主義に反して推薦入試を認めたことを、率直に言って後悔している。安易な道に流れることを許したのは、やはり間違いだったと。
同じような成績の二人が、方や推薦入試、方や実力で受験をして、それぞれ進学をした。
学校が違うので、同じような内容をやっているとは言っても差があるのは理解している。だが、一人は日々の課題を片付けるのすらままならず、もう一人は「辛い、大変」と言いつつもそれなりにすべてを上手にこなしているのを見ると、どこに差があるのかを考えずにはいられない。
もちろん「絶対的に能力が足りないのでは」という、身もふたも無い批判はおいておくとして、差が出たという事実は今後のためにもきちんと検討を加えておかなければならない課題である。
愚痴を聞いている限り思うのは、やはり入試をどのように経験したのか、という差である。AO・推薦入試の際に死に物狂いでやったことは否定しないし、本当に良くやったと思う。だが、所詮小論文の一教科だけ。問題がいくら易しかろうとも、4教科を最後まで同時並行で勉強をした経験との差が出ているような気がしてならない。端的に言って、物事の優先順位付けと見切りが出来ていないようなのである。同時に二つの課題が出るとパンクをしているというのは、一つのことを処理することしかできていないことを意味する。自分に課せられたタスクの全体像を把握して、その上で個別の案件を処理することができないのである。
それと、入学までのスパンが長すぎるのである。今回は震災というアクシデントが重なり、期間がさらに延びた。弛緩しきった状態での入学では、もう一度締めなおすのに時間がかかりすぎる。手綱を緩めることは必要だが、精神が弛緩するのとでは意味が異なる。
根負けをした、あるいは最後の最後で甘い顔をしてしまったことを後悔している。他の生徒ならばおそらくあっさり却下したか、「自業自得」で割り切っているのだろうが。
まぁ、そういうわけで、私は二度と推薦・AOを認めるつもりは原則無い(除く、センター試験が課せられているAO入試―それとて、実力が足りないわけだが)。
一般入試で勝てないのならば、それは実力が無いかその大学に縁がないのである(大学入試は、A判定が出ていても5回に1回は落ちると思っていなければならない)。
たとえあの時にもめたとしても、今の状況を見るぐらいならば「受験をさせればよかった」と心のそこから思っている私がいるのである。
私が、甘やかしたのがいけなかった。
寺子屋ふじかわ
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