昨日の記事
書くのは怖かったけど、投稿したあと、
ふわーっと嬉しくなって、
魂が喜んでるように感じた。

あれ、つまりは、

私の孤独に対する価値を、
初めて自分で認めた

からなんだと思う。


親元を離れてから、ずっと一人で生きてきて、
毎日毎日、淋しかった。

その「孤独」から逃げようと、あの手この手で頑張ってみても、不思議なほど、あっという間に元の場所に戻された。


色々な人の発信を読んで、
「孤独」は価値あるものだと、頭では理解しても、どこか、自分の「孤独」から逃げたかったし、「孤独」から逃げることのできなかった自分を恥ずかしく思っていた。

どうして私はこんなにも、人と一緒にいることが叶わないんだろうと不思議で仕方なかった。

その孤独が、今、飽和点に達して、溢れだしたのだと思う。

日々、逃れられず、誤魔化しもきかず、ひたすら向かい合ってきたことで、気がつけば、とても純度の高い「孤独」が、私の手に残った。

この純度の高い孤独、

本当に、ものすごく価値のあるものなんじゃないだろうか。。


この孤独こそが、
人を癒し、人を本来の姿に戻し、パワーチャージするんじゃないだろうか。。

人は、この純度の高い孤独に触れたくて、
スターと言われる人達に会いにいくのではないか。。

(そして、その孤独の大きさに、潰されてしまうスターもいる)


最近、この「孤独の純度」のために、
人とも、社会とも、ますます馴染まなくなってきた感触がある。


「孤独」には、黄金以上の価値がある。
あらゆる魔法の源だ。


「私に会いに来るひとは、独りになって、不純物、ぜんぶ剥ぎ取ってから来て」

という意味の言葉が湧いたのは、
自分の得た「孤独の純度」への、敬意だったのだと思う。


魂が喜んだと感じたとき、
「私」が、満足そうに、私に微笑んでるように思えた。


ぜんぶ、彼女が仕組んで、
ここまで連れてきたみたいだった。