思うこと | ☆泉日記☆

☆泉日記☆

東京、原宿で仕事と遊びに命をかけてた私が4才の息子と2人勢いだけでハワイに移住してきました。英語、Yes、No、Pleaseしかできない私がハワイで生きていけるのか?!体を張って体験します☆


数日前は祖母の命日でした。



私の祖母は戦後の第一回美容師国家試験で美容師になりました。



東京大空襲の焼け野原に残った警視庁で試験を受けたそうです。



おばあちゃん悪いことしてないのに警視庁に行ったの。

悪いことしてなくても警視庁ってちょっとドキドキするものね!


って言っていました爆笑



12歳で1人、東京に奉公に出て18歳で美容師になった祖母。



息子よりひとつ下の歳で家族と離れて奉公に出た祖母。
 


どんな気持ちで1人で東京に向かったのかな…。



私は高校生一年生の時から通信を始めて祖母と同じ18歳で美容師になりました。



 
命日に祖母に想いを馳せていたら…




なんと5年前、祖母の命日と同じ日に祖母に会いに行っていたブログがありました。




たまたまかも知れませんがなんだかとてもうれしくて。



あちこち不具合ありながらも元気だった祖母との写真がありました。




私の祖母はいわゆるニコニコ優しくて甘やかしてくれるタイプのおばあちゃんでは無くとても強くて芯の通ったでも自由人みたいなタイプで。



ちょっとココでは書けないような事も教えてくれちゃうちょっとユーモアでハイカラなおばあちゃんでもありました。



今思えば、かなりのカリスマ性の持ち主だったなぁ。




5年前の私…。


真っ黒だグラサン



祖母は晩年、会うたびに



真紀ちゃんはキレイねーっお願い



と、言ってくれました。




思いっきり真に受けて喜びを隠さない孫の私照れ

祖母の妹の大叔母さんとも3人で。

 
帰りにはいつもこの小窓からお見送りしてくれました。



網戸を開けとけばよかったっ!



このほんのり微笑むぐらいがカッコいいなぁ。



さすがはキャリスマです。


私がいつかおばあちゃんになったら全力で叫んで手を振っちゃいそう笑い泣き



私の妹が遺品から見つけた祖母の手書きメモ。



今、世界中が大変な時。



だけど過酷な戦争の中と戦後を生きてきた強い祖父母の遺伝子を引き継ぐ私たちはきっとやれるはず!



まずは今生かされていることに心から感謝して。



おばあちゃん私も息子もやってみるから見守っていてねハート