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平清盛第15話「嵐の一門」Vamos流解釈1 「家盛の死で荒れる平氏一門」編
の続編。久しぶりに鳥羽院の御所に出仕したミキプルーン忠盛が、
鳥羽法皇より高野山の宝塔の再建を依頼されたシーンです。
あらすじ
忠盛(中井貴一)は喪が明けるとすぐに鳥羽院(三上博史)に謁見し、
変わらぬ忠誠を誓う。そして、高野山の宝塔再建という
鳥羽院の命を受け、自分の名代を清盛に務めさせたいと申し出る。
清盛は戸惑いながらも引き受け高野山を訪れると、
そこで陸奥(むつ)国への長旅から戻ったという僧・西行(藤木直人)、
かつての義清(のりきよ)と再会を果たす。
「先だっての落雷により、高野山の財宝や
宝塔が炎上した。建て直したいが」
やってることはただの金の無心に等しいのですが、
やんごとなきお方はみなまで言わないんですねぇ...。
対するパパ盛も、名誉なことと思い「是非私に命じてください」
と言っています。劇中の頼長が家盛を取り込んで平氏を自分の
支配下に置こうとしたのは、現状の「院-平氏」の直通ホットラインに
割り込み、「院-頼長-平氏」という関係にしようと目論んでのこと。
いわば院という発注主から平氏というゼネコンに対して
仕事を流すブローカーの役割を頼長がすることで、院と平氏の
双方に睨みを効かそうということだったのでしょう。
史実の頼長が平氏に接近したという明確な証拠は私が
ちょこっと調べた程度では分かりませんでしたが、悪左府頼長なら
そういったことに目を付けても不思議はありませんね。
「財をなげうっての大仕事となりますよ」
話が進むにつれて、存在感を増してきた鳥羽法皇の寵臣家成卿。
彼は忠盛の正妻である宗子の従兄弟であり、清盛の烏帽子親
でもあるという平氏とは切っても切れない間柄にある人物。
今後の活躍が期待されます。
「恐れながら、高野山の宝塔再建は、
この清盛を私の名代とはしていただけませぬか」
「請け負った高野山の宝塔再建の仕事の担当者は、
名代の清盛にしたい」と申し出るミキプルーン忠盛。
神輿を射たのはフィクションですが、祇園闘乱事件後の清盛は
蟄居に等しい状態が続いたのは事実です。
ここで清盛の存在感をアピールしたいというパパ盛の親心。
「清盛を名代としたい」という父忠盛を見つめる清盛。
しかし、この髪型のむさ苦しさは...。
自宅でくつろぐシーンなどではある程度許容できますが、
当時の最高権力者である鳥羽法皇に謁見するシーンとは
到底思えない、どう考えてもあり得ない見苦しさです。
これでは視聴者から散々に「清盛の服装や髪形が汚い」
と言われて当然です。これは松ケンの演技云々以前に、
清盛のキャラ造形の問題であります
「ほぉ~、清盛を名代に」
「何とぞ、お願い申しあげまする」
パパ盛は院の依頼に応えてあげる立場なのに、
言葉はどこまでもへりくだっています。
やんごとなきお方の願いはかなえて差し上げること。
それが当時の武士階級が昇進するにおいては
一番重要なことだったんですねぇ...。
水戸黄門や暴れん坊将軍で良くありそうなシーンで例えると、
お代官様(鳥羽法皇)の要求を聞いてあげて、代わりに
見返りを要求する越後屋(忠盛)というかんじでしょうか。
もちろん見返りというかご褒美は忠盛や清盛の昇進であります。
場面変わって、忠盛の名代として高野山へ行った清盛が、
出家して西行と名を改めた佐藤義清と再開したシーンです。
西行は「衣川が見たくて陸奥の国の平泉まで行ったが、
家も心も凍る寒さだった」と語り、
盛国は「ウンウン」と頷いて歌の内容を理解しているようですが、
清盛は全く歌の意味を解しておらず、
「何をやっておるのじゃ、お前は
はるばるさようなところまで行き、
ふるえながら歌など詠んでいるとは」
と西行に言っています。主従が逆なんじゃないの?と思える
くらい、清盛は無教養な男として描かれています。
キャーキャー黄色い声をあげて、西行に色んな貢物食材を
届けてくれる、西行親衛隊ともいえる里の娘達。
ここでは西行は飢え死にしたくても出来ませんね。
このドラマでは鳥羽法皇の后である待賢門院璋子様に
手を出したことが発覚してリア充崩壊し、出家したハズの
西行ですが、ここでリア充復活してやがった
それにしても、何故漁師の子である盛国が西行の歌を解しているのか
と思いググってみたら、 平盛国Wiki
がありました
ドラマでは漁師の子から武士になったという設定のキャラですので、
てっきり創作の人物かと思ってましたが、実在の人物であり、
清盛の家令(執事)を務めた一門の侍大将であったようです。
