今日面談の予定だったのだがキャンセルになった。
中3だということだったので話は聞いてあげるつもりではいたが、実は電話の時点で「この案件は引き受けないか、完全に個別指導だな」とは思っていた。
今、受験組には戦略的に負荷をかけている。彼らが理解出来るギリギリのところで量を加速度的に増やしている。
そういうところに途中から入っていける子の案件ではないなと。
理由は簡単で、内申点と模試の成績と志望校の相関関係が取れていなかったからである。初期段階ならばともかく、10月も後半の時点でこの三者の関係が根本的にずれているということは、受験を真剣に考えていないということである。ずれていたとしても、ずれていることを理解した上でやっているのであれば良い。それならば打つ手はある。だが、この期に及んでずれていることが認識できないというのは、戦にならない。
厳しい話をしてこの時期に潰すと立ち直れないだろうし、どうしようかとは悩んでいた。
そうこう悩んでいたらキャンセルのお知らせ
その次の瞬間、私はMFの補講をそのコマに入れた。ついでに言うと、不幸があって空いたコマにも補講の予約が入っている。
本気で勝ちたくて一生懸命な人間は目つきが違うし、伝わってくる覚悟が違う。
勉強は時間でも量でもなく、中身である。
一番良いのは、中身のある勉強を適正量をやることである。それが無理ならば、中身のある勉強を可能な限り。
落ちる人間は、中身のない勉強を長時間やる。寝ずに勉強をして、何も覚えていない。
いつも言っているのだが、100やって1しか覚えていないのは愚か者の勉強の仕方なのである。それならば、10やって6覚えていたほうが意味がある。10やって6覚えていれば、次は20やって15覚えることも出来る。
くだらない宣伝目的で絡んできた慶応大の学生がわめいているサイトがあったが、でも言っていることは正しい。1冊のテキストを完璧に覚えていることは重要である。だからいつも英語が出来ないやつには、薄い文法書を与えて、「これがきっちりと出来るようになるだけで最低20点、最高56点上がる」と言っているではないか。
ベースさえ作ってしまえば、そこに積み上げていくのは容易なのである。そのベースを作り上げるまでは、辛抱強くやるしかない。辛抱強くやるところまでは、我慢をしてつきあう。だが、加速をかけなければならないところで意識が別の方向を向いているようでは、受験にならない。私が破門にするのは、受験をなめているか、意識が別のところを向いていて受験にならないか。このどちらかであると言ってもほとんど過言ではない。
多分今日、デフコンを3から2に引き上げなければならない件がある。逆に3から4に引き下げる予定の件もある。
最悪のシナリオを想定して準備を進めるとなると、時間がいくらあっても足りないとわかり、軽く絶望感が押し寄せる。それでも何とかしてやる責任が私にはある。
さて、今日デフコンが上がったならば、真剣に策を練り始めないと。
貴重な時間は、有意義に使わないと(ブログ書いている暇があったら仕事をしろという突っ込みは無しの方向で)。