■ 1. しょーもないやつ
前回の続きです。
脳は、肥大化し、心身(脳以外の身体)を傷つけるようになりました。
ドイツの人々は、生活のために国家を作った。
いつしかドイツの人々は、国家のために生きるようになった。
ついにドイツの人々は、国家のために死ぬようになった。
日本の人々は、生きるために仕事をはじめた。
いつしか日本の人々は、仕事のために生きるようになった。
ついに日本の人々は、仕事のために死ぬようになった。
アテネの人々は、生きるために知性を使った。
いつしかアテネの人々は、知性のために生きるようになった。
ついにアテネの人々は、知性のために死ぬようになった。
人が生きるためのツールである知性が、
生きるための目的になってしまって、人を支配している。
生きるための目的になってしまって、人を支配している。
自殺社会の中で起こっていることの一つは、この本末転倒です。
脳に攻撃されないためには、どうしようというのが今回。
■ 2. 自殺が多いのは宗教が無いから?
今回は地雷をバンバン踏もうと思います。
まあこんな時間にこんな所を見ている貴方の地雷でないとは思いますが。
俗に
「日本人は無宗教だ」
と言いますよね?
と言いますよね?
普通に考えたら、そんなわけはありません。
信じることと、信じないことを信じていることに根本の違いはありません。
宗教のぶんは、代わりのものに依存しているだけで、特別視する意味はありません。
宗教のぶんは、代わりのものに依存しているだけで、特別視する意味はありません。
無宗教という人の大体は、実際の所は前回あげた宗教の信者で、「君子になりたい」と思っています。いわば人間自身や人智を信仰の対象としている感じです。
「俺は、強くて優れて正しく賢い君子だから宗教など信じない」という感じで。
それで自覚が無いといった進行状態でしょう。だから本人としては無宗教なんです。
こうして君子欲のもたらす脳の攻撃性が猛威を振るっているのです。
原因は宗教です。
脳の知性に対する信仰心です。
■ 3. 対策
脳の肥大化を止める対策はいくつか浮かび上がってきます。
たとえば、全身が一体化するような何かに集中する。
歩いたり走ったりする、何かを無心に観察するなど、周囲と一体化するような集中で、瞑想より敷居が低いです。
言い争いのような、脳が分別(正誤や勝敗)を発動させる集中は逆効果。禁則事項です。
たとえば、全身が一体化するような何かに集中する。
歩いたり走ったりする、何かを無心に観察するなど、周囲と一体化するような集中で、瞑想より敷居が低いです。
言い争いのような、脳が分別(正誤や勝敗)を発動させる集中は逆効果。禁則事項です。
全身で感じること、意味や理由や評価や予測を頭でいちいち考えないことが目的です。
そんな行為の一つですが、僕は以前にