5/23 氷上練習 | 九州大学アイスホッケー部の日々

九州大学アイスホッケー部の日々

九州大学アイスホッケー部の日々の出来事を綴ります。

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 今回、ブログを担当させていただく横山です。学年、年齢ともに複雑なのですが、ホッケー部4年目の最上級生です。

本日の練習メニューは以下になります。

1. ハンドリングジャム
2. パス(4人組)
3. パス&シュート
4. 4ヶ所シュート練習
5. 2-2
6. リグループ→3-3
7. ハンドリング&スケーティング

 メニュー内容自体は、パス、シュートといった基本をしっかり身につけられるいい練習だと思います。速いパス、それに対するレシーブの正確さ、また精度を上げたシュートを打つ意識といったことを意識的にできるので私自身、凄く身のある練習で充実しています。

 先日行われたかねふく杯では、悔しさが残る試合をしてしまいましたが、しばらく公式戦がないので、今の時期に、いや今の時期こそ引退前最後に成長出来る時期だと自覚し、自分に厳しく練習に向き合っていきたいと思う所存です。

 練習では1年生も本格的に参加しています。自分が練習している中、たまに1年生の滑りなどを見ているのですが、元気があり、熱心に練習している姿を見るとやる気をもらえます。

元気な後輩が入って、盛り上がっているのを見るとこっちも負けじと元気になるのはいいですね笑
1年生、沢山入って盛り上げてくれてありがとう!

マネージャーも10名ほど?合計でいますが、いよいよ総勢50名近くで第60代アイスホッケー部を作り上げていくと思うと、引退が迫るにつれて募る思いと、最後の年を悔いなく充実させていく思いが心の中で反芻していき、言い表せない感情になります。

 これが上の立場になるということなのでしょうか。感慨深いです。(決して今年度で24歳だからという訳ではありませんよ。まだまだ若いですよ。)



 思慮に耽るのはここまでとし、今回は『幼少期のエピソード』を記述するということなので、少し自分の幼少期を綴らせて頂こうと思います。

 私は、小さい時は凄く人見知りでした。他人から飴やガムなどのお菓子を貰うにしても、一旦父親や母親が受け取ってからじゃないと貰わないタイプの、警戒心が強い子でもありました。5歳くらいになっても、あまり言葉を発することなく、祖母からは知恵遅れを疑われる程です。(「知恵遅れ」という言葉が差別用語に値するかもしれませんが、ご了承ください。)

しかし、私自身、今思うと、周りのことはよく見ており、今でも記憶していることは多いです。たまに会話の中で、小さい時の記憶を話したりするのですが、両親からは『よく覚えているね!?』『あの時そんなことを思っていたの?』と言われるほどです。

何が言いたいかというと、

   【私は天才でした。いや、神童でした。】

興味あることはとことんつきつめ、極めます。
ただ、興味が無いことは全く関心を示さず、目もくれない子どもでした。

当時、飛行機に興味がありました。
仕事帰りで疲れている父だろうが、おもらしした後のパンツを洗濯した上、父親の靴下をブンブン放り投げ、散らかした残骸を片付けてくれた母親であろうが、泣いて懇願し、週5で、地元宮崎のブーゲンビリア空港に車で通う始末。

 その英才教育があってのせいか、エンジン音で全ての飛行機を判別できる能力を身につけました。

嗚呼、悲しきことかな。今ではその能力を失い、そのくせして興味が無い勉強は全くと言っていいほどせず、1休学1留、要は2留する始末。

古典の世界で例えるならば、殿上人から下僕に成り下がるようなものです。

      我精進せんと突き進まば、よからまし。

ちなみに今は、勉強にも熱を入れ改心し、息抜きとしてカラオケにもハマっています。

それでは聞いてください。

『かつて天才だった俺たちへ(Creepy Nuts)』


#13 横山



↓幼少期の#13横山👦



OBさんから一年生へ練習着をいただきました!

本当にありがとうございます🙇🏻‍♀️大切に使わせていただきます!