大学受験は博打が打てる。
ご家庭に金銭的な負担をできるだけの余力さえあればいくらでも策の立てようががあるし、私の言うことを聞いてきちんと勉強していれば、あの東北学院を全滅させた年のような想定を超える平均点の高騰などというアクシデントがない限りは、そう簡単には負けはしない。
私が現在、マリアに対してロハでゼミをやっているのは、私が上から降りてくる連中の想定を結果として見誤ったというミスがあるからである。もちろん、私がロハでやってやるだけの素質と努力がなければ、自業自得と言って切り捨てたが。
受験生も親御さんも、耳障りの良い言葉にすがりたくなる。
そして不幸なことに、宮城県の高校入試はそれで通ってしまう。合格までは。
私は、それが正しいとは思わない。
素点だけを見ればほとんど同じ点数の魔女とメロンについて、私はかなり違うアプローチをしている。
もういいや。
私が何で今、こんなエントリーを上げたのか。
おそらく、わかる人はわかってくれる。
本文なんて、どうでもいい。タイトルだけが言いたかったんだと。
むやみに希望を持たせることは、残酷なんだよ。
希望を持たせた人間は、それに責任を持つのか。
受験に負けた程度ならいい。
進学先で苦労する程度ならまだいい。
希望を一度持たされた後、「やっぱりだめでした」と宣告される人間の気持ちがあの人種にはわかっているのだろうか。
だから私は、あの人種とは違う世界だけれども、どこまでもシビアにリスクを計算しようとするのである。
弱い子のための個別指導 寺子屋ふじかわ
寺子屋ふじかわは、未来を紡ぐ場所です。
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