普段は別居婚のオットがやってきて週末を一緒に過ごしていたのだと思う。隔週ペースの機会だから、臨月間際で1人じゃない貴重な家族の時間。

その頃は穏やかに、赤子の誕生を待ちわびて楽しく過ごす時間だったはず。純粋に。

お鍋を用意してもらって、大きなお腹なのにたらふく食べ過ぎて苦しいくらいに、でも笑える。そういう時間。

ビデオカメラを新調して、試し撮りして遊ぶような時間。新生活の準備だったり、育休(オットの)の手配について語ったり。

そういう普段の時間の中で、何とはなしに、オットの実家がある地域での子育てについての質問が飛び出した!

「○○地域で暮らすのはどうだい?」

私は、転勤族でいろいろな地域に住んだことがあったし、固定の故郷があるわけではない、絶対都会から離れたくないっていうこだわりもない。その時点では、やりたいことのために学校に通ってて、当分の暮らしとして移動予定はないけども、将来どこに落ち着くのかというのが固まっていたわけではなかった。

拒むものもなく、「それもいいねー」と、将来的な選択肢としてあり得るという程度の意味で、肯定的な返事をした。

しかし!!

つづく

10年前も、今年のように雪が多い年でした。

臨月に近づき大きくなっているお腹を大事にしながら、雪道をゆっくり歩いて大学院に通っていました。

初産の出産予定日は、期末試験期間中。どうなるのか予想もつかない状況で、ただ健診はいつも順調だったし、いつ生まれてもいいように、万全に整える日々を過ごしていました。

別居婚で1人暮らし。実家の母に産前産後の生活を助けてもらうことになっていたとはいえ、それもまだ先。

進級に必要な出席条件を一つ一つ無事にクリアしていきながら、無事に期末試験を終えることと、出産に臨めるよう、心地よい毎日だったと思います。

義理の家の人に「腹の子は元気か?」と電話で言われても気にもしないくらいに余裕があった気がします。

何とはなしに、母に伝えていたら、「腹の子」という言い方に、引っ掛かるものがあったようですが、そんなことよりも期末試験と出産をどう乗り越えるか、ということだけが、私の関心事でした。

つづく
「離婚」を法律行為の面で説明すると、離婚届の提出に伴う夫婦関係解消という身分行為であり、夫婦の一方を筆頭者とする戸籍から配偶者が除籍されるとともに、以後夫婦ではなくなることに伴い、夫婦中の貞操義務がなくなったり、未成年の子に対する親権は共同親権から単独親権となるし、財産分与請求権の時効の起算点となったり、諸々。

っていう法律的解説はともかく、生活実態からの離婚を分析していくと、私の場合、円満別居婚からスタートして、夫の育休取得によって、息子が生後1ヶ月半から4ヶ月になろうかという頃の2ヶ月半だけ同居し、以後別居を続け、同居再開後2週間で離婚届提出、翌1ヶ月後同居解消という大きな流れの中で、離婚届提出という瞬間的なある時点に限らないプロセスとしての離婚経験がたしかにある。

同居解消後の体験だって、離婚体験に包含されうるエピソードがある。

離婚から間もなく7年か。
ちょうど7年前の今頃、春からの同居再開に向けて準備していたのに、おもむろに「同居に不安がある」と言い出し、それを引き金に離婚届提出に向かって加速していった。

それが引き金のようでいて、その発言が出るまでにはそれ以前の段階でいろいろとあったのであった。

それは、10年前に起きたのだった。

10年かあ。。。

10年も経ったんだなあ。

今でも鮮明に記憶している。息子の誕生の喜びと同時並行で起こったあれこれ。

綴っていきたい。