気がつくと、まもなく姫路着のアナウンスがなっていた。

いろいろ振り返っていると4時間なんてあっという間だった。(ブログ的にはかなりの長旅だが・・・)

重たい足を引きずりながら、姫路駅のホームに下りた。

肉体的にも精神的にも疲れていた。


両親が姫路に所用があると言うことで迎えに来てくれていた。

ありがたい。

しかし、よくよく聞くと、私の運転で帰るようだ。

複雑だ。。。

無事実家に到着し、久しぶりに家族と会う。

妻は、私に会うなりこう言った。「あれ!?丸坊主ちゃうやん。」

おいおい。傷口に辛子を塗るなよ・・・・ってな感じである。

「ノリが1回戦勝ってくれたから、丸めんでよかったねん。」

「なんや、負けたって聞いたから、丸坊主や思って、楽しみにしてたのに。」

東京に行く前、1回戦でまけたら丸坊主にすると豪語していた。

でも、私が投げていたら、本当に丸坊主だったかもしれない。


実家に着き、気分的にほっとしたのか、疲れがいきなり押し寄せてきた。

と、同時に私のへこみ様も尋常ではなかったのだろう。

あとで妻が「たかが草野球やん。」そう、つぶやいた。

そうだ、たかが草野球だ。でも、私にとっては単なる草野球ではない。

妻は、東京に行く前の練習や走り込み、投げ込みなどの自主トレもよく知っていたので、そんな声をかけてくれたのだろう。

家族にまで気を使わせて、、、、、本当に情けない気持ちになった。


その晩は、20時に子供と風呂に入り、21時には爆睡だった。


翌日は、家族そろって京都に帰る。

実家にお世話になったとお礼を告げて、車に乗り込み、久しぶりの我が家へ向かった。

夏の暑い午後だった。


その後、練習はシートバッティングにうつった。

試合を想定し、投げるというものである。

ここはプレートから投げられたため、先ほどよりは制球も安定していた。

しかし、ちょくちょく球が右にそれ、死球になりそうになる。実際、一人に当ててしまった。

これがかなり気になっていた。

しかし何とか投げきり、交代した。立ちくらみがしていた。


それよりもどうもマウンドに犬のう○こが落ちていたらしく、どうも私はそれを踏みつけてしまっていたようである。

投げるたびに何とも言えない悪臭が漂い、「私の加齢臭はう○この臭いなのか。。。」と悩みながら投げていた。

しかし、う○こに気づき、ホッとしたものの、これまたサウナのような便所で洗い落とす作業は想像以上に体力を消耗した。

この時点で、フラフラである。


練習が終わったのは11:30ごろであった。

炎天下の中、3時間半もやっていた・・・・・。

確か練習を始める前、ツジ課長は「今日の練習は、無理はしない。怪我があったら元も子もないから。2時間程度で終わる予定でいくので、みんな短期集中でがんばっていこう!」とおっしゃっていたはずなのに。

