講談社
太平洋戦争末期の1945年3月10日
東京には多くの作家たちが暮らしていました。
永井荷風、半藤利一、堀田善衛・・・
彼らがどこに住んでいたのか記された地図が載せられています。
古川ロッパ、徳川無声などは空襲をどのように書き残したのか。
靖国神社に逃れるのを嫌った吉行淳之介は千鳥ヶ淵の小さな公園に逃げ込み眠ってしまった。
「青山脳病院」が火柱をあげて燃え盛るのを見て、斎藤茂太と北杜夫は青山墓地に逃げ込んだ。
など、
目次だけでも興味深いです。
六月十五日、大阪
六月十七日、十八日 鹿児島、大牟田、浜松、四日市
六月十九日、静岡、福岡
六月二十二日、呉
六月二十三日、茨城
六月二十九日、門司、岡山、佐世保
七月三日、四国各地
七月二十四日、バルゼー艦隊が瀬戸内海方面を猛攻
七月二十六日、ポツダム宣言
そして、八月六日、九日……
戦争の終結を決めようとしない政府。
ついに、「御聖断」となります。
玉音放送を聞き、文士たちも泣いています。
内田百閒、小林秀雄、徳川無声が泣いています。
高村幸太郎は「一億の号泣」という詩を書いています。
大佛次郎と佐多稲子は泣かなかったと紹介されていました。
印象深かったのは、戦後、B29の大編隊が飛来し、吹上御所の上空を飛んでいったとき、天皇は空を見上げることもなく、花に水をやっていたという記述です。(藤田尚徳『侍従長の回想』)
隣合った人々が平和に暮らしているのは、人間にとってじつは「自然な状態」ではない。戦争状態、つまり敵意がむき出しというのではないが、いつも敵意で脅かされているのが「自然な状態」である。だからこそ平和状態を根づかせなくてはならない。(『永遠平和のために』インマヌエル・カント/池内紀訳・集英社)
おつき合いありがとうございます。