実は、夫が透析を始める8年前に
私はリンパ腫という血液ガンを発症している。
いま、マスコミで注目されている笠井アナウンサーと同じガンである。
同じと言ってもリンパ腫の種類は多く、
私は発症時は、比較的進行の遅い瀘泡性リンパ腫だった。
発症前、ひどい倦怠期に襲われ、胃もたれ、時折背中に針で刺されような強い痛みに悶えた。
私は22才の時、いまのような、背中に強い痛みを感じ、胆石症と診断され、胆嚢を摘出している。
今度もそうかなと思い、近くのS病院で、診察を仰いだ。
エコー検査の結果、ガンが疑われると言われた。
詳しく精密検査をして、はっきりさせましょうと。
それを聞いて、文字通りガーンである。
家に帰り、夫にガンかもしれないと告げた。
夫は、それには何も応えなかった。
何も答えない夫に、私も問うことはしなかった。
胃と腸の内視鏡検査を行った。
胃と腸自体には腫瘍は見られなかった。
異常は、胆管近くのリンバの腫れだった。
結果は胆管近くのリンパ節を原発とするリンパ腫と診断された。
すぐに抗がん剤治療することを勧められた。
ただS病院には、白血病やリンパ腫を扱う専門医はおらず、県下には常駐するのは県立T病院とT大学病院しかいなかった。
S 病院の医師はT大学病院からの出向している医師が多く、これからの連係を考えて、T 大学病院に入院することにした。
入院を許可されたものの私の病気を扱う病棟は満床。ベッドがあくまで皮膚科病棟に入れられた。
隣の人も取り敢えずの類いだった。
聞くところによるとC型肝炎ということであった。
病院の不手際から発症するC型肝炎ほど理不尽な病気はない。
彼女はインターフェロンの投与で、その辛さに耐えていた。
抗がん剤と同様の強い副作用だという。
逆に私もこのような副作用に悩まされるのかと思った。
しばらくして副作用はおさまり、彼女は退院して行った。何回かそんなことの繰り返しだという。
やがてベッドが空いたということで、消化器科・血液内科の病棟に移された。
しかし、病棟に移ったものの、いま医師は手ー杯で、病気の種類をはっきりさせる生検ができないという。
ということで、再びS病院に戻り、生検を行うことになった。
やれやれである。

3章に続く。
私が起きるのは、大体9時か10時。
世の中は既に動いている。
まだ体が起きていない状態で
下の洗面室に行く。
さっと歯を磨き、顔を洗う。
たまった洗濯物を洗濯機に入れ
ボタンを押し、回す。

夫は既に起きており
食事の用意に余念がない。
私が「おはよ」と言うと
「うん」と返す。
夫は私と違い早起き。
夏は5時に起きている。
冬でも6時には起きている。
春夏は庭先に作った畑を朝一番にいじることを日課にしている。
その後、食事づくりに精を出す。
朝からせっせと働く。
夫は定年退職後、腎不全になり
その後人工透析を余儀なくされた。
月水金の週3回人工透析で
病院に通っている。
透析の日は、食事は夕食分まで作る。

私の起きるのを待って、夫は食事を整える。
私はテーブルをセットし
器に盛られた料理をテーブルに並べる。

料理は結婚当初から夫の担当だ。
精力的に仕事をしてきた私は
結婚には興味がなかった。
ひょんなことから結婚してしまった。
生意気な私は、家庭でも男女平等を掲げた。
夫は家事は男も女もない。
生活するには家事は必要な技術と
私が提案する家事分担をすんなり受け入れた。
羅列した家事項目をみて
間髪を入れず料理を選んだ。
その代わり、他の家事はしないと言った。
掃除好きで、料理の苦手な私はそれを受け入れた。
夫は病気がちの母のために、小学2年から
買い物かごをさげ買い物をし
食事の用意をしたという。
そのせいか、ある材料で手際よく
手早く料理をする。
大して凝ったものは作らないけど
彼が作るカレーとマリネは絶品だ。
カレーは市販のルーは使わない。
玉ねぎをじっくり炒め、
何種類かのスパイスを入れる。
できたカレーは市販特有の雑味がなく
すっきりとした味だ。
マリネにいたっては、酢の加減が絶妙で
酸っぱいものの苦手な私でも
酢で柔らかくなった肉や魚とともに
箸が進む。

夫が作った料理で食事を終えると
私は、しばらくくつろいだ後
食器をさげ、洗い桶に浸し
洗濯物を干す。
それが終わるとコーヒーを沸かし
コーヒーを飲みながらまたくつろぐ。

