R-Shitei Oneman Tour2018

ANNIHILATION』が91日、福岡市民会館を持って完結しました。


NEW ALBUM『死海文書』を提げてのツアー21本という事で今年の4月下旬辺りから製作に入って何とも急ピッチな制作となった訳ですが、本当に大変でした。


毎日追われて休まる事のない日々の苦しみの中で生み出されていった曲達、それは楽曲の歌詞なんかにも所々現れていると思います。


レコーディングは始まっているのに『曲が足りない』『歌詞が追いつかない』しかし投げやりにはなりたくないし妥協は絶対に出来ないという葛藤と戦いながら作詞と作曲に明け暮れる毎日。正直もうこんな制作スケジュールはやってらんない、嫌だとまで思いました。目に見える身体への影響が出てくるまで追い詰められてました。


体力的にも精神的にもボロボロ。

しかし限られた時間の中でギリギリまでやり遂げてこのアルバムが誕生しました。自信作です。


完全に出来上がったのはツアーが始まる1週間前くらいかな?


そうやって新曲達に馴染める時間もなく初日の品川ステラボールを皮切りに始まったツアーでした。

アルバムツアーという事で21本と久しぶりに少し長めのツアーでしたね。


ライブの本数を増すごとに新曲達も成長してみんなもヒートアップしてくのをひしひしと感じたかな。

初日の品川じゃ当たり前の事かもしれませんが、みんなは新曲達の様子を伺うかのように聴き入ってたのが印象的でした。


そこからツアーを通して新曲達を作り上げてく感がとても楽しかった。というか、やっと溜め込んでた物を吐き出せた感じ。汚いボロ雑巾を絞るかのように。


どの地方も今でも鮮明に思い出せます。それほど満足度の高いツアーだったなと。


そして本題のツアーファイナル、福岡市民会館。


数年前まで博多で活動してた雑草バンドがあの福岡市民会館でワンマン出来る時が来たんだなって。

当時は夢にも思ってなかったな、だってめちゃめちゃ売れてる人しか福岡市民会館でやってるイメージしかなかったですから。


MCでも言ったけど、来れてない人の為に書き残しておきます。


上京前や上京したての頃はイベントライブに出演しても自分達だけ楽屋のスペースがなかったり、九州バンドで無名なのになぜかトリを任せられ残ってるお客さんは5.6人だけとか、終いには出演者が書いてる看板の中に自分等の名前が無くて対バン相手にあのバンド出るの?的な顔されたりと散々雑な扱いを受けて来ました。仕方がないっちゃ仕方ないと思いますが、本当に悔しい思いをして来ました。が、そんな時に励みになったのが地元九州のファンや仲間の応援だったり期待の声だったりで。本当に助けられて来たんですよ。当時のファンが今どれくらいいるかは知りませんが、それはそれ。今現在、地元の人達の声に背中を押されてるのが事実。


その恩返しというか、期待に応えたのが今回の福岡市民会館だったんじゃないかなって個人的には思ってます。

これだけやって来て福岡でファイナルを迎えた事は一度も無かった訳ですもの。


それと、九州出身の雑草バンドでも福岡市民会館でワンマンライブをやる事が出来る。そんな意味もあります。


九州の人達に中々見れない、ホールならではの豪華な演出とか見せてあげたかったんです。密かにずっと思ってました。


福岡でファイナルがあるってんで、全国からみんなが福岡に向かって来てくれてる感じが本当ワクワクしました。

本当に遠い所から福岡に来てくれてありがとう。移動とか宿泊大変だったよね。でも来てくれたから最高のファイナルを迎える事が出来ました。


地元の人達、遠くから来てくれる人達、そして今までの自分達、全てに尽くしたライブ。良かったか悪かったかはまだ正直そこまでわからない。ツアーファイナルを福岡市民会館で終えた実感がまだ湧いてないから。


むしろそんな事今はどうだっていい。

やれる限りはやったから。


でもきっと楽しかったし最高だった。

その時はそう思ったからね。


本当に本当にみんなありがとう。


俺達が存在する限りは九州バンドはショボいなんて言わせないよ。だって俺達はいつまで経っても九州福岡博多出身のバンドだから。



最近凄く、学校を辞めたとか会社を辞めたとか夢を諦めたって報告が多いけど、俺も何度も挫折を繰り返して今に至るしもちろん現状に満足なんかしてないし毎日が満たされてる訳でもないし人に言えない悩みだって沢山あるし未来が不安だけど今は生き抜くしかない。ツアー楽しかったし、またツアーしたいし、またツアーで会えるから。


あの制作の苦しみも葛藤もこの為にあったって事。


どうか、お元気で。