10年前の初夏

 

2ヶ月半のオットの育休が終わった

 

その後3人で暮らす予定は目処が立っていなかった

 

出産前は、3人暮らしを試してみて、うまくいき次第、学校と子育ての生活をどのように実現するか、柔軟に考える余地があった。

 

同居を前提に、県外通学を奮闘してもよいと考えていた。現実には、とても大変なことになってしまうけども、選択肢としては用意していた。

 

しかし、蓋を明けてみれば、波乱に満ちた同居生活。

 

終わりを意識したから、なるべく平穏を取り戻そうと努力して保ったともいえる。

 

そうでなければ、終わりを作ろうと突っ走っていったかもしれない。

 

百日祝をめでたく祝い、息子が順調に育っていることが救いになる。

 

同居再開の目処は全くなかったけども、とりあえず、笑顔で育休の終わりを迎えた。

 

オットは、仕事に復帰すべく独り暮らしに、戻っていく。

 

家族と離れることは、想像以上に辛そうだけども、「だから写真はいらない」というコメントにはむしろ違和感を覚える。

 

どうしていくつもりなんだろうね。

 

そういう答えも全く示されないまま、見送ると、再びサポートにやってきた母との3世代暮らしの中、当面は期末試験対策に向かうことになる。

 

会社法や民事訴訟法。苦手な科目が基本部分の理解に不安がある。レポート等はまさに、最低レベルでやりこなしていたにすぎない。

 

一方で、ニコニコ表情豊かに、また、寝返りもできるようになって微笑ましく成長していく息子との時間が充実していく。

 

ママ友との夕方の公園散歩も日課になっていった。

 

概ね平穏であった。

 

つづく

離婚届を出しても、出したよ~という感じでしばらくは変わらず暮らしていた

 

司法試験直前期と、転園した幼稚園での生活も落ち着かなかったし、ルームシェアのごとくであった

 

狭いマンションではあったが各々の部屋を確立して家庭内別居である

 

会話はないが喧嘩もない

 

そもそも会わなかった

 

仕事のせいなのか、それとも荒れていたのか、夜帰る時間が本当に遅かった

 

私も、市内の実家に宿泊するなどしていたし

 

息子としては、人生においてわずかばかりの父との同居生活

 

つい、この季節は、気持ちが7年前の離婚時に向いてしまったけど、この離婚そのものは、いろいろこびりついていたものを剥がして身軽になっていくようなものだったけども、こびりつき化石化するあれこれが積もっていった10年前の経緯に話を戻そうと思う。

 

キラキラした離婚後人生があるとは知らず、ジェットコースターのような激動の感情が渦巻く事件が勃発し続けていた

 

飽きずにつづっていこうと思う

 

 

 

離婚届書いといて~と渡しておいたら、数日後に本当に書いてくれたので、二週連続で模試を受けている次の中日に、自分が記入するところを補充し、署名押印、また、ツテがあって証人欄ももう1人分も埋めることができた。

 

キラキラとした思いで、しかし、5時を過ぎたので夜間窓口に提出に行く。一瞬で届け出完了。

 

婚姻届けも夜間だったな。

 

そのときの方が訂正が多くて、美しいもんじゃない。

 

それぐらい、婚姻制度自体に違和感だらけだったけど、当時まだ嫡出子差別規定があったし、無職の浪人生で先の見えない不安定な状況では、さめてものお守りの思いで、婚姻届けを出したのだった。そうはいっても、別居婚だし(同居義務違反)、夫婦財産は極力別だし、夫婦別姓が可能な限り通称使用で貫くし、従来の婚姻制度に対する闘いを挑むものであった。

 

結果、玉砕した、ともいえる。

 

勝手に嫁扱いされるし、理不尽な親からの干渉。私たちは、婚姻届け提出前から共に生きていたのに、たった1枚の紙切れによって、いろんな影響が起きた。

 

結婚とは恐ろしい。

 

もう二度と関わりたくない「結婚」

 

私は晴れ晴れとした思いで離婚するのだった。

 

つづく