日本最初のカラー映画は1951年(昭和26年)木下恵介監督、高峰秀子主演の【カルメン故郷に帰る】である。
僕は少し驚いた。戦前には日本製のカラー映画はなかったのだ。
映画の国アメリカは当然戦前からカラー映画は有った分けで
小林信彦の長編小説【僕達の好きな戦争】を読むと、ミュージカル映画やディズニーのアニメの総天然色の美しさ、1933年に公開されたキングコングの特撮の凄さから
こんな国と戦争しても勝てるはずがないと云う少年の素直な心の吐露がある(そんな事を口に出せぬ時代だが)恐らく少年は小林信彦自身だろう。
総天然色とは全編カラーと云う意味だ。つまり全編カラーでない映画もあり、これをバートカラー映画と呼ぶ。
時代が進むと技法としてのパートカラー映画が出て来る。黒澤明の「天国と地獄」みたいに。スビルバークの「チャンドラーのリスト」も
だが戦後直ぐは日本が貧しくカラーは中々使えない。しかし白黒画面では観客動員を望めないジャンルの映画があった。
それが「おピンク映画」とか「お色気映画」とか呼ばれた大蔵映画株式会社だ。
ポルノという言葉は日活ロマンポルノから始まる。
だが大蔵映画も総天然色で作る金はない。思案の末に観客は濡場しか観ないから濡場だけカラーにしてしまえという事になる。
僕は新世界にあった名画座でこの大蔵映画の特集を見た。「おピンク映画」と云っても多寡が知れている
裏ビデオのように赤貝の中で松茸がドデスカデンデンと暴れるシーンなどは皆無だ。
何故か知らないが農村の人妻の設定が多くて、白っぽい粗末なブラウスに黒っぽいモンペを穿いて畑に立っている。美人でもないのが妙にリアルなのだ。こに人妻の義理の弟が現れる。
「義姉さん。前から好きだった!」
「ああ!いけないわ!私には夫が、夫が!」
なんちゆうド定番でRか!だが画面が急にカラーに代わる。白っぽいブラウスはクリーム色で、下は千鳥柄の濃紺のモンペだ。
そしてあぜ道でおっぱじめる。
「いけないわ!和男さん!不義は、不義はいけない!」
「美し過ぎる義姉さんが悪い!」
とか云いながらモンペと肌色のズロースを脱がすと人妻の熟れた尻が現れる。カラーだから深みのある白さだ。
そしてあぜ道でわんわんスタイルでやり始める。荒唐無稽だ。犬猫の盛りじゃあるまいし。
但し画面は服を着てる上半身だけだから現代ならピンク映画にも価しない。だが画面に惹き込まれる。
画面を観ながら足りない部分を観る人間が想像力で補うのは表現の本質だ。良い小説や絵画には必ず余白がある。
赤貝と松茸にすぐ飽きるのは想像力が入り込む余地がないからだ。