男の嗜みとして
色々なことを挙げることができる。
ここで具体例を濁したのは
私はカテゴライズすると
草食系男子に該当するために
石原軍団のような「THE☆男」といった方達の嗜みが全く思いつかないのである。
しかし、ひとつだけは思い当たる節がある。
それは、洋楽を聴くことである。
車内のBGMが洋楽だったなら
ドライブデートは成功間違い無しだろう。
ここで重要なことは
邦楽ではなく、洋楽であることだ。
それ故に「嗜み」と呼ばれる訳である。
奏でられるリズムがビートを刻み
ポップコーンが出来上がるの時のように
我々の心を弾ませてくれるという、例のやつである。
そこには邦楽には無い何かがあるのだが
まだ洋楽ビギナーの私には分かっていない。
もう少しのお時間をいただきたい。
私はこれまで洋楽に対しては
アンチの姿勢を貫いてきた。
理由は単に、何を言ってるのか分からないからである。
楽曲とは、リズムと歌詞が絡み合うことで
はじめて人の心に響いてくるものであって
そのどちらかでも欠けてしまってはならないと思っていた。
そのため、歌詞が聞き取れない洋楽は好みではなかった。
もちろん、このために英語を勉強しようという気はさらさら無いことは改めて言うまでもない。
しかし、フェスというものに
2回ほど足を運んでみたところ
私のなかの何がが変化したのである。
聴衆の全員が曲のリズムに乗って
それぞれ思い思いに体を揺らしているのを目の当たりにして
私もそれに合わせて体を揺らしてみたところ
それが非常に心地良かったのである。
これを機に、楽曲はリズムが大事だという結論に至った。
周りに流されて、自分の考えを安易に改めてしまう薄っぺらい男だという批判は甘んじで受け入れる。
しかし、物事は何事も初めて体験してみて分かることがあるものだ。
要するにセックスだけではなく、あらゆる童貞を捨て去ることで、自分の価値観を広げていくのだ。
これは実に、いいことを言った。
このようなことがあったため
私はすぐに歌姫テイラースウィフト氏のアルバムをインターネットで購入した。
輸入版というものの方が安かったため
そちらを選択したのだが
注文してから2週間経っても届かないので
私は一向に洋楽に親しめない怒りと怒りを込めて
業者に、どうなっているのかという趣旨のメールを送信した。
業者からの返信は
テイラースウィフト氏のアルバムを待っている時間が嘘のような早さで翌日に来た。
それにより、私は大きな勘違いをしていることを知らされたのである。
輸入版とは、もうすでに輸入されていると思っていたのだが
これから輸入しますということであったようだ。
つまり、私のワクワクとドキドキがぎゅっと詰まっている、テイラースウィフト氏のアルバムは
なんと、本場のカリフォルニアの地から配送されているようなのである。
しかし、私はこれを聞いて非常に興奮した。
私の洋楽に対する想いが
海を超えたアメリカにまで届き
あちらのCDショップの店員を動かしたのである。
これはまさに号外が出る程のビックニュースであり
もし主要新聞紙が取り扱っていただけないのならば
模造紙にデカデカと書いて
紙新聞として貼り出してやる所存である。
小学生の時に、紙新聞童貞を捨てておいて良かった。
そうして私は紆余曲折を経て
ついに本場からやってきたアルバムを手にしたのである。
私の洋楽童貞は彼女に捧げることにする。
私には生憎であるが
日々、私に迫り来る
怠惰、疲労、嫌気、不毛やその他諸々を
そばにいてくれるだけで
魔法のように、いとも簡単に吹き飛ばしてくれる
彼女という存在がいない。
人生が充実しているか否かを測るものさしは、恋人の有無である。
これを基準として、物事を推測すると
青春時代を構成する大切な要素が欠落しているのだ。
私の輝かしくあるべきはずの青春は
一昔前に名を馳せた姉歯物件よりも
構造上、容易にぐらついてしまうものとなり
ほんの少しの衝撃で、いとも簡単に崩れ落ちてしまうのであろう。
そして、実際に幾度か崩れ落ちたのである。
これは後日談となるが
原告も被告も私であるこの件の裁判は
