合格できると、やっていけるは違う
まぁ、知っている人は知っている通り、マジその昔私は色々と迷惑を被っていたわけですよ。
私の価値観としては、基礎学力がなかろうが高校に合格できればいいという価値観の人がいて、その人たちがそれで生きること自体は止めないんです。
私と関係ないところでやってくれというだけで。
私は基本的に基礎学力が足りてないのに高望みの高校受験をさせるということはしません。事故が起こって受かってしまうというアクシデントがゼロではなくて、今後は記念受験であってもよりシビアに行こうと反省していますが。
これまでも色々なトンデモ事例を見て来たわけです。
一つだけはっきりさせておきたいのは、
基礎学力がないのに合格させたのならば、合格させた奴が責任を取るべき
なんです。
赤の他人に無責任に押し付けるなど、言語道断。
高望みをするとどうなるか
公立高校は、なんだかんだ言ってもシビアなんです。
普通に赤点の山になり、最悪は留年します。
かろうじて留年しなくても通知表に2は確実につきます。
通知表に2があると、総合型選抜とか推薦では非常に不利になります。総合型選抜が評定は関係がないというのは、出願に際して評定基準がないという話なのであって、書類審査では普通に内申点は見られています。
2があるという事実は、非常に不利なわけです。
私が言いたいのは、2が付くような進学はしない方がいいということなのです。
3年間赤点・追試対策に追われる生活
これまでも何人かいたんですけど、赤点・追試対策をしなければならないと、進学のための力をつけさせる授業をする暇がないんです。
本当に目先の試験のための授業に、多額の金と時間が消費される。
これは正直、戦略的には意味がないと思うんです。
同じお金を使うのならば、未来を切り開くために使うべきで。
身の丈にあったところに進学をしていれば、こういう事態は避けられるわけです。
さらに言えば、公立高校の授業についていくために多額のお金をかけるよりは、私立高校の授業料が高くとも(今はかなり補助が出ますし)、最低限のサポートだけで済んだ方がはるかに安上がりというケースは少なくないんです。
そしてゆとりのある高校生活をして評定を稼いで、その評定を生かして大学へ進学できれば、高望みをした挙句に多額の費用をかけてやっと県内の私立大学へ行く人生よりもはるかに意味のあるものになるわけです。
現在の大学入試制度では、ごく少数の例外(才能があるのにサボりまくっていた)を除けば、高望みをしても得るものは何もないと言っても過言ではないと思っています。
いよいよ私立高校の合格発表です。
公立高校への出願は、高望みされないことを強く推奨いたします。