沖縄の裏探検 -2ページ目

ティーダガー



那覇市の国際通りから1本裏に入った場所に通称『パラダイス通り』と呼ばれる道があります。
古くはこの一帯に真和志間切牧志村(まわしまぎりまきしむら)という村があり『ナイクブ』と呼ばれた地域に墓地が多く鬱蒼とした場所でした。今では面影もありませんが約500年前は小さな湾のある内海がすぐ目の前にありました。
古地図には牧志村に丘陵地が記載されており、国際通りとパラダイス通りに挟まれた辺りに現在も丘陵の一部が残っています。

そのパラダイス通りから更に1本裏に入った場所にティーダガーという彫り込み井戸があります。画像からは左側になります。


民家と駐車場の細い道を通ってフェンス沿いから右に曲がります。


奥にも駐車場があり、その駐車場の端に井戸があります。


これがティーダガーです。井戸の上部は鉄板で蓋をされていました。


井戸の上には拝所があります。コップに新しい水が入っていました。今も手入れがされている様子が窺えます。


拝所の内部に長方形の形状をした石があります。何らかの文字らしいものが書いてある感じですが、摩耗して判読できません。


見にくいですが井戸の内部は石を積み回した円形状になっていました。水もまだ蓄えられています。


ティーダガーの拝所の左側に小さな拝所があります。これが何の拝所かは不明です。

中国から来た冊封使(さっぽうし)の記録にはティーダガーについての昔話が残されています。
それによると天からこの地に太陽が落ちてきて、太陽が落ちた穴から水が湧いてきたので井戸にしたという話です。
沖縄の方言で太陽を『ティーダ』と呼びます。井戸は『カー』もしくは『ガー』と呼ぶのでこの井戸は『ティーダガー』と呼ばれる様になりました。
牧志村の小字名である『照川原』はこの井戸に由来されています。

水源は人間が生活したり集落の形成に大きく左右します。ティーダガーが集落の小字名になったり、井戸の存在を昔話として残されているのは集落にとって重要視されていた事になります。


ティーダガーから更に奥の丘陵地へ向かいます。
観光客や車の往来が多い国際通りの裏にこうした地形が現存しています。


木々や草をかき分けて頂上に行くとこうした石碑があります。戦後にできた物だとは思いますがここが真和志間切だった名残です。


更に進むと瓦屋節という琉歌が記された石碑があります。
照川原に朝鮮半島から来た瓦職人がおり、婚姻している現地の女性を気に入り自分の嫁にしたいと申し出た為に王府が女性を夫から引き離して職人の妻にしてしまいました。
女性は職人の目を盗んでは丘に登って故郷の夫を慕いました。その物語がこの琉歌になっています。

丘陵は国際通り、パラダイス通り、沖映通りと人の賑わう3つの通りと観光ホテルの裏に囲まれています。ティーダガーを含むこの一帯は今も昔の姿を保っています。




ここの魚は何を食べてるの?



もはやブロ友さんの漆ルアー関乃漆のreinさんのホームになりつつあるポイントへ。
チン(ミナミクロダイ)をターゲットにする目的からタマン(ハマフエフキ)を狙うポイントになりました(笑)。
作戦立案は全てreinさん主導です♪。
今回も
も同行しました。ってか、夜にこんな場所に来る人達は変態(褒め言葉)しかいないよね(笑)。



相変わらず激浅なポイント。既に潮は遥か遠くまで引いて陸地ばかりです。
そんな道中にミジュン(ミズン)が大量に打ち上がっている場所がありました。ここのベイトなのかな?。
実はここで釣行する度に『ここのタマンは何を食べているか?』というのが話になりました。
陸地に近い場所はエビやカニが多くて、沖側の岩礁はウニやタコも多いのでベントスをメインにしているのかと考察していました。

この日はかなり渋いので大まかな地形とポイントを確認して早目に陸へ戻る事にしました。
ちょいと離れていたreinさんが『これ、要る?』と聞くのでそこへ行くと…。


なんと!。シレッと大きなチン(ミナミクロダイ)をヒットしていました(笑)。
因みにこの水深をご覧下さい。深くても膝ぐらいの浅いポイントです。移動する距離は大変ですがこんな場所にチンやタマンが潜んでいるのですよ。
このチンは食糧難の自分が持ち帰る事にしました(^^;)。


