いよいよ臨月のさなか、出産予定日が指折りに近づいているものの、順調な経過で、生まれる気配なく過ごしていました。
妊娠37週からの心音を確認する検査は時間がかかり、期末試験を控える身としては、焦らなくもないものの、愛しいわが子の元気な様子を知る時間は尊いものでした。
一個一個無理なくこなしつつ、母ともほどほどに仲良く?愚痴りながら???平穏でした。
謎の菓子折りは謎のまま、話題は、そもそもなぜ稚拙にも母子を引き離すような提案をしつこくしてきたのか、という検証作業でした。
なぜ?と審問する機会もないので、細切れに聞こえてきた情報を総合して推測するしかありませんでした。
その頃の予定としては、初産で無事母子ともに元気で過ごせるか確証もなかったものの、予定としては次のとおりでした。
全てがうまくいく前提で、産褥期は母にサポートしてもらいながら、4月には進級して大学院に通うことにしていました。ちょうど春休みであることをよしとして、休学しない予定でした。
専業主婦の母がベッタリサポートしてくれるものの、実家の父もまた飛行機で行く遠距離でしたが、1人暮らし状態で会社勤めを続けるということで、産前産後を応援してくれたわけです。
ひょっとしたら、そのまま母のサポートを受けつつ、最年少で保育園に通う方法もありえたかもしれないのですが、初めての子どもであまりに小さく保育園に通うことにも慎重になっていたし、たまたまオットの仕事柄男性の育児休業という選択肢があり得たので、パパの育休取得を検討していました。
10年前の話なので、今でもまだ話題になるくらいに普及しているとは言い切れない制度ですが、何せ仕事柄(子育て支援系等諸々の条件的にOK)実現可能性がある上、何せオット本人も意欲的だったのです。
パパの育休取得を試みようというのが私たち夫婦の挑戦でした。
産後の何かで臨機応変な対応の必要は心構えとしてありましたが、産前の予定としては、産後、私は大学院に通い、オットが育児を主に担う時期を経て、しかるべきときに保育園に通い始め、大学院生活と子育ての両立をこなし、家族で夢に向けて乗り越えていこう。
ぼんやりと描いていたのはそういう筋書きでした。
つづく
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