文字として残しておきたくて 

 


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クローバークローバークローバークローバークローバークローバー
このブログは
統合失調感情障がいの息子との
日々を書いています
(時々、双極II型の娘とのことも…)

クローバークローバークローバークローバークローバークローバー


この病気が100人にひとりと
言われている割に、
あまり知られていないので

 

このブログを通して
同じ立場の方々との繋がりが
できますように。

そして、
小さなことにも幸せを
見つけ出して
分かち合えますように。

 

これからも

どうぞよろしく

お願いします!
 

アラカンになりつつある
おりおん
ウインクドキドキ
 

 

はじめましての方は

🔻こちらをどうぞ

 

 



前の記事🔻で書いた97歳の同信の大先輩、

Wさんのお話の続きです。



Wさんは大正15年生まれの97歳。

生まれたのが大正の最後の年なので

昭和の歴史と共に生きてこられたことになります。



お父様は実業家でしたが、

非嫡出子として生まれられたので

普段はお母様と妹さんと3人で

暮らしていたそうです。


たまにお父様が来られた時には

必要なだけお小遣いを貰って、

不自由のない生活を楽しんでられたよう。


「手のひらを出せば必ずお金がもらえるような

そんな生活をしていたものだから、

今はお金がないのに、

いつもあるような顔をしていると

言われるんよねー」

と笑われます。


実際、今、住んでおられるのは

郊外の小さな古家だし

お世辞にも良い暮らしをしておられる訳ではありません。




さて、お父様の会社はアルミを扱う工場で

戦時は零戦の部品を扱っていたようです。

出来上がったばかりの零戦を見に行ったこともあったそうで、興奮したと。

それがそのまま終戦を迎えて、

用無しになったことが、今も悔しくて忘れられないと。


いつ国のために死んでも構わないというくらいの

気概で生きていたものよ。


と、話されるときの顔はいつもイキイキされているのです。

日本の一大事の時代に青春を賭けていた世代。

紛れもなくそれが彼女の誇らしい青春だったのだと思います。


私の舅も、戦時下に内地で訓練を受けていた時の話を、

いつも誇らしげに話していました。


体力も気力もある10代後半ですものね。

戦後、人からなんと言われようと、

日本のために頑張っていた自負は消えないのだと思っています。




さてそんな時代に会社を経営されていた

Wさんのお父様が、

「どんなに順風満帆の時でも、神仏を大切にせよ」などと心得を書いた巻き物が出てきて、

見せてもらったことがあります。


明治のおやじで実業家だったというのですから

しっかりしたお父様だったことが窺い知れます。



正妻さんに子供ができなかったので、

Wさんたち姉妹は相当可愛がられたのでしょうね。


そのかわり、正妻さんとたまに顔を合わせると、

露骨な嫌がらせを受けたと言います。




そして、お父様が亡くなられた時、

親族一同が結束して

一文もWさん達に相続されることはなかったようです。


また、地元の合唱団で知り合った

総合商社勤めの男性とご結婚されたのに、

ご主人は相談もなく早々に退職して、

録音スタジオを作ったんですって。


「私はつくづくお金に縁がない人生なのよ」



最初に生まれた子どもに障がいがわかって

耳が全く聞こえていないことが判明した時、

近くにあった古墳のお堀に

その子と一緒に飛び込もうかと

何度思ったか分からないと

おっしゃいました。


その頃に、

「親の愛以上のもので子どもを育てていくのよ」と、義理のお姉さんから誘われて

キリストの信仰を持つようになられたそうです。



ご主人の自営のお仕事が、どれほどだったのかは知りませんが、

Wさんは洋裁をしながら家計を助けておられて、

毎年、暮れになると締めを前にして、

大量の縫い物を片付けていたそうです。

そのためお正月を迎えると疲れがどっと出て

毎年のように体調を崩して寝ていたそうです。



そのせいかどうか知りませんが、

年を取ってからも、お正月が過ぎる頃には、

気管支炎を起こしてよく寝込まれていました。


「また冬眠しているのよ」

と明るく話されます。

そして啓蟄の頃に、元気を回復されて

私たちの礼拝に出てきて下さるのでした。



またWさんは自死遺族でもあられます。

1人になってしまわれてからは、聾唖の息子さん家族と住むようになりました。



目や耳や口は今もお元気ですが、

脊椎間狭窄症で腰から下は

いつも氷のように冷たくて、

棒のような足を動かすのに

アイタタタ…と、一苦労。



家の中は、なんとか手すりに縋りついて

歩いておられるし、手押し車で外出もされます。

(なんとひとりで!)


先の記事で、良い老後を迎えるための箇条書きを載せましたが、

そこにもう一つ付け加えるなら


ひとつ、人に自分のことを話すときは、

軽みとユーモアの味付けをして話す


🔺これがあるかなと、書いていて、

思い立ちました。




ここには書けないようなご苦労を

今もされているのを

私は知っていますが、

さらりと愚痴っぽくなく吐き出されています。

深刻にならずに

一緒に笑い飛ばして、おしまい。


どうか100歳を目指して

いつも笑顔のWさんでいて欲しいと

心から願っています。