ハプスブルグ展 その② イタリア、ドイツ、ネーデルランドの絵画編
の続編になります。
ようやく今回ご紹介しているハプスブルグ展の、
私的本命であるスペイン絵画編です。
実際今回の美術展を見に行ったのは、既に述べたとおり
シシィ(皇妃エリザベート)の肖像画と、今回紹介する
ベラスケスの描いたマルガリータ皇女の肖像画に
お目見えするためであったといって過言ではないのですから
。
しかし、今回の美術展ではそれ以外にもエル・グレコ、
ゴヤ等の作品も出展されていましたので、図らずも
スペイン3大画家の作品が一度に見られるという
贅沢なことができました。そのうえ私の大好きな画家である
ムリーリョまで!本当に至福の一時でした。
その際に出会った絵画の一部をご紹介します。
ディエゴ・ベラスケス(白衣の王女マルガリータ)
まずは今回の目玉中の目玉であるマルガリータ女王の肖像画。
最初に断っておきますが、今回使用している画像で
マルガリータ女王のものと次に紹介する皇太子フェリペ
のものだけはカタログの表紙の画像を使用しているため、
美術展の英語タイトルとハプスブルグ家の紋章であった
双頭の鷲の紋章が入っています。これは分厚いカタログの
ページから画像スキャンするより、カタログの表紙を使用した方が
綺麗にスキャニングできることからこうしました。
こうしても絵の価値そのものは損なわれていないと思いますので、
ご了承ください。
この絵に描かれたマルガリータ王女ですが、
彼女はフェリペ4世の長女として誕生し、
1658年にはオーストリアの皇位継承者である
レオポルド1世の未来の花嫁と定められました(結婚は1666年)。
その間スペインからオーストリアへ3点のベラスケスの筆になる
王女の肖像画が送られており、現在もウィーン美術史美術館に
収蔵されています。本国スペインにも数点のベラスケス筆の
肖像画が残っていますが、スペインは自国絵画の
海外への持ち出し制限が厳しいようで、今後もそうそう
日本でお目見えすることはないでしょう。
その一方オーストリアの方は外貨獲得手段と割り切っているのか、
結構日本でも美術展が催されますので、スペインの画家である
ベラスケス筆のマルガリータ王女を見たければ、
今回のような美術展に足を運ぶのがいいわけです。
さて、この絵に描かれたマルガリータ王女ですが、
彼女自身は4人の子供の母となるものの、成人したのは
長女のマリア・アントニアのみで、
1673年に次女マリア・アンナを出産後に体調を崩して、
21歳の若さで亡くなりました。
その短い幸福とは言い難い生涯でしたが、
天才画家ベラスケスによって次々と生み出された
彼女の肖像画は、時代を超えて世界各地で愛され続けています。
実際この絵に描かれたマルガリータ王女の可憐さに
心動かされない人はそうはいないでしょう。
私にとっても永遠のミューズと呼べる存在で、
今後も日本で見られる機会があれば足を運ぶことでしょう。
ディエゴ・ベラスケス(皇太子フェリペ・プロスペロ)
マルガリータ王女の弟でスペイン皇太子として誕生した
フェリペ王子でしたが、4歳という短命でこの世を去りました。
当時の医学水準や乳幼児死亡率が高かったこともありますが、
明らかにこれは同族結婚を繰り返したが故の虚弱体質
であったことが原因でしょう。
短命に終わった彼ですが、ベラスケスの描いた絵によって
その姿が今日まで残っているのは、彼にとって
喜ばしいことだったのでしょうか?そんなことをつい想像してしまいます。
エル・グレコ(受胎告知)
私がスペインに多大な興味を持つきっかけになったのは、
エル・グレコの描いた「トレドの風景」という絵と
現在のトレドの町の概観がほとんど変わっていない
という事実を知ったことで、実際に足を運んだ際にも
わざわざ郊外まで足を運んでトレドの町の風景を眺めたものです。
彼の存在なしには私のスペイン好きの嗜好はなかったかもしれず、
そうだったらこの美術展にも足を運ぶことはなかったでしょう。
今日スペイン3大画家といえばエル・グレコ、ベラスケス、
ゴヤの3人を指しますが、エル・グレコは後者の二人と
大きく異なるところがあります。
それは彼がギリシャのクレタ島出身であり、