ツジ課長も野球が好きなんだ。

時間を忘れてやってたもんね。


暑い暑い、夏の日だった。

でも、なんとも印象に残る思い出深い日となった。

帰りに寄ったローソンのクーラーが精気をくれた。

東京はもっと暑いはずだ、酒飲んでる場合じゃない、気合入れなきゃ。

そう強く思い、東京への決意を新たにした。

東京遠征の練習は、先にも述べたとおり、平日練習と休日練習に分けてとりくんだ。

特に最後の休日練習はきつかった。

と、いうより前日に大阪への出張業務があり、業務終了後、他部署の職員と慰労をしたのが間違いだった。


当日の朝、天候は快晴中の快晴。

練習開始は8:00からだったので、それに間に合うようにグラウンドに行った。

多くの選手は集まっていた。

練習に入る前に出来上がったばかりの新ユニフォームが監督の手から配られた。

みんな少年のようにはしゃぎ、かっこいい!と連呼していた。

そのまま、新ユニフォームを着て練習する者、練習で汚すのはいやだと着ない者、それぞれであった。


気温は吐き気がするほど高かった。

体中から、昨日摂取したアルコールが吹き出ていた。

「あぁ、飲むんじゃなかった。。。。。」後悔してももう遅い。

最初は、同じ部署の後輩と二人でちょっと晩御飯を食べて帰る予定だった。

ところがたまたま他部署でも行くということを聞き、一緒にいこうかということになった。

私は初対面やめったにいけない人と杯を交わすのが好きな性格である。

昨日も初めてご一緒する人がいたので、行ってしまった始末である。

のどがカラカラだったということもあり、調子に乗ってしまった。

しかし、私以上に同席していた後輩のほうが調子に乗っており、かなりの勢いでいっていた。

断ることもできた、しかし、ここで断るとせっかく楽しく飲んでいるところに水を差してしまう。

私は、場をしらけさすことも何よりも嫌いだ。

そのまま、二次会に行き、帰宅したのは12時ごろであった。

帰るなり次の日の準備をし、とりあえず布団に入って寝た。


そんなことがあり、練習はかなりきついものになってしまった。

フリーバッティングが始まり、ツジ課長より、投手をするように言われた。

それもホームプレートより2メートルほど前から投げろとの指示であった。

「そんな、無茶な・・・・。」普通の人なら楽に投げられて喜ぶところであるが、私の場合はそうではない。

距離が狂ったり、力をぬいて投げたりするのはできないたちである。

その結果、ストライクが入らず、かなりの数の球を投げてしまった。

この時点でバテバテである。

誰よりもみんなを引っ張っていかなければならない主将がまっさきにバテていたのでは話にならない。

主将失格だ。

それぞれの背番号を確認するのと平行して、新ユニフォームの作製に取りかかった。

庶務のハマとチンパンが中心となり、カタログやサンプルを取り寄せ検討を進めた。

慣例から言えば、本学の硬式野球部が縦じまであるため、それに準じて職員野球部も縦じまだった。

その点を踏まえ、デザインをいろいろ検討していた。

ある日、ハマとチンパンが最終決定の打ち合わせをすると聞きつけ、やじ馬がてらその打ち合わせに参加した。

そこで、いろんな意見を交わした。

最終的には下記の3案が提案された。


A案は、オーソドックスな縦じまベース。

B案は、縦じまではないものの過去のユニフォームを踏襲したようなデザイン。

C案は、今までにない斬新なスタイルをベースとしたデザインである。


それぞれメンバーに意見を聞いたところ、C案が圧倒的支持を得た。

特に女性(マネージャー)からの指示が大きかった。

私もC案はけっこうお気に入りであったが、いまどきのデザインであるため、飽きがくるのではないかと危惧した。

しかし、みんなの意見に従いC案で作製することとなった。


サイズ合わせに来る選手たちの表情は皆明るかった。

東京に対する期待と不安、そんな気持ちが入り交じる中みんなそれぞれ東京で活躍する姿を想像していた。

出来上がりが楽しみである。


このように、問題点を整理し、少しずつ前に進んでいった。

また今回、もうひとつ実現したかったことは新しいユニフォームの作製である。

それに際して、みんなに好きな背番号を聞いた。


憧れの選手の背番号や過去に背負っていた背番号など、みんなそれぞれいろんな思いがあった。

この私もその一人である。


私は「10」がほしかった。

キャプテンナンバーである。

高校以上ではあまり言わないが、少年野球や中学野球ではまだ存在しているのではないだろうか。

主将として、東京に行く以上、この番号を背負いたかった。

ちなみにヤンチャーズでは「18」をつけている。

「自称」エースである。(笑)

何人からかは、18をつけないのかと聞かれたが、職員野球部では、頭から18は、つける気がなかった。

今となってはつけなくてよかったと思っている。(笑)


「10」にしろ「18」にしろ、チームの中では中心となる背番号と思っているし、この番号に誇りを持ってやっている。

何事にもそうだが、取り組む以上、逃げないでぶち当たっていきたいと思っているし、自分で背負えるものは背負うことによって自分を追い詰め、前に出なければならない自分をつくろうと努力している。


たかが背番号。

でも、私にとってはされど背番号である。

これからも、この「10」に恥じない活躍をしたいと気持ちを引き締めた。


次は練習についてである。

基本的には平日練習として毎週水曜日に個人練習を行い、休日練習として、月1回の割合で全体練習か試合を行うことになった。

練習のメニューについても、平日は個人の技量を向上させる練習が多かった。投手なら投げ込み、打者ならフリーバッティングなどだ。
しかし、平日練習は仕事の兼ね合いもあり、多い日で5名程度、少ない日で2名のときもあった。

その影響で、メニューどおりに練習をこなすことは難しかった。

と、言うよりほとんど不可能だった。

ただ、自分としては割り切って取り組んだ。


1人いれば走り込み、壁当てができる。

2人いればキャッチボール、トスバッティングができる。

3人いれば、フリーバッティング、ノックができる。

4人いれば何でもできる。


そう考えると、少人数でも全然苦痛ではなかった。

平日に白球を握れるだけでうれしかったし、大学の施設での練習は、本当にもったいないくらいの環境の中で練習ができる。

本当に幸せというか何とも充実した日々だった。

自分でも、心底野球バカだと思った。死ななきゃ治らない。(笑)


また、休日練習は休みの日に集まって連係プレーなどの練習を行った。

しかし、この練習でも9名ぎりぎりのことが多かった。

基本的に連係プレーを中心としたメニューを作ったが、少人数ではとうてい実践できるものではなかった。

その上、試合をするにしても対戦相手が見つからず、また、見つかったとしても雨のため中止になるなど、思うようにいかなかった。


とにかく、そのような状況の中、できることからしていこうと考え、それぞれの役割の中で、みんな取り組んだ。

ただ、最大の不安材料はキャリア(試合経験)がないということ、練習量が不足し、かつ試合慣れしていないメンバーがどこまでできるのか、かなり険しい道のりが続いた。


もう東京遠征は目の前だった。

どこまでできるかわからないが、できることは精一杯して悔いのない遠征にしたい。

気持ちばかり焦る中、ただただ、必死で汗を流した。

さて、職員野球部の話に戻ろう。

先の依頼に基づき十数名から、積極的に参加するという返事をもらった。

今後このメンバーが新生職員野球部の正規メンバーとなる。

次は東京遠征を実現させるために中心となる運営メンバーを組織することとなった。


まずは主将を決めなければならない。

主将を決めるに際しても、若手で集まりミーティングで議論をした。

職員野球部は勝つためのチームである。その主将になる者は、野球を熟知している者がよいとの意見があり、さまざまな激論が交わされた。

最終的には、野球の技術的なことはほとんど知らないが、ヤンチャーズでも主将を務めているということもあり、私に白羽の矢が立った。

職員野球部の主将を努めることについては、ヤンチャーズのメンバーが助けてくれると信じていたので、特に不安はなかった。

私を中心に役割分担を行い、東京遠征に必要なこととして、下記の担当を作った。


◆渉外:遠征に当たって練習や試合をする際の交渉・調整や東京での宿泊先や旅券の手配を担当する。

◆庶務:ユニフォームの作製を担当する。

◆会計:文字通り会費の徴収から始まり、出納を担当する。

◆プレイングコーチ:練習内容を整理し、練習中の技術的指導を行う。


これについて、運営メンバーを決定し、監督に承認をもらった後、下記メールを全職員野球部に送った。

==============

職員野球部 各位


先般よりメール等でお知らせしておりますとおり、今年度の夏は私立大学連盟の野球大会(通称:東京遠征)に参加しようと考えます。

行くからには「勝ち」にこだわり、悔いのない試合をしたいと考えます。
そこで先日、若手で集まり話し合った結果、まず、中心的に動く運営スタッフを固め、進めていかないと何事も始まらないのではとの結論になりました。
ついては、資料のとおり運営スタッフの案を考え、監督に意見を伺ったところ、了承されました。
(また、今年度の主将については、私が務めさせて頂きます。至らぬ点が多々あろうかと思いますが、お許しいただき、同時にみなさまのご協力をいただきながら取り組んでいきたいと思っております。よろしくお願いいたします。)

今後は、このメンバーを中心に東京遠征を実現したいと考えますが、このメンバーだけではとうてい東京遠征は実現出来るわけがなく、みなさまのご協力があってこそ実現します。

その点をふまえ、ともに東京での勝利を分かち合えるメンバーを募りたいと考えます。
ついては、一緒に東京を目指そうと言われる方は、お返事頂けますようよろしくお願いいたします。
みなさまのご協力をお待ちしています。