原告側の、あるべきはずの青春に対する賠償請求に対して
被告側の、最善を尽くしたために
賠償請求は受け入れられないといった
どちらの主張も裁判官である私の心を打ち
まさに泥沼の様相を呈しているところである。
しかし、この場合の免震対策として
アイドルという存在が非常に大きいとされる。
テレビやパソコン越し見る彼女達は
物理的距離は離れてはいるものの
心理的距離はこちらの思い込み次第でどうにでもなるのである。
現在はそうしたアイドル達が乱立しているらしく
言わば、アイドル戦国時代であるようだ。
このような時代を迎えることにあたって
元祖戦国時代代表の織田信長は
本能寺にて明智光秀に奇襲された時よりも驚いていることだろう。
私はお下品な女性は
女性として受け入れられない。
具体例を挙げるのは控えることにするが
女性は上品であってほしいという幻想に浸っている一人なのである。
もちろん、アイドルに対しても同様であり
品に対する要求をさらに強く訴えかけたい次第である。
ここで残念ながら
私のふるいにかけられて
あふれてしまったとしても
世の中にはあらゆる面において
私よりも優れた男性がごまんといるため
女性のみなさんは安心して網の目から落ちていただきたい。
これからの人生の幸運を保証しよう。
人間には物事に対して
好き嫌いがあることは必然である。
私はどうしても
ももいろクローバーZのことを
これまで好きになれなかった。
それは、彼女達と他のアイドルを比較して
そこにあるべきはずの
品というものを感じることができなかったからである。
しかし、布袋氏が作曲した彼女達の曲は
非常にカッコよく、一度聴いて惚れてしまった。
それからというものの
私は彼女達のファンになりかけている。
好みの女性像、アイドル像として
果たして、品というものは重要なのだろうか。
私がこれまで考えていた品とは
上辺だけを装飾した安っぽいものだったのではないのか。
彼女達は他のアイドル以上に全力でパフォーマンスをする。
曲の後半になると
マイク越しに息が絶え絶えしていることがその証である。
そこには、人間の深いところにある
内面から滲み出す、品があるのだ。
それにこそ、目を向けるべきであったのである。
私の築いてきた女性上品至上主義論は
彼女達によってその内容を上書きされたことは言うまでもない。
人間はやはり、内面にこそ誇りを持つべきである。
そして、これはもちろん
誰よりも私に向けたメッセージであることも言うまでもない。
日々、私に迫り来る
怠惰、疲労、嫌気、不毛やその他諸々を
そばにいてくれるだけで
魔法のように、いとも簡単に吹き飛ばしてくれる
彼女という存在がいない。
人生が充実しているか否かを測るものさしは、恋人の有無である。
これを基準として、物事を推測すると
青春時代を構成する大切な要素が欠落しているのだ。
私の輝かしくあるべきはずの青春は
一昔前に名を馳せた姉歯物件よりも
構造上、容易にぐらついてしまうものとなり
ほんの少しの衝撃で、いとも簡単に崩れ落ちてしまうのであろう。
そして、実際に幾度か崩れ落ちたのである。
これは後日談となるが
原告も被告も私であるこの件の裁判は
原告側の、あるべきはずの青春に対する賠償請求に対して
被告側の、最善を尽くしたために
賠償請求は受け入れられないといった
どちらの主張も裁判官である私の心を打ち
まさに泥沼の様相を呈しているところである。
しかし、この場合の免震対策として
アイドルという存在が非常に大きいとされる。
テレビやパソコン越し見る彼女達は
物理的距離は離れてはいるものの
心理的距離はこちらの思い込み次第でどうにでもなるのである。
現在はそうしたアイドル達が乱立しているらしく
言わば、アイドル戦国時代であるようだ。
このような時代を迎えることにあたって
元祖戦国時代代表の織田信長は
本能寺にて明智光秀に奇襲された時よりも驚いていることだろう。
私はお下品な女性は
女性として受け入れられない。
具体例を挙げるのは控えることにするが