史実の盛国は父親が誰なのか諸説あるそうですが、伊勢平氏の
一門の出であることは間違いない模様。
ですからわざわざ盛国を漁師の子とし、実の父が鳥羽法皇の
出した「殺生禁止令」に背いて断罪されたことから、
王家(このドラマにおける皇室の呼称)を恨んでいるという設定
にしているところに、どうしてもNHKの制作者達の作為を感じるのです
それに盛国は関連記事
平清盛第11話「もののけの涙」Vamos的解説6 「清盛乱心&恨むのは朝廷と法皇!」編
でも述べたように、第11話「もののけの涙」で明子を亡くして荒れ狂った
清盛に対してこんな基地外発言をしていましたからねぇ...。
「恨むならば、宋の薬を求めるのを許さぬ
(鳥羽)法皇を恨みなさいませ!」
「疫病を止められぬ朝廷をお恨みなされませ!」
忠盛を頂点とする平氏一門はれっきとした朝廷の一員であり、
忠盛に至っては殿上人の仲間入りをしていたくらい昇進しています。
それなのに法皇を恨めとか、朝廷を恨めとかいう盛国のキャラ造形も、
大いに制作者の作為を感じる次第であります。
場面は清盛邸に移り、時忠と時子の会話のシーンです。
思うておるのでしょ家盛様が死んだのは
清盛様のせいだって、もっぱらの噂ですよ」
「つまらぬことを言うのではありませぬ」
「あれのどこが光る君ですか」
「確かに思い描いていた方とは違います」
「でしょ」
自分が清盛に「時子を後添えにしませんか」ともちかけたくせに、
散々な言いようです。まぁ言ってること自体は尤もでありますが...。
「思っていたよりもずっと、誰よりも
人恋しくて生きてきたお方
私は断じてお傍を離れたりはしません」
なんだか弟時忠が軽薄な発言をし、それを姉時子がたしなめる
というのがパターンとなりつつあるこの姉弟の会話。
このシーンでは、「あれのどこが光る君ですか」 という発言のみ
“アンタの言うとおり”と認めますけどねぇ...。
しかしフカキョン時子さんも、 「思い描いていた方とは違うけど、
お傍を離れたりしません」 と決意表明をしているので、今後は
あのウザすぎる 「光る君は~」攻撃が無くなるといいのですが...
あらすじ
そのころ、藤原摂関家の兄弟争いは激しさを増していた。
1150年に近衛天皇が元服すると、すぐに弟・藤原頼長(山本耕史)は
養女・多子(まさるこ・中田美優)を入内(じゅだい)させた。
兄・忠通(堀部圭亮)は対抗すべく、得子(松雪泰子)の
養女・呈子(しめこ・伊藤麻実子)を自分の養女にし、
入内に向けて動き始める。
近衛帝に入内した頼長の養女多子(まさるこ)
自分の養女を入内させ、ご満悦な悪左府頼長
入内バトルで頼長に遅れを取り、巻き返しを図る摂政忠通
なんだか一条天皇を巡る定子(藤原伊周の娘。仕えた女房の
筆頭は清少納言)と彰子(しょうし。藤原道長の娘。紫式部を
筆頭にがくしきある女房が多数仕えた)のバトルみたいです。
道長達の時代から100年以上経過しても、やってることは
大して変っていない藤原摂関家です。
頼長の養女多子の入内が滞りなく済み、頼長と兄弟の父忠実が
摂政忠通邸を訪れます。
「頼長との養子縁組を反故にしただけでは 飽き足らんか。
何度も申したたはずじゃ。 頼長に摂政の座を譲れ」
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史実を基に検証する藤原摂関家の家庭の事情 忠実-忠通・頼長親子編
で述べたとおり、長らく実子に恵まれなかった(母親の身分が
低いと思われる男子は3人いるが...)忠通ですので、
頼長を溺愛する父忠実の意見に従って頼長を養嗣子に
していた時期があります。ですが40代になって実子基実が
生まれた後に立て続けに男子を授かり、実子に後を譲りたくなった
ために頼長との養子縁組を反故にした過去があります。
しかし忠通と頼長は、異母兄弟とはいえ歳の差が23歳
あるんですよねぇ...。兄弟と言うより親子の方がしっくりくる
歳の差であります。
「祝いの品を」
摂関家のお家芸である帝への入内を達成し、
ひとまず リードした頼長。余裕綽々の表情です。
「結構」
プライドが許さないのか、弟頼長が贈ろうとした祝いの品を拒否る忠通
「父上、かようなことで一々宇治から
出て来れられるは大儀にございましょう。
お話はこれまで」
弟頼長を溺愛する父忠実との仲が上手くいってない忠通さんは、
父に対して嫌味っぽく言葉をかけ、話を打ち切ります。
ナレーション(頼朝)
睨みあう摂関家の兄弟。この兄弟の対立も、
後の保元の乱の一因となっていきます。
続編に続きます
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