私は、ちょっとしたおしゃれが好きだ。
最近のJKは化粧をしたり、
つけまつげをしたりと
高度なおしゃれを楽しんでいるようだけど
私たちの高校生時代は、
そんなことはとんでもないことで、
せめてのおしゃれが、
厚手の綿の靴下をくるぶしまで丸めたり
(ちょっと前のルーズソックスに似ていますね)
黒のストッキングの下に肌色のストッキングを履き、発色のよさを楽しむなど
ささやかなものだった。

私はきちんとしたおしゃれが好きだった。
大雑把な母に洗濯は任せられなく
制服のシャツは自分で丁寧に手洗い、
糊付けをし、アイロンを当てた。
そのシャツの襟をアイロンで
立てるのが私のこだわりだった。
スカートは、毎日寝押しをした。
寝押しとは、夜寝る前に布団の下に
スカートなどプレスしたい衣服を置き
翌朝、人体の重みで圧され衣服が
プレスされるのだ。
弱点は、寝相が悪いと
衣服の圧しがずれたりすることだ。
私の学校のスカートは箱ひだだった。
私はウエストからひだが広がる感じが
なんとなく太って見え、好きではなかった。
そんなことを思うのは私だけではなく
ウエストから何センチか縫って閉じるのが
密かに流行っていた。
私もさっそく母に頼んで、
ミシンで縫ってもらった。
母は、それを校則違反じゃないの?とか
全く言わず、娘のおしゃれ心を
快く受け入れてくれていた。
母にミシンで絞ってもらって
ウエストとヒップのラインが
シャープになり、いたく気に入った。
ルンルン気分で登校すると
校門前にいた指導部の教師に呼び止められ
絞ったミシンの糸を抜くようと
いさめられた。
ショック‼
下校し、母に「せっかく縫ってもらったのに、ほどけと言われちゃった」と言うと
「しかたがないね」と、糸切りバサミで糸を抜いてくれた。
校則違反だったんけ❗とか
とがめることなど一言もなかった。
私は、懲りず、また母にミシンで縫ってもらった。
その時も一言の言葉もなく、すんなりま縫ってくれた。
母は、どんな気持ちで縫ってくれたのか
いまでもわからないが
娘のおしゃれ心を、それなりに理解してくれていたのかなあと勝手に思っている。

私は結構、学園生活を楽しんだ方だと思う。
とくに、高校3年生の一年間は最高だった。
3年進級の新教室で、気の合う友達が3人できた。
私達四人はいつも一緒にだった。
時間目と時間目と間を抜け出して
ラーメンを食べに行ったり
そこで先生に出くわし、
お互い気まずい思いをしたり(笑)
教室に戻ったら、すでに授業が始まっていて
中に入れてもらえなく、
しかたがないので、近くの工場の人の
バレーボールに飛び入りで参加したり。
再び教室に戻ったら、なぜいなくなったと
こっぴどく叱られた。
そんなとんでもないことも、
四人揃ってだと、楽しかった。

中間試験を前に、3人のうちのひとりが
我が家で試験勉強がしたいと言い出した。
「えっ!」と思ったけど、それもいいかもと
思い、私達は2台の自転車を相乗りして
我が家に向かった。
母にいきさつを話したら、
すんなりOK してくれた。
私達は、まず気分をすっきりしようと
言うことになって、銭湯に行くことにした。
午後2時の銭湯。誰もいない一番風呂である。
貸切り状態の風呂で私たちは童心に返ってはしゃいだ。
家に戻り、さて勉強となるのだけど
風呂遊びに疲れ、しばし休憩。
そのうち母が夕食を伝え、
食後は勉強どころか女子会となり
夜は更けていく。
疲れきって、試験勉強など
ぶっ飛んで、爆睡。
何の意味もなかった我が家での合宿だった。
いま思えば、母の寛大な神対応に
感謝、感謝である。
母さん、ありがとう。



最近、父や母のこと、
これまで生きてきたことを振り返るなど、
いろんなテーマで、ブログを更新しています。
しかし、現在の私は、13年前に発症したガンの度重なる再発で、入院中です。
これまで辛いこと、悲しいこと、
たくさんありました。
いまも不安でいっぱいです。
でも、私は自分の意思にかかわらず
いまも、こうして生きています。
自分の意思ではどうにもならない「生」。
それなら、精一杯つきあっていこうじゃないか❗と思うようになりました。
このテーマでは、現実の私を
等身大でお話をしたいと思います。
私より、ずっと症状が重く、
苦しんでおられる方が
たくさんいらっしゃることでしょう。
その方々のほんの気晴らしになれば
うれしいです。