=================


この担当を中心に職員野球部を動かしていく。

まだまだ道のりは長い。。。。

このヤンチャーズ、月2日の活動日を有効に利用し、年間30試合以上をこなしていた。

基本的には練習はない、試合のみの活動である。

そしてシーズン最後に納会において成績発表を行い、罰ゲームの対象者を発表し、恐怖の儀式が執り行われる。

しかし、年々集まりが悪くなり、試合をこなすのが困難な状況になってきた。

登録メンバーは16人ほどいるのに、いつも9人集めるのに一苦労だった。

そしてその9人のほとんどが、職員野球部と兼務している者たちであった。

この兼務している者たちは本当に野球が好きなのであろう。


また、ヤンチャーズが中心となって大会も開催してきた。

6チーム集め、1日かけて試合をするというものだ。

これのおもしろいところは1日3試合するため、投手の使い方で成績が大きく左右される。

たとえすごい投手がいたとしても、3試合投げられる訳がないので、優勝できるとは限らない。

しかし、ヤンチャーズも主催者であるにもかかわらず、いままで1度も優勝したことがない。

いつか優勝したいと願っている。


もう一つ、静岡にある草野球チームとの交流試合もヤンチャーズの重要イベントとなっている。

この静岡にあるチームが京都に遠征したいということで対戦相手を探すべくHPをみていたところ、ヤンチャーズのHPにぶち当たり、対戦申し込みがあったことが始まりである。

その後、春に京都にきてもらい、秋には私たちが静岡に出向いて試合をするというつきあいを続けている。

しかし、このチーム、チームカラーも私たちによく似ていて、非常につきあいやすくおもしろい。

皆、メインイベントとして取り組んでいる。


そのような活動の中、ヤンチャーズも8年続いた。

みんな、この8年で野球の楽しさは十分理解できたと思う。

しかし、このヤンチャーズの活動の中にも変化が訪れようとしていた。


ヤンチャーズの運営にあたり、チームの約束を作り、その約束に基づいてチーム運営を行った。

約束には、先発メンバーをくじ引きで決定し、試合の半分(4回あたり)で必ず選手の交代をすることが義務づけられていた。

こうすることによって、参加した全員が試合に出られるようになる。

同時に勝敗にこだわることなく、参加者が野球って楽しいなぁ。と思えることを優先した。


しかし、相手あっての試合なので、楽しいだけで、ダラダラしていてはだめである。

ビリッとした状況を作るために、年間を通して成績を付け、成績が悪いものには罰ゲームを課すということにした。これにより、試合やプレーを適当にするわけにはいかない。適当にやると自分に災いがふりかかる。

皆それなりにできる範囲でベストを尽くした。へたくそもそれなりに努力した。

その結果、皆楽しむことができ、職員になって初めて野球をしたという者も入部し、新人選手の獲得もできた。

そのおかげで、ヤンチャーズはみるみる拡大していった。


でも、ある意味では、ヤンチャーズの存在は職員野球部に対する反逆行為であったかとも思う。

これにより、職員野球部を分裂させてしまったからである。


私も職員野球部との兼ね合いでは悩んだし、監督はじめ職員野球部で活動されていた年配の方にとってはなんとも生意気な動きであったと思う。

監督もできることなら全員を使って試合をしたかったと思うが、勝つためにはできないということもわかっていた。

でも、私自身も素直に野球を楽しみたかったし、事実、その頃の職員野球部では、楽しむということは難しかった。


新生職員野球部を動かすに当たって、若手の力は欠かせない。

特にヤンチャーズの力は欠かせない。


このヤンチャーズができあがったのも職員野球部の活動がきっかけであった。

職員野球部は「勝ち」にこだわるチームである。

よって、技術の伴わないものは自ずと試合に出る機会は少ない。

しょうがないことである。

しかし、わざわざ休日を返上して職員野球部の試合に参加しても、1日いて代打1回だけとか、ひどいときは出番なし、ということを経験したものにとってはやりきれなかったと思う。

私もその一人だった。

野球に興味があってきたが、結局ユニフォームを着ただけで終わってしまう。練習とかも結構まじめに出てきたのに使ってもらえず、その逆に上手な人は練習に出てこなくても、試合に出て汗を流している。

これでは、へたくそは参加してもつまらない、全然楽しめない。といことになってしまう。

「だったらうまくなれ!」といいたいが、「そこまでして野球したくないよ。」というのが現実である。

こちらもごもっともだ。

予想通り、若い連中を中心に次々と職員野球部を去っていった。


そこでゴリと一緒にいろいろ考え、まずは野球の楽しさを感じてもらうことが重要ではないか。という結論に至った。

その結果、「楽しむ」ことを第1に考えるチームを結成することとなった。


若手が中心となり、「楽しむこと」を第一に考え運営する野球チームの結成。

これがヤンチャーズの始まりである。