ミルク寄りながらも、順調に育っていく息子

 

ついに生後50日

 

祖母託児も無事に、新学期の生活もスタートしていました

 

いよいよパパの育休の始まりです

 

仕事の片をつけて、やってきておばあちゃんとバトンタッチ。育児のどんなところに気を使うか、みたいな引き継ぎもして、母は帰っていきました。

産前産後の2ヶ月すっかりお世話になりました。

 

そうやってやってきたオット

 

ほぼ始めての同居生活

 

付き合いは長く、勝手知ったる仲だと信じていました

 

育休期間は2ヶ月ちょっと

 

大切に過ごすのだと気合いは十分です

 

育休期間が終われば、また仕事のため別居生活になります

 

同居して、遠距離通学を試みるという方法もその頃は念頭にありました

 

まずは、小さい息子ファーストで、パパとママと赤ちゃんの暮らしの始まりです

 

解決していない問題が残っていることは不穏であるものの、あまり気にせず楽観的にスタートしました

3年後の離婚を招くとは想像すらしていないかのように、生まれて1ヶ月経っても初孫に、会うことなく4月も半ばを過ぎ、新学期になっていました。

 

こちらの都合におかまいなく、ついでのノリで会いに来ようとして失敗したまま、再調整もせずに帰っていきました。このやりとりにも、直接の連絡はなく不穏な状態

 

会う目処も経たないまま、私は、いよいよ進級後の新学期の生活が始まりました

 

授業数を工夫して、1週間に4日間だけ登校すればよいように組みました。週休3日状態。授業のある日も、1コマか2コマという日も多く、半日だけの登校でもよい具合。

もちろん予習復習レポートの用意があるものの、在宅で対応が可能でした。

 

日中は、母に託児を頼みつつ、数時間で戻ってくる日々です。

 

解決しないものにいつまでも引きずられている場合ではない。

 

私は前に進んで叶えたい夢があるのだ!

 

子の成長は順調そのものでした。

 

つづく

 

 

 

 

今日は、3.11ということで、10年前の振り返りは少しおやすみします。

 

離婚に至る契機は10年前に遡るものの、離婚したのはその3年後。

 

離婚に至るまでもまだまだいろいろなことがあったことが語れるし、離婚後のネタも尽きないものの、いわゆる離婚届を出そうと展開したのは、震災が引き金でした

 

被災地からは数百キロと離れていたものの、多少の揺れを感じました

 

その時間には、あまり大事には感じなかったものの、電車が一晩止まり、会いに来てくれる予定だった母が車内泊になって来れなくなったこと、夜の託児対応のためにファミサポさんを緊急手配するのに奔走したこと、電話もつながらなくて大変で、と日常の中でのマイナートラブル程度に受け止めていたら、日に日に東日本の深刻な事態を報道で知ることになる。

 

人生は、一瞬で終わることがある。守ってきたものが取り返しがつかないくらいに破壊されることがある。その現実を目の当たりにすると、後悔をしないように生きなければならないと強く感じました。

 

不謹慎かもしれません。

 

日本全体が泣いている頃、私は、重大な決意をして、後悔のない人生を生き抜く覚悟を固めました。

 

それが離婚ということ

 

その話のつづきはまた今度

 

明日は10年前に戻ります