今日は、たぶん新年号騒ぎ
一日中、湧くだろう。

私も一応、新年号について考えてみた。

個人的には

「和光」が

いいと思っている。

和は
平和の和であり、現在ささくれている世の中の現状が少しでも平和になるようにという願いがあり、またみんなで輪になって和やかになろうではないかと。そして日本らしさの和のテイストを大事にするなどの要素を持っていると考えるからである。

光は
未来をイメージし、希望と願いを込めた言葉と考える。また果てしない宇宙探究への可能性を思い起こさせる。

そして「わこう」という語感の響きがいい。

和の頭文字はW だから
M ➡T➡S➡Hの後に続くものとしても
何の支障がない。

もちろん、二文字だ。

どうだ❗

私の提案は、採用されるか、どうか。

採用されたら、すごい❗

その時は、ひとりで
ひそかに祝杯をあげようと思っている(笑)

ガンを発症して、13年。
その間11回再発した。
そのために、入院を繰り返し
入院生活も長くなってきた。

いつもの病院に入院し
同じ病棟の同じ病室に入ることも多く
医師や看護師さん、看護助手さんなどが
おなじみさんになっていた。

お馴染みさんとはいえ
和気相合とはいかない。

私は病気になって
治療にきたのだ。
痛い❗苦しい❗の連続だ。
毎日がそれとの戦いだった。
そんな時は「カラダを感じて、カラダにきく」
なんて流暢なことは言っておられない。

気がつけば、体を見つめることなど
すっかり忘れていた。

しかしながら
体の感覚は、症状がよくなり
少し心に余裕ができるようになると
次第に体に目を向けるようになった。
元々、私は体を感じるのが好きなのだ。

ふと、誰かと繋がりたくなった。
隣には、検温にやってきた看護師さんがいた。
どこかお疲れのようだ。
私は、「ねぇ、ちょっと手を触っていい?」と
尋ねた。
彼女は突然の私の要請に驚き
それでも、おどおどしながらも
手を差し出してくれた。
彼女の手は緊張でコチコチだった。
そりゃそうだろう。
看護師は触ることはあっても
触られるシチュエーションは
そうないことだろう。
しかもいまは勤務中だ。

私は、そっと彼女の手を両手で包み
彼女の手を感じた。
そうすると
次第に彼女の手の感触が柔らかくなり
彼女は目を閉じていた。
「なんか眠くなっちゃった」と
お茶目な表情をした。
「あら❗手が温かくなった」
とも言ってくれた。

私は内心、シメシメなんて
ちょっと得意な気持ちになっていた。

ついでに、仲良くなった隣のベッドの人に
同様に試みることにした。
彼女はとてもおおらかな人で
「リラックスして」と言うと
瞬時に、手の力が抜けていた。
「すごい❗」と思った。
こんなにも切り替えの速い人もいるんだなあと
以前、施術したタイマッサージの人のことを
思い出した。それ以来のことだ。

リラックスした手を触るのは
ほんとうに気持ちいい。
こちらの方が眠くなるくらいだ。

そんな気分に浸っていると
突然彼女が叫んだ。

「治った❗❗」

聞くと、ずっと以前から肘が痛く
接骨院に通ったものの
ナカナカ治らないでいたと。
ところが、私がちょっと触っただけなのに
一瞬のうちに、痛みが消えたと言うのだ。 

「えっ❗」と私は大きく叫んだ。
「だって、ほんとだもの。ぜんぜん痛くない」

きっと彼女の優れた感覚が
私のちょっとした誘導で
スイッチが入り、自分自身で
体が整ったのだ。
改めて、すごいな❗と思った。

翌日、彼女の旦那さんが
お見舞いに来た。
その時、彼女が
「ちよっとでいいから
主人の腕をみてくれない?」と言う。

どうも、昨日のことをご主人に
言ったらしく
ご主人も、ずいぶん前から
腕の関節の痛みが続いているらしく
彼女が昨日経験したように
ご主人にも瞬時に治してもらおうと
思ったようだ。

私が治したのでない。
あなたが自分で整えたのだけなのにと
言ったはずなのに。

ご主人の腕を触った。
岩のように硬かった。
力を抜いて、ご主人を感じようとした。
だが、ご主人の強ばりはナカナカ消えない。
きっと、長期に渡って
腕を酷使してきたのだろう。
整えるには、少し時間が必要だと思った。
酷使したいきさつにも何か
いろんな要素が絡んでいるようにも感じた。

ご主人の痛みは消えなかったが
「少し、腕が楽になりました」と
言ってもらったことが
せめてもの救いだった。

私もちょっと調子に乗りましたね。
反省です🙇




一年前に、入院した頃だったろうか。
私の病室に、ひとりのおばあさんが
入院してきた。

柔和な表情で優しく話す
感じのいい、かわいい人だった。
伴ってきたふたりの娘さんも
お母さんとも仲睦まじく話をしていた。

そんな時、突然お母さんが家に帰ると
言い出した。
お母さんは、ガンの治療のために
入院したのだ。
ただ、お母さんは認知症でもあった。
あ母さんをこよなく愛する娘さんたちは
治療のために、後ろ髪を引かれる思いで
お母さんを入院させたのだ。

重い気持ちを引きずって
ふたりは帰って行った。

その夜から、お母さんの叫びが始まった。
家に帰りたい❗と言い続けた。
ふたりの娘の名前を呼び続けた。

これでは治療ができないので
主治医が、再び娘さんを呼び出し
お母さんへの説得を要請した。

普通なら、治療を優先するために
お母さんを納得させようとするだろう。

だが、娘さんはそうしなかった。
「お母さんを、家に連れ戻します」と。
この言葉には、主治医も驚いた。
「治療は、どうするんですか❗」
「いいです。母が寂しい思いをする姿
を見るのは堪えられない」と。

そうは言っても、いくら愛情があっても
認知症をもつ家族と毎日、顔をつきあわせて
つきあうのは、
愛情という甘い美しい言葉では
片付けられない大変さがある。

それを重々知った上で
しかも経験した上で
一緒に帰ると言う。

主治医は、それでは
医師として、治療もできず
責任を持って
退院させるわけにいかないと
退院を留まるように言う。
最もな話だと思う。

これでは話にならないと
娘さんと医師は面談室で改めて
話をすることになった。

しばらくして医師と娘さんは
病室に戻って来て
あ母さんを連れて、病室を後にして行った。
だが、その時の医師の表情は、
静かで納得したように思われた。

その時、私は思った。
きっと、娘さんたちは
お母さんのほんとうの気持ちを思い
最良の方法として医師を説得したのだろう。
医師も、彼女たちの半端でない気持ちを
くみ取り、退院を許可したのでは
ないかと。

私は、この一連の行動に感動した。

なぜなら、認知症の人を家族にもつのは
大変だ。
私は、家族に認知症の人はいないし
介護経験もない。
それでも、その苦労は想像できる。

きっとおばあさんは、娘さんたちに
溢れんばかりの愛情を注いだのだろう。
また、それを受け取った娘さんたちも
母の愛に満たされ
愛情いっぱいに育ったのだろう。
だから、いまこそ
お母さんが一番望むことを
してあげたかったのだろう。

そして、医師をも説得できたのだろう。
家路に急ぐ3人の後ろ姿が
とても清々しかった。