まだオットが育休中のタイミングで、ウチと全く関係ないゴタゴタが起きて疲弊している状況を踏まえ、癒しになるし、と孫に会いにおいでよ、と提案したことは確かにある。
それまでのゴタゴタを払拭しての、せめてもの提案である。
こういうのを直感的に理解の上、受け取れる人は人生のチャンスも逃さず成功するのだろう
思慮深く、とは真逆の思考回路で、傷ついているという自己愛一色で、逃げるように去っていって、孫に会いに来なかった
それは最後のチャンスかもしれなかったのに
それをみすみす手放しておいて、都合よいタイミングでぬけぬけと会いたいといってくる。それが、こっちにとっては、状況が変わって一番多忙というタイミングになってしまうのは、わざとなんじゃないか?ってくらい間が悪い
つくづく相性が悪いのだろう
いろいろ落ち着いていたのに、また疲弊する
会いたいという要望を受けて断り入れるというのも負担である
育休が終わって、オットとは別居暮らしになっていたり、期末試験を控えている。多方面を調整するにも負担である。
何せ何百キロという距離でそれぞれ暮らしているわけだし。
そんなやりとりとは別に、オットのきょうだいがたまたま近くに立ち寄る機会があって、甥っ子に会いたいという話もあった。
親ときょうだいは別だし、日程もわかっていたので調整は意欲的だったけども、結局都合が合致せず会わないままとなった。
そんな感じで空回りしつつ、何とかかんとか期末試験は乗り越えた。
つづく