まぁ、日本史が出来ない

 

私が理解できないことの一つに、

 

なんで宮城県の子は社会や理科を学校でまかなえないのか

 

というものがある。

 

 

1番ひどい話では

 

うちの講師が1コマ生物の教科書を読んだだけで40点アップ

 

という実例がある。

 

これが誇張ではなく、ガチの事実だから頭が痛い。

 

 

日本史で受験をしたいという子が多いのだけれども、その多くがマーク模試で40点±しか取れない。

 

当然それでは受験はお呼びではないし、東北学院だって合格しない。

 

 

  情報がつながっていない

 

見ていると、その多くが歴史の大きな流れとか物事の因果関係とかの理解を無視して、ただ人物名や用語を無機質な記号として覚えているように見受けられる。

 

例えば奈良時代の政争なんて非常に乱暴な言い方をすれば、

 

親父(もしくは自分)が失脚して、息子(自分)が逆ギレして反乱を起こして鎮圧される

 

の繰り返しなわけである。

 

藤原広嗣とか橘奈良麻呂がどういう人間であったのかを理解していないから、単純に記号として乱を順番に機械的に覚えようとするので間違えるのである。

 

その前に誰が失脚したのかを考えれば、間違いようがないのに。

 

繋がりとか流れを意識した授業が学校でなされていないのか、あるいは本人がただわかっていないのか。真相は藪の中だが、理解をしていない子が多いというのは、少なくともうちを必要とする層で多いのは事実である。

 

さらには一時期流行ったマインド・マップのように情報を繋げていくということが全くと言っていいほどできていない。

 

私個人はあのマインド・マップは好きではないのだけれども、ほぼ同じ作業は頭の中ではしている。

 

情報をただの一問一答やクイズのように処理をしているから、物事のつながりが見えていないのではないのかと疑っている。

 

 

  一人では間に合わない

 

やらなければならない作業は割と単純で、問題はそれにかかる時間になる。

 

某校の日本史で、問題に出てきた語句などは全て調べろという趣旨の指示が出ているらしい。

 

全くもってやるべきこととしては正しいのだが、いかんせん受験生にその時間があるかねという話になる。

 

ついでに言うと絶対に覚えなければならないことと、それ以外を区別する必要があるわけで。それを40点しか取れない受験生が効率よくやるのは無理でないのという話になる。

 

そして、やるべきことが多い受験生が自分で何でも調べるとなると、どうしても後回しになった結果、気がつくと受験日になってしまっているという展開になるのである。

 

そうなると誰かが伴走しながら、情報を整理して物語を叩き込むしかなくなるわけで。

 

えぇ、そんなわけで仕事が増えまくっているんです。