女性は上品であってほしいという幻想に浸っている一人なのである。
もちろん、アイドルに対しても同様であり
品に対する要求をさらに強く訴えかけたい次第である。
ここで残念ながら
私のふるいにかけられて
あふれてしまったとしても
世の中にはあらゆる面において
私よりも優れた男性がごまんといるため
女性のみなさんは安心して網の目から落ちていただきたい。
これからの人生の幸運を保証しよう。
人間には物事に対して
好き嫌いがあることは必然である。
私はどうしても
ももいろクローバーZのことを
これまで好きになれなかった。
それは、彼女達と他のアイドルを比較して
そこにあるべきはずの
品というものを感じることができなかったからである。
しかし、布袋氏が作曲した彼女達の曲は
非常にカッコよく、一度聴いて惚れてしまった。
それからというものの
私は彼女達のファンになりかけている。
好みの女性像、アイドル像として
果たして、品というものは重要なのだろうか。
私がこれまで考えていた品とは
上辺だけを装飾した安っぽいものだったのではないのか。
彼女達は他のアイドル以上に全力でパフォーマンスをする。
曲の後半になると
マイク越しに息が絶え絶えしていることがその証である。
そこには、人間の深いところにある
内面から滲み出す、品があるのだ。
それにこそ、目を向けるべきであったのである。
私の築いてきた女性上品至上主義論は
彼女達によってその内容を上書きされたことは言うまでもない。
人間はやはり、内面にこそ誇りを持つべきである。
そして、これはもちろん
誰よりも私に向けたメッセージであることも言うまでもない。
21世紀を生きる私達にとっては
一家に一台のテレビや洗濯機があることは当然となり
さらに、携帯電話に至っては
一人一台の常識に留まらず
一人二台も使いこなしている場合もある。
現在でいう「両手に花」とは
右手にスマートフォン、左手にガラケーことを指すのである。
ならば、一人一つの必殺技だって
持ち合わせていても、おかしくはないだろう。
必殺技といえば
仮面ライダーでいうと、ライダーキックであり
長州力でいうと、リキ・ラリアットであるのだが
私は幼い頃から
最近になってようやく日の目を見始めてきた
草食系男子であったため
そういう男の子の遊びとは無縁の生活を送ってきた。
そもそも、日常生活において
ライダーキックを喰らわせたところで
我々はヒーローにはなれない。
現実世界はいかなる理由であっても、暴力反対なのである。
きっとこれが人生で初めてぶつかる
理想と現実とのギャップとも言えるのではないだろうか。
カッコよく、リキ・ラリアットを見舞ったところで
先生や保護者に叱られるのがオチである。
時代に合わせて
常識は常に疑わなければならない。
私は当時からそのことをよく把握していたため
私の必殺技は武闘派のものとは距離を置き
もっと実用的であるものにした。
そして、ついに私は
I:嫌なこと
W:は
G:ぐっすり寝て忘れる
P:ぴょん
(通称:IWGP)を習得した次第である。
予め言及をしておくが
最後の「ぴょん」とは
草食系男子の必殺技っぽくしたかったために
語尾に足しただけであって
ミニモニっぽくしたかったためでもなく
通称名をIWGPにしたかったためでもない。
でも響きがどこかで聞いたことがあり
かっこいいような気がするのは
きっと偶然の産物であるに違いない。
事あるごとにモヤモヤした感情を
翌日に持ち込むことを防止できたのは
IWGPのおかげであることは言うまでもない。
しかし、特定の敵に対しては効果が薄すぎて
何度眠りについても全く忘れられないこともある。
それは、失恋である。
こればかりは、眠りについたところで
目が覚めると同時に
現実を目の当たりにしてしまうことで
かえって喪失感や絶望感を増大させてしまう。
これでは、必殺技の矛先が
自分に向けられていることになってしまう。
華の青春時代、大学生時代において
モヤモヤさせる大半の理由は
失恋の類いのものではなかろうか。
それは、この時代においては
人生が充実してるか否かを測るものさしは、恋人の有無であるためである。
つまりは、私の必殺技(IWGP)とは
この点が明らかに欠点なのである。
自分の首を絞めるための必殺技など
クローゼットの奥の奥の奥の奥に閉まっておくべきなのだ。
だいたい、この必殺技の名称が残念すぎる。
文章であるのに加えて
文末に「ぴょん」を付け加えるとは
正気ではない者が考えることである。
必殺技とは、名称からもっとキレのあるものであるべきだ。
もちろん、ライダーキックは
その具体例の一つであることは言うまでもない。
これによって
私の華の大学生時代の半分は
睡眠に費やしたのは、察しの通りである。
寝る子は育つと言われるだけあって
おかげさまで体重だけが
この4年間でみるみると増えていった。
これもまた、失恋が私を手招きしている一因なのかもしれない。
一家に一台のテレビや洗濯機があることは当然となり
さらに、携帯電話に至っては
一人一台の常識に留まらず
一人二台も使いこなしている場合もある。
現在でいう「両手に花」とは
右手にスマートフォン、左手にガラケーことを指すのである。
ならば、一人一つの必殺技だって
持ち合わせていても、おかしくはないだろう。
必殺技といえば
仮面ライダーでいうと、ライダーキックであり
長州力でいうと、リキ・ラリアットであるのだが
私は幼い頃から
最近になってようやく日の目を見始めてきた
草食系男子であったため
そういう男の子の遊びとは無縁の生活を送ってきた。
そもそも、日常生活において
ライダーキックを喰らわせたところで
我々はヒーローにはなれない。
現実世界はいかなる理由であっても、暴力反対なのである。
きっとこれが人生で初めてぶつかる
理想と現実とのギャップとも言えるのではないだろうか。
カッコよく、リキ・ラリアットを見舞ったところで
先生や保護者に叱られるのがオチである。
時代に合わせて
常識は常に疑わなければならない。
私は当時からそのことをよく把握していたため
私の必殺技は武闘派のものとは距離を置き
もっと実用的であるものにした。
そして、ついに私は
I:嫌なこと
W:は
G:ぐっすり寝て忘れる
P:ぴょん
(通称:IWGP)を習得した次第である。
予め言及をしておくが
最後の「ぴょん」とは
草食系男子の必殺技っぽくしたかったために
語尾に足しただけであって
ミニモニっぽくしたかったためでもなく
通称名をIWGPにしたかったためでもない。
でも響きがどこかで聞いたことがあり
かっこいいような気がするのは
きっと偶然の産物であるに違いない。
事あるごとにモヤモヤした感情を
翌日に持ち込むことを防止できたのは
IWGPのおかげであることは言うまでもない。
しかし、特定の敵に対しては効果が薄すぎて
何度眠りについても全く忘れられないこともある。
それは、失恋である。
こればかりは、眠りについたところで
目が覚めると同時に
現実を目の当たりにしてしまうことで
かえって喪失感や絶望感を増大させてしまう。
これでは、必殺技の矛先が
自分に向けられていることになってしまう。
華の青春時代、大学生時代において
モヤモヤさせる大半の理由は
失恋の類いのものではなかろうか。
それは、この時代においては
人生が充実してるか否かを測るものさしは、恋人の有無であるためである。
つまりは、私の必殺技(IWGP)とは
この点が明らかに欠点なのである。
自分の首を絞めるための必殺技など
クローゼットの奥の奥の奥の奥に閉まっておくべきなのだ。
だいたい、この必殺技の名称が残念すぎる。
文章であるのに加えて
文末に「ぴょん」を付け加えるとは
正気ではない者が考えることである。
必殺技とは、名称からもっとキレのあるものであるべきだ。
もちろん、ライダーキックは
その具体例の一つであることは言うまでもない。
これによって
私の華の大学生時代の半分は
睡眠に費やしたのは、察しの通りである。
寝る子は育つと言われるだけあって
おかげさまで体重だけが
この4年間でみるみると増えていった。
これもまた、失恋が私を手招きしている一因なのかもしれない。
