緩和病棟のある病院に転院して
3日が経ちました。
なぜか、もっと前に移ったような気がします。
ここが居心地がいいとか
そんな類いのものではありません。
前にいた病院が、あまりにも長かったせいか
思い出が多く、懐かしく
遠い昔ように思えたからかもしれません。

病院が違うと何もかも違うことに
驚かされました。
定期的に行う検温や血圧測定などは
一緒になのですが
前の病院では、毎日朝食前に体重測定を
していましたが、この病院ではありません。
私は浮腫などで、体重が増えるので
体重の増減についてはとても敏感になります。
そんなことから看護師さんに尋ねると
超アナログな体重計を持って来て
これで測ったらどうでしょうと
置いて行かれました。
それにはちょっと驚きましたが
それでもいいと思い
毎日計っています。
やはり体重は増えていました。
足の浮腫も進み、腫瘍が進んでいるのが
よくわかります。

食事は全然違います。
前の病院は食器は
プラスチック製だったものの
それなりのもので
食事も彩りがよく盛られ
栄養価もさることながら
美味しく見えるように
工夫されていました。
ここでは、いつも同じ食器で
盛り付けもただ入れてあるだけで
あまり食欲をそそりません。
ただ量は小量タイプだったので
私にはちょうどいい量かなと思いました。
ある時、ほんの少しだけ少ないかなと思い
普通タイプにしてみたのですが
やはり多かったので
少量タイプに戻してもらいました。
でも、いい食事の時もありました。
最初の日の昼食に茶碗蒸しが出ました。
前の病院では一度も出たことがありません。
私は茶碗蒸しが好きなので
しかもとても美味しかったので
嬉しかった。
赤飯やピラフも出ました。
そしてやはりご飯は
おにぎりにしてもらいたかったので
頼んでみると、俵型のおにぎりが
茶碗に乗っているだけでした。
ゆかりが混ぜられているわけでもなく
梅干しが中に入っているわけでもなく
塩で握ってあるわけでもありません。
また、まわりを海苔やとろろ昆布で
繰るんであるわけでもありません。
これでは表面だけ固めてあるだけで
返って美味しくなく
これなら普通に盛ってある方がいいと思い
そうしてもらいました。

個室に入っていますが
前の病院よりはるかに狭く
それでいてトイレまで遠く
その間に手すりもなく
倒れそうになりあわてて
壁に手を押さえたこともありました。
それを主治医の先生や看護師さんに伝えると
手すりを設けることはできなく
そういう時は、事前に看護師を
呼んでください。
私を支えながら、トイレに行かれるように
しますと。

パンフレットには、ミニキッチン付と
唱ってありましたが
キッチンとは名前ばかりで
コンセントもなければ
電磁器もなく、お茶の一杯も沸かせません。
洗面台がなく、シンクで歯を磨き
顔を洗えということなのでしょうか。
私は疲れるので椅子に座ってでないと
歯を磨くことができないので
部屋の隅に置かれた椅子を持って来て
歯を磨くのですが
シンクと椅子の高さが合わず
体を乗り出して、水栓のカランを
回さなくてはなりません。
カランはお湯と水が
別々に設けられているので
その都度、温度を調整しなくてはなりません。

もちろん、いまさら前の病院と
比較しても、しょうがありません。

ここの病院にも、いいところが
いっぱいあります。
総体的に看護師さんは優しく
主治医の先生も毎日回診に来られ
何でも聞きやすい雰囲気の柔和な方です。

入浴も担当の看護師さんが
最後まで付き添ってくれ
背中も洗ってくれます。
ただ週イチなのはちょっと不満です。

部屋のすぐ隣が給湯室になっていて
製茶機でお茶や熱湯を汲むことができます。
前の病院でもそうでしたが
製茶機のお茶は本当に不味い。
どこのお茶もどうしてこんなに不味いのかと
思うほど不味い。

前の病院では私のような
動けない患者のために
ポットで沸かしたものを
配ってくれましたが
これが結構美味しかった。

贅沢を言ったらキリがないですが
このお茶だけは飲めたものじゃありません。
お湯もなんとなく変な味がします。
さっそく夫にティバッグの棒茶と
ペットボトルの水を持って来てもらうように
頼みました。

掃除は行き届いています。
前の病院では
洗面台やトイレなどは水割り担当
床を掃除する人と分かれていて
ひとつの部屋の掃除をするのに
複数の人が行き交いました。
この病院では、ひとりの掃除の人が
ゴミの収集、床掃除、トイレ、洗面台と
全てを行ってくれます。
たまたまなのかもしれませんが
入院した翌日に来てくれた
オバチャン風の掃除の方は
「掃除に入っていいですか」と尋ね
お願いしますと言うと、入ってこられ
部屋の隅々まで
丁寧に掃除をしてくださいました。
その後、トイレ、洗面台と
水回りをしてくださるのですが
これもきちんとしていて
最後に「お掃除が終りました」と
あいさつをされ引き下がっていかれました。
モップで一拭きして終るといった
外国労働者の人とは大違いです(失礼)。
建物はこの病院の方が古いけれど
丁寧に掃除がしてあるせいか
床など数段きれいです。

そしてなんと言っても
部屋の空気がとてもキレイな
ような気がします。
特別に空気清浄機が
入っているわけでもありませんが
吸う空気が美味しく
さわやかな空気が流れているような
気がします。

