諸事情あって、あと3時間半起きていなければならない。とりあえず、ようやく一仕事終えたのだが、今仮眠をして、あと2時間後に起きる自信はゼロである。



「一日どれだけ勉強しているんだ?」


と私が訪ねたところ、とある子の答え。


「今は、一日中机に向かってやっています。」



・・・・・・・だから、進歩しないんだ・・・・・・・・・・・。


「アウトプットできるようになって、初めて勉強したと言うんだ。アウトプットできないものをどんだけやったと言っても、それを勉強したとは言わないんだ。」



今更、はっとした顔をされても・・・・・・・何回同じことを私は言ったと思っているんだ。



「やったことだけは答えられるようになれ」と、巷の受験産業から見れば非常に低い要求水準しか私は出していない。だって、それでどうにかなるんだもん。はじめからパーフェクトを取りに行く気が無く、必要十分さえ満たせばいいという発想なので。そして、教えたことが出来れば必要十分な点が取れるように、徹底的な解説を加えている。


だから、信じられないほど宿題の量も少ない。覚えられる量でなければ、宿題を出す意味がない。覚えなければ、前には進めない。宿題の量は、覚えた量と本質的には比例関係にある。


ただ、それをサボったのならば、勝てる戦も勝てない。


そして私は、努力に見合わない分不相応な発言を許してやるような寛大な人間ではない。



私の生徒に対する姿勢は、基本的に二つである。


努力をする人間にはとことん付き合う。努力をしないで結果を出せないならば、介錯してやる。


寺子屋で努力をせずに合格したのは、姫様だけである(まぁ、ある意味ではバトンもそうだが、バトンは200%合格できるはずという受験をさせたので、本質が違う)。姫様に本気になられたら、私は勝てない。経験値の差で対応したけれども、根本的な能力では勝負にならない。そして姫様の真似は、寺子屋を必要とする人間達には絶対に出来ない。私も含めて。


私が「努力をした」と認めるだけのものを持ってくるのか。



アウトプットできないのならば、それは努力をしたとも、勉強したとも言わないのである。







宮城仙台杜の都のプロ家庭教師 藤川先生


寺子屋ふじかわ

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