日本文学をこよなく愛するイタリア人、イザベラ・ディオニシオさんの日本文学談義第2弾は、近現代文学です。
古典文学で恋愛テクを駆使していた日本人の恋愛偏差値が、近現代になると、ガクッと落ちてしまう。
煩悩にとらわれる、うじうじロマンチストヒーローを描く『舞姫』(森鴎外)
「お嬢さん」の気持ちが、まったく描かれない『こころ』(夏目漱石)
女性の立場に立って、語っている(つもり)の『ヴィヨンの妻』(太宰治)
と、手厳しいですが、
その原因は、明治時代に西洋から入ってきた「ロマンティック・ラブ」にあるのではと、筆者は言います。
「ロマンティック・ラブ」とは、欧米に普及していた性愛の特殊な形態で、結婚を前提とする純愛のこと。
「ファンキーに恋愛を楽しんでいた当時の日本人にとっては、魅力的なコンセプトであると同時に、理解に苦しむものでもあった」のだとか。
対応に困りつつも、エキゾチックな「恋愛」はやがてインスピレーションの源となり、明治以降に生まれたあまたの名作はそのたまものだというのです。
紹介されているのは
不如帰 (岩波文庫)徳富蘆花
金色夜叉 (新潮文庫)尾崎紅葉
痴人の愛谷崎潤一郎
など
どれも、女性の目線で読むと、もやもやする話です。
それでも、イザベラさんの文章には、文豪たちへの愛が溢れています。
「女心がわからん、かわいいヤツら」って感じです。
今回、ざっと読み返してみたのは、真珠夫人 (文春文庫)、江戸川乱歩作品集I 人でなしの恋・孤島の鬼 他 (岩波文庫)
どちらも、読み始めたらとまらなくなるおもしろさです。
が、『真珠夫人』は主なヨーロッパ語では翻訳されておらず、江戸川乱歩の知名度もそこまで高くないというのは残念です。
ちなみに、海外で翻訳された『こころ』の「お嬢さん」は「ojosan」、「先生」は「Sensei」、タイトルの「こころ」も「Kokoro」と表記されるのだとか。
外国人読者は、それらの表現一つひとつを完全に理解していない可能性がありつつも、妙に納得がいくそうです。
さすが、文豪です。
KADOKAWA
お読みいただきありがとうございます。