部屋が最上階だからでしょうか
景色は絶景です。
天気のいい日には
ディルームからは山々の稜線がくっきり表れ
ダイナミックなパノラマは
息を呑むほど美しい。

と、いろいろ言ってきましたが
この病院もいつまで
居られるわけではありません。
緩和病棟とはいえ、症状が安定すれば
退院を進められます。

看護師さんは
これから段々腫瘍は進んでいって
症状が悪化して動けなくもなるでしょう。
だからいまのうちに
外出して美味しいものを食べたり
家に立ち寄ったりすればいいと。
そして時には外泊許可をとり
家でゆっくり過ごしたらいいともと
言ってくれました。
友達とは、その時にでも
家にきてもらい、会えばいいのでは、と。

ほんとに、そう。
一日一日を大切に、私らしく生きないとね。
ブログも、書けるだけ書いていきますね🎵

いよいよ明日、この病院を退院します。
振り返れば、ガンが発症してから16年。
この病院には延べ12年近く入院してきました。
家にいるより長いかもしれません。

去るにあたって
いろんなことが思い出されます。
異動や退職やらで入院するたびに
違った看護師さんに出会うし
主治医の先生は変わらないものの
その下の先生は
いろんな部所を学ばないといけないので
いつも違った面々が私の部屋に訪れました。
私は個人的には木村多江に似た
あの女医さんが好きだったなあ。
とてもきれいな女性なのに
彼氏がいないと言う。
ウソ‼️と言うとホント‼️と返ってきた(笑)
その点から言うと看護師さんたちとは
恋ばなで盛上がったなぁ。
まるで私の部屋は恋愛相談室みたいな
時もあったっけ。
主治医は変わらないと言ったけど
12年もいたら主治医も変わった。
4人の先生が私を診てくれた。
最後の先生は2月で病院を辞められて
7月にアメリカの大学に
留学される予定だった。
このコロナ禍の中、無事に
渡航できたのだろうか。

その先生の後に東京から先生が来られ
私の主治医となられました。
前の先生も丁寧に診察してもらえましたが
いまの先生もとても優しく丁寧です。
先生には、一度の抗がん剤治療で
効かないことがわかり
緩和治療のための
転院先への紹介状の作成など
本来の診察業務の他の手続きなども
していただきました。

いま、私の頭の上を、走馬灯のように
私に関わってきた人達が駆け巡っています。

私は、明日介護タクシーに乗って
転院先へと向かい
転院先で待っている主人と合流します。

この病院では、主人には数えきれないほど
面会に来てもらい
時には近くにいるのに会えなくて
泣いたこともありました。

これからも主人には
いろいろ世話をしてもらうことになります。

あなた‼️
天か地獄のどちらに行くかわかりませんが
それまで、よろしくお願いします。


なかなか転院先の病院からの返事がこなく
また以前のリハビリの時のように
断られるのかと内心ヒヤヒヤしていたが
先ほど、病院内のサポートセンターの人が
転院ができ、その日が9/24に決まった。
と、連絡が入った。
ただ無料の部屋は満床で
しばらく有料の部屋に入ってくださいと
言われた。
この機会を逃すと
もう入れてもらえないような気がして
それに応じた。
ちなみに料金は5,500円/日。
ちときついが、早く無料の部屋が
空くことを望む。

緩和病棟に入ると
夫など近親者が自由に
面会できるのはもちろん
友達も人数に制限があるものの
ちゃんと検温などをチェックすれば
入室OKということだった。
私には、すぐにでも会いたい友達が
いっぱいいる。
いまからそれを楽しみにしている。

話は変わるが
この病院では最近、緩和チームが
結成された。
チームは、身体を扱う医師、精神科医
薬剤師、看護師、管理栄養士、
介護など扱うサポートセンターなど
その道のエキスパートで構成され
お互いが連携を取りながら
終末を迎える患者が一日でも快適な生活が
送れるよう、バックアップするという。

ただ、参ったなぁ‼️

わたしひとりのために研修生も含め
9人もの人が私の前にずらっと並んで
18の目が私に向けられた。
有り難いけど、この威圧感は
ハンパではなかった。

9人の面接官が、ひとりの面接者に対して
いろいろ尋ねている、のでなく

ひとりの上級面接官が
9人の面接官を一堂に並べ
一人一人に何か質問をしている。
というイメージがした。
つまり、質問しているのは
彼らの上司のような面接者。
もちろんそのひとりの上級面接官と言うのが
あ·た·し(笑)
普通は、こんなにたくさんの人が
私を見守ってくれていると感涙モンだが
私は久々に上から目線で接する
エライ人になったようで
内心、気持ちよかった(笑)
みなさん、真剣に向かいあって
くださってるのに
不謹慎ですね😅

でもそこで、私はもうすぐ死ぬんだから
みなさんが来てくれているんだと
感無量になるより
瀬戸内寂聴が
「ほい、次の方どうぞ」
とマイクを振っていると思った方が
カラッとしていていい。

ということで、9/24に
長年お世話になった病院をあとに
緩和病棟のある病院に転院します。

お世話になった主治医の先生、看護師さん
看護助手さん、お掃除してくださった方など
みなさんお世話になりました🤗

読者の方々はこれからも
私のつたないブログに
どうぞ、お付き合いください🤗