ヨーロッパ4か国周遊の旅(110)  <6日目:ベルリン散策⑨ ベーベル広場とフンボルト大学> | Qの乗りつぶしニッポン

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日本国内のJR、私鉄の乗りつぶしを中心にぷらっと旅に出かけています。ここ数年は鉄路のない自治体へ路線バス等を利用して市区町村の塗りつぶしする機会が増えてきております。

ジャンダルメン広場から歩いてみる。

 

ベーベル広場[Bebelplatz]にやってきた。広場東側で改装工事中(?)なのはベルリン国立歌劇場[Staatsoper Unter den Linden]。私が訪れた2013年に工事が完成する予定だったが、実際には2017年になったようだ。

 

広場の南側にはホテル デ ローマ、ア ロッコ フォルテ ホテル[Hotel de Rome, a Rocco Forte Hotel]とその左には聖ヘドヴィッヒ大聖堂[St. Hedwigs-Kathedrale Berlin]。ホテルはドイツ三大銀行の1つだったドレスナー銀行(コメルツ銀行と合併、消滅)の本部だった建物で、昔の宝石金庫室はプール、銀行窓口は大ホールとして利用されている。聖ヘドヴィッヒ大聖堂は宗教革命後にベルリンで最初に建てられたカトリックの教会で、第二次世界大戦で損傷し、戦後復元されたものの、ドームの一部に欠陥が見つかり2020年から改修工事に入る予定。

 

ベルリン国立歌劇場の目の前にあるのが、フンボルト大学[Humboldt-Universität zu Berlin]の法学部、法科大学院、図書館。

 

なかなかおしゃれな外観だと思う。

 

ベーベル広場の北側、ウンター・デン・リンデンの向こう側にはフンボルト大学の本館。フンボルト大学は1810年に言語学者であったヴィルヘルム・フォン・フンボルト[Friedrich Wilhelm Christian Karl Ferdinand Freiherr von Humboldt]が創始者で、昔はフリードリヒ・ヴィルヘルム大学[Friedrich-Wilhelms-Universität]であったが、ドイツ再統一後に改称された。プロイセン王国時代にナポレオン軍との戦いによって国家が衰退する危機に陥り、その脱却と教育の近代化を目的として創設された。

 

因みに“フンボルト”と聞くと、『フンボルトペンギン』を思い出す人が多いと思うが、このフンボルトはヴィルヘルム・フォン・フンボルトの弟で地理学者のアレクサンダー・フォン・フンボルト[Friedrich Heinrich Alexander, Freiherr von Humboldt]が、南米ペルー辺りの海流を調査したことで「フンボルト海流」の名前が付き、その海流辺りで生息するペンギンということで『フンボルトペンギン』と名付けられたもの。左のバスの上辺りに見えるのが創始者のヴィルヘルム・フォン・フンボルトの像、右の人の上辺りに見えるのがその弟のアレクサンダー・フォン・フンボルトの像。

 

フンボルト大学本館前。右に見えるのがアレクサンダー・フォン・フンボルトの像。私が泊まっていたホテルの前にある森鴎外記念館はこのフンボルト大学の施設の1つでもある。

 

ウンター・デン・リンデンの真ん中に立つフリードリヒ大王騎馬像[Reiterstandbild Friedrichs des Großen]。第二次世界大戦中はコンクリートで保護され、その後ポツダムのサンスーシー公園に運ばれ、1980年に再びこの場所に設置された。

 

ウンター・デン・リンデンの東側を見る。四角い建物はドイツ歴史博物館[Deutsches Historisches Museum]、その向こうの青いドーム屋根はベルリン大聖堂[Berliner Dom]、その奥にベルリンテレビ塔が見える。

 

建物の前では何かよくわからない大道芸(?)をやっていた。

 

フンボルト大学前から見るベルリン国立歌劇場。

 

色々と撮影してきたが、充電器を忘れてきたので一旦ホテルへ戻る。シュターツオーパー(国立歌劇場)[Staatsoper]バス停からバスに乗る。

 

テーゲル空港行きのTXL線に乗る。床はゴミが落ちていて意外と汚い。

 

だけど、頻度良く運行しているこの路線には本当助けられたな。

 

<つづく>