前回のブログは、

良かれと親切心から行った行動を、相手から拒否された出来事について取り上げました。

メッセージアプリでのやり取りでしたが、

拒否の文面が私には冷たく感じ、イラッと来たのです。

 

そのイラッムキーが、イライラ→ムカムカに次第に変化し、

いてもたってもいられず、ノート(日記)を広げて、

思いの丈を自然と出てくるままに、がーーっと書き綴りまして、

ざっくりと分類すると、大きく3つになりました。

① 個別の事情があることが見えてきた

✔︎私は純粋に「相手のために助けになれば」と思ってやっていたけど、

 相手がどう受け取って反応してくるかはコントロールできない 

✔︎助けを拒否するのは、相手の自由だし権利でもある 

✔︎年齢的にスマホやICTに苦手意識があって、

 新しい事に馴染めない壁や行き場のない苛立ちがあったかもしれない

✔︎それらが心の余裕を奪い、冷たい返答になった可能性もある 

✔︎私とは別の人間であるし、違っていて当たり前なんだ

✔︎私の行為が無駄だったとは思わないし、誰かのために動くということは、

 心がそれなりに丈夫であるという証拠

② 自分の価値観がはっきり見えてきた

✔︎冷たい対応をしていたら、絆が深まるような関係性になりにくいし、

 離れていく人もいるだろうし、助けを受けられず孤立してしまうと思う

✔︎誰かが親切に助けてくれることは、当たり前ではない

✔︎もし私のためを思ってして貰えたこと、時間や手間をかけて貰えたことがあったら、

 まずは感謝と労いを伝えたい

③子どもの頃の自分の嫌だった部分を相手に見ていた

✔︎ここ数日こればかり考えていて、相手のことに執着しているような気がするけど、なぜだろう? 

✔︎なんだろう……ああ!そうだ!嫌な性格だと思っていた子どもの頃の私にそっくりなんだ……と気づく 

“子どもの頃の私は、親にとってのいい子ちゃんでいる一方、それが窮屈すぎて、友達に対して毒舌になって憂さ晴らししてたのだった!いつか友達が、そんな私に嫌気を刺して離れてしまうんじゃないかと内心は不安だった…” 

✔︎相手の毒舌ぶりと重ねてた!…まさか、過去にオサラバした自分と再会するとは!

✔︎きっと相手には相手の事情があって、毒舌で強く出なければならない理由が他にもあったかもしれない 

✔︎だから、相手と自分の課題を分離して、ちゃんと境界線を引こう

✔︎当時の子どもの私とはオサラバしたと思っていたけど、こうやって姿を現すということは、

 ちゃんと存在を認めて、癒す機会が必要だよ!ということ

 


 

私にとってイライラは、「何か課題があるんじゃないか」と

示唆してくれているような気がしています。

 

数日間、中断しながらもイライラの根っこに向き合っていくと、

この出来事が、私を映し出す鏡になっていることがあります。

 

価値観とか行動方針が見えてくることもあって、感情って面白いなあと思います。