していくのもありですよ!
利用したホテルはいつか紹介します。