一方夫はパソコンを、自分で作成した食事管理表にいま食べた食事の内容を入力し、成分管理を行っている。
それが終わると、シャワーを浴び
人工透析に出掛ける準備をする。
昼近くになり、出掛ける。

夫が出掛けた後、私は食器を洗い
レンジ回りやシンクを磨く。
その後、洗面台を磨き
お風呂を掃除する。
水回りはほっておくと、
とんでもないことになるので、
努めて毎日手入れをしている。
それらが終わると、
サッと全室に掃除機を当てる。
それらが終わると、もう午後3時。
テレビを観て、しばらくくつろぐ。

そうするうちに夫が透析から帰ってくる。
ヘトヘトになってなだれ込むように
玄関にたどり着く。
しばらく横になって休む。
透析するとは大変なことだと実感する。
朝用意した食事をテーブルに出し
サッサと食べ、2階にある寝室に向かい
寝込む。
少しよくなるとテレビを観ているようだけど
いつの間にか、テレビをつけたまま眠っている。その時間午後8時。これなら朝5時に起きられる。

夫が寝ている間、私は食事を済ませ
食器を洗い、レンジやキッチン回りを掃除する。
いまはしないが、ぬか漬けを作っていた時は
いつもこの時にぬか床を回していた。
それを終えると、書斎にあるパソコンをあけ
メールをチェックし、しばしネットサーフィンを楽しみ、その後、ネットでインストールした家計簿ソフトにレシートなど、使った経費を入力する。それが終わればパソコンを閉じる。
これからが私のくつろぎタイムとばかり
録画した番組を観まくる。
気がつくと時計は12時をとっくに過ぎている。
急いでお風呂に向かい、シャワーを浴びる。
浴槽にお湯を張って入ることは滅多になくなった。浴槽にお湯を張ると、あとで洗るのが面倒。シャワーが多いのは、それだけの理由。
それでも、寒く、温まりたい時は湯船にお湯を張り、ゆっくりおふろタイムを楽しむ。

湯から上がり、しばしテレビを観ながらくつろいでいると、時計は早午前2時を指している。
戸締まりを確認して、いそいそと夫が眠る寝室に入り、並べた布団に滑り込む。
午前2時に寝れば、朝早くは起きられない。

私たち夫婦は、それぞれ違うルーティンで暮らしている。
いまのところ、それには二人とも何の不満もない。
強いて言えば、夫からもう少しだけ早く起きたらと言われたこと。
私も、それには同感だが、一度できたルーティンはなかなか変えられない。

こんな感じ、私たち夫婦は毎日を暮らしている。

2章につづく。


毎日、抗がん剤治療で過酷な日々を送っている。体力も落ちた。すぐそばのトイレに行くのさえ、立ちくらみがし、息切れがする。少し体調がよくなって、ブログを書くが、それだけでかなり疲れる。
だけど、そんな中でも、時には書きたい❗という衝動にかられ、どうでもいいことを書き連ねる。それがいまの私だ。

いまの私の唯一の楽しみは妄想を描くことだ。
それは、変哲のない日々を夢見ることだ。

私は、それなりに整理整頓はする方だ。
定期的に断捨離はするものの
それでも部屋は物で溢れてしまう。
物がない、ガランとした空間に憧れる。

夫はものを持つことをいたく嫌う。
洋服も着た切り雀状態。
買うのも選ぶのも面倒なのかと思い
それなりのものを見繕って渡すと
なぜ買ったのかと❗と叱られる。
そんな夫が、本棚の本を処分していいかと聞いたので、いいよと言ったら
さっそく業者を呼んで処分したと報告があった。
きくと、一冊残らず売ったと言う。
「えっ❗」と思ったけど、売ってしまったものはしょうがない。大した本を持っているわけでもないが、それでも一万円を手に入れたらしい。

いまの私は、家に戻って、夫とふたりで断捨離をして、すっきりした部屋でシンプルに暮らすのが夢だ。
病床ブログは、長く続けていると本人的には宇佐を吐き出すにはいいものの、読んでいる人は閉塞感に陥る。
私もそんなことは本意ではない。
つらいことが多いけど、つらいからこそ
希望を持ちたい‼

嫌なことに、突然書きたい衝動にかられる私である。

なので、これからはつまらないと思われるかもしれないけれど、夫とのシンプルな生活を夢見て、私小説仕立ての妄想生活を書いてみたいと思う。小説なので若干現実とは違うし、かなり話を盛るかもしれない(笑)
体の調子のいい時しか書けないので
投稿は不定期になると思います。
まー、自己満足の内容になると思いますが
気が向けば読んでやってください。

甲ご期待を(#^.^#)