次回からはまた、いつもどおりの記事に戻りたいと思います。
もう少しだけ吐き出すのにお付き合いください。
ちょっとセンシティブかもしれませんので、不安な方は読まないでください。
読む人によっては受け取りが異なる内容を書いている事もわかっています。
少し前に
精神科で働いていると、
沢山の死にたい気持ちに触れるだけではなく、
多くの訳ありな人生を目の当たりにしたり、
多くの敵意や暴言と取れるものを日々浴びせられる期間もあります。
身体的にダメージをうけることもあります。
ですので、
全てをきちんと受け止めない、ということは
自分の心を守るために必要です。
それは慣れたわけでも、流すことが上手くなったわけではなく、
一緒に沈んでいくことや、傷つき落ち込むことは、なんの意味もないと理解したからです。
私達は医療者で、
目の前にいる人に必要な医療はなにか、看護はなにかを考えていかなくてはいけない。
考えることが少しずつ上手くはなったのだろうとはおもいます。
私達の患者さんのためにならない感情は医療において脇役だし、出してはいけない。
患者さんには関係がないのだから、と先輩に言われてきたし、そう思っています。
それが正しいか、本当に自分がきついときに出来ていたかは置いといてです。
だからといって全く落ち込まないわけ無いし、傷つかないこともないです。
悲しくもなるし、虚しさを感じることもあります。
これに耐えきれず移動していく人も多くいました。
総合病院でしたので、身体科から移動してくるとギャップが大きかったのでしょう。
私も、毎日暴言を浴びていた時期には辞めたいと思ったこともありました。
発散のために、夜中に数時間かけて煮込み料理をし、無心で鍋を混ぜ続けたこともあります。
(私は食に走る傾向があります)
でも乗り越えてこれたのはその数倍のやりがいや嬉しかったことがあったからだと思います。
死、というワードはセンシティブだとわかっていますが、病院で働く以上、身近なワードでもあります。
しかし、精神科においては
精神科医療に慣れてないスタッフのほうが、危機感は薄いことが多いです。
長くなれば、沢山の経験をしていきます。
悔しい思いもするし、どうして?と思うこともあります。
何か、見落としてしまったんだろうか
あの時本当はもっと言いたいことがあったんじゃないか、そんな事も多く考えてきました。
思っている以上に、突然に、あっけなく、人は死のうとするし、死んでしまいます。
でも、それを精神科経験が少なければ少ないほど知らない。
身近にそういう経験がなければないほど知らない。
だから慎重にもなるし、
知っていてもらいたいと思ってしまうのです。
慎重になればなるほど、
思い過ごしだったと思うことも多くなります。
でも、思い過ごしのほうがいいに決まってますよね。
私達が危険だと言っても、ご家族が大丈夫ですと無理矢理連れて帰られることもあります。
たいていは確かに大丈夫なんです。
でも、残念な結果になってしまうことも少なくはないです。
そういう経験をする人が少なくなればいいのにと思っています。
そのためには知ってもらわないと、と思っています。
まとまりのない文章ですみません。
書けない経験も沢山しました。
オブラートにもこれ以上はつつめません。
確かに、いろんなことを経験して、医療職じゃない人にとってショックな内容とそうじゃない内容の境目はわかりません。
そこはこういう内容を書いている以上、踏んでしまうことをご理解いただきたいです。
私が思っていることをあんまり書きすぎるのも良くないかなとも思ったんですが、一応こういう事考えて、もっと色んなことが広まればいいなと思ってる、って伝わったほうがいいのかなとも思い書きました。
お付き合い頂きありがとうございました。
いつも読んでいただきありがとうございます。
次回からはまた精神看護を書いていきます!
よろしくお願いします。