家に帰って胃袋を確認します。
辛うじて形が分かる魚が4匹、貝っぽいのが1個、そして今が旬の大量のアーサ(ヒトエグサ)を確認しました。人間も魚もアーサが好きなんですね(笑)。
アーサの中に魚の溶けた残骸があるので実際には複数の魚を食べていたかも。ベントスが主になるかと思っていましたがネクトンがメインベイトの可能性が出てきました。
胃袋と真子は煮付けて食べました。命に感謝です。


翌週。
リーダーreinさんの召集にてまた来ました(笑)。
前回ルートと実釣ポイントの確認、アウトリーフへのルートを練り歩きます。
夜のアウトリーフはかなり危険。足元が見辛い上に造礁リーフなので下手に歩けばサンゴを崩します(汗)。

アウトリーフはクランクを危うくロストしかけたりジグヘッドをロストしたりで何もできません。
ポッパーをキャストしてイシミーバイ(カンモンハタ)がヒットしましたが波に揺られてサヨウナラ(泣)。抜き上げまで慎重にやらなきゃですね。

reinさんがかなり遠くまで移動してたのでメールしながらひたすら歩いて合流します。夜のウェーディングにはトランシーバーも必要かもね。
近づいてみると、うん?何か手に持ってる?。


これまたシレッとタマンを釣っていました(≧∀≦;)。
サイズは40UPほど。これもサンプルとして飢えた自分の食料にします。


今回は消化が進んで魚の骨ばかりでした。かなり大きな背骨が3個あって、この魚をどうやって飲み込んだのか驚きます。右下はカニの甲羅です。

reinさんが以前にペンシル系かクランク系でのルアーが良いのではと話していましたが、ベントスの検出が少ないのと、前回の釣行でミジュンが打ち上がっていたのを考えるとここの魚はネクトンが主食なのかも知れません。実際に水面には小さなベイトが泳いでいます。マッチ・ザ・ベイトを改めて考えなきゃですね。

クランクやワームだと根掛かり必至なので今後のルアー選びも色々と考察する釣行となりました。






04/03の出来事



今月3日の朝。
所用で10:30頃に家を出ようと準備をしていると、スマホから不気味な音と音声が流れてきました。テレビもいきなり画像が変わって津波警報が発令されました。
地元メディアの情報を得ようと急いでラジオを点けるとラジオも津波警報を報じています。
同時にあっちこっちで一斉にサイレンが鳴り響きサイレンに混ざって防災無線も流れてきます。

揺れは感じなかったが地震でもあったか?と思っていたら台湾で大きな地震との報道。
台湾には友人がいます。返事は後日でいいので必要な物があれば返信してくれとメールしました。
警報を知ったブロ友さんからもメールやLINEがきます。避難する事を伝えて準備を終えました。
下の妹と友人2人が海沿いに住んでいるので避難をしてるかメールをして家を出ます。



こんな警報が何度もきます。津波到達まで時間に余裕がありますが万が一があればシャレになりません。


アパートから那覇空港と航空自衛隊はすぐ近く。
飛行機も慌ただしく飛んで行きます。離陸準備をしていた飛行機がどんどん飛んでいるみたいです。
幸いにしてアパートの後ろは高台だらけなので避難をするのに時間はかかりません。
道は若干混んでいましたが大きな混雑はありませんでした。パトカーの音が遠くから聴こえてきます。


避難した場所から少し離れたJEF豊見城店。
駐車場は多くの車で満車になっていました。レンタカーも何台かありました。観光客は大変だったでしょうね。


JEFから近くの高台へ。ここも人が集まっていました。
予定先から本日の件は金曜日の午後にしてほしいと連絡がきました。こればかりは仕方ないですね。


豊見城市に来ても警報が何度も入ってきます。
暫くこの場に留まりましたが喉が渇いたので近くのコンビニへ行きました。コンビニの駐車場も満車状態でした。
コンビニ内で警報が注意報に変わったので暫くしてから帰宅しました。


コンビニの近くで季節外れの寒緋桜が咲いていました。若葉とサクランボもあります。

帰宅後ニュースで避難する車で道路が大渋滞になった場所があったと知りました。台風だと接近するまで余裕があって行動ができますが、車社会の沖縄では緊急避難の際の大きな課題となりました。
台湾の友人も無事でした。沖縄本島では被害はありませんでしたが、避難の際に何人か怪我人が出ました。

避難したのに取り越し苦労だったと、後の笑い話になっても構いません。東日本大震災からの教訓は忘れずに今後も活かしていきたいです。