ティーダガー | 沖縄の裏探検

ティーダガー



那覇市の国際通りから1本裏に入った場所に通称『パラダイス通り』と呼ばれる道があります。
古くはこの一帯に真和志間切牧志村(まわしまぎりまきしむら)という村があり『ナイクブ』と呼ばれた地域に墓地が多く鬱蒼とした場所でした。今では面影もありませんが約500年前は小さな湾のある内海がすぐ目の前にありました。
古地図には牧志村に丘陵地が記載されており、国際通りとパラダイス通りに挟まれた辺りに現在も丘陵の一部が残っています。

そのパラダイス通りから更に1本裏に入った場所にティーダガーという彫り込み井戸があります。画像からは左側になります。


民家と駐車場の細い道を通ってフェンス沿いから右に曲がります。


奥にも駐車場があり、その駐車場の端に井戸があります。


これがティーダガーです。井戸の上部は鉄板で蓋をされていました。


井戸の上には拝所があります。コップに新しい水が入っていました。今も手入れがされている様子が窺えます。


拝所の内部に長方形の形状をした石があります。何らかの文字らしいものが書いてある感じですが、摩耗して判読できません。


見にくいですが井戸の内部は石を積み回した円形状になっていました。水もまだ蓄えられています。


ティーダガーの拝所の左側に小さな拝所があります。これが何の拝所かは不明です。

中国から来た冊封使(さっぽうし)の記録にはティーダガーについての昔話が残されています。
それによると天からこの地に太陽が落ちてきて、太陽が落ちた穴から水が湧いてきたので井戸にしたという話です。
沖縄の方言で太陽を『ティーダ』と呼びます。井戸は『カー』もしくは『ガー』と呼ぶのでこの井戸は『ティーダガー』と呼ばれる様になりました。
牧志村の小字名である『照川原』はこの井戸に由来されています。

水源は人間が生活したり集落の形成に大きく左右します。ティーダガーが集落の小字名になったり、井戸の存在を昔話として残されているのは集落にとって重要視されていた事になります。


ティーダガーから更に奥の丘陵地へ向かいます。
観光客や車の往来が多い国際通りの裏にこうした地形が現存しています。


木々や草をかき分けて頂上に行くとこうした石碑があります。戦後にできた物だとは思いますがここが真和志間切だった名残です。


更に進むと瓦屋節という琉歌が記された石碑があります。
照川原に朝鮮半島から来た瓦職人がおり、婚姻している現地の女性を気に入り自分の嫁にしたいと申し出た為に王府が女性を夫から引き離して職人の妻にしてしまいました。
女性は職人の目を盗んでは丘に登って故郷の夫を慕いました。その物語がこの琉歌になっています。

丘陵は国際通り、パラダイス通り、沖映通りと人の賑わう3つの通りと観光ホテルの裏に囲まれています。ティーダガーを含むこの一帯は今も昔の姿を保っています。