戦の仕方はいろいろある。


私は本質的に、「鶏口となるとも牛後となるなかれ」という方針である。


よって可能な限り確実に、そして進学先で余裕を持ってやれるように戦わせることを基本としている。


それが、最終的に生徒のためであると信じているから。



卒論書けなくて退学していった同期とか、下手に偏差値高い高校に入ったばっかりに不登校になった子とかを見ていると・・・・・・・・・・・・・・・。



平成20年7月26日早朝記


願わくば私の荒療治が効いて、奇跡が起きていることを願って。


ただし、やはり私は、価値観を共有は出来ない。


成績が全く足りないのに努力をせず、偏差値65の壁を超えたところを志望するというのは、おこがましいと思った私の判断が間違っているとは思わない。


お金を払えばとか、受験産業に頼ればとか、そういう発想をしている限りは駄目だと思う。


親を否定するだけの自分なりの価値観を持っていれば、最後まで助けてやったのに・・・・・・・・・。


結局、己の実力を鑑みない親のいいなりのブランド志向では、勝てる戦も勝てやしない。