最初は東方正教会で拝まれるイコンを学んだということ。
後にイタリアでティツィアーノに師事した後36歳の時に
スペインにやってきたものの、時の王フェリペ2世の好みに
合わなかったことから宮廷画家にはなれず、
その後トレドに居を構え、主に教会や貴族等の注文を受けて
多くの宗教画を製作しました。
彼の本名はドメニコス・テオトコプーロスといい、
エル・グレコとはギリシャ人という意味です。
日本ではエル・グレコの真作は2点しかないので、
彼の絵を見れるというのはそれだけで貴重です。
さて今回出展された受胎告知ですが、聖書に書かれている
聖母マリアが天使ガブリエルに神の子イエスを妊娠していることを
告げられるという有名なシーンをモチーフにしています。
エル・グレコのみならず、宗教画を手がけた画家なら複数枚
手がけているポピュラーな題材ですが、この絵のマリアが
被っているのはトレドの有名なボビンレース編みで、
当時の貴重な記録ともなっています。
バルトロメ・エステバン・ムリーリョ
(悪魔を奈落に落とす大天使ミカエル) (聖家族と幼い洗礼者ヨハネ)
ムリーリョ。彼のことはスペインに行った際に初めて知りましたが、
その繊細な筆致となんとも形容しがたい色づかいに、
非常に大きな感銘をうけたものでした。
ムリーリョはスペイン南部のセビーリャで活躍した画家で、
主に宗教画の分野で活躍しました。
彼の描く聖母と幼子の愛らしさには定評があり、
17世紀のスペインを代表する画家と評されていますが、
キリスト教国家でない日本では正直馴染みの薄い画家です。
しかし、その絵の素晴らしさは3大巨匠に勝るとも劣らないものです。
まず左のミカエルの絵ですが、当時ヨーロッパ北部では
宗教改革で生まれたプロテスタントの活動が活発になってきており、
カトリックを擁護する立場であったスペインではそれに対抗する
動きがなされていました。
この絵ではミカエルが悪魔を足蹴にしていますが、
その悪魔とはもしかしてプロテスタント勢力をあらわしている
のかもしれません。
仏教的に言えば、邪鬼を足蹴にしている毘沙門天に当たるかもしれません。
次の聖家族と洗礼者ヨハネの絵は、聖母像&愛らしい幼子という
まさにムリーリョの特徴が詰まった作品。
質素な服を纏った聖母マリアの子供に注ぐ視線はどこまでも暖かく、
そんなことお構いなしに一心にじゃれ合っている二人の幼子。
日常の何でもないワンシーンを題材にしても、ムリーリョほどの
名手の手にかかると犯しがたい尊厳すら感じるものになります。
ムリーリョは別名スペインのラファエロとも呼ばれているそうですが、
彼の描く聖母にはキリスト教徒でない者ですら敬虔な気持ちにさせてしまう
魔力めいたものを感じてしまいます。
(カバリェーロ候ホセ・アントニオの肖像)
最後はスペイン3大画家のトリを飾る画家ゴヤ。
彼ほど波乱万丈の生涯を送った宮廷画家もそうはいないでしょう。
キャリアの絶頂期にナポレオン戦争によって
祖国がフランスに占領され、身体的にも聴覚を失い、
最後は自由主義者への弾圧から逃れるために
フランスへ亡命し、亡命先のボルドーで客死という凄まじい一生でした。
この肖像画はまさにナポレオンによる侵攻の直前に書かれた絵で、
描かれているカバリェーロ候はサンティアゴ騎士団の十字架と
カルロス3世騎士団の勲章が目立つように書かれています。
これはモデルの内面を飾ることなく描いたとされるゴヤの特徴で、
「悪い点をあえて美化しないで描くことで、
モデルの本性を描こうとした印」とされます。
ゴヤはこのモデルに対し、いい印象を持っていないことが伺えます。
映画「宮廷画家ゴヤは見た」 の記事ではゴヤを描いた映画の
感想を描いていますので、ゴヤに興味のある方はそちらもご参照願います。
さて、3回にわたってお送りしたハプスブルグ展ですが、
とうとう次回が最後になります。
次回紹介するのは、まさにサプライズの賜物。
何が出てくるかは次回UPするまでのお楽しみに。
ハプスブルグ展 最終回 140年ぶりに帰国した絵画たち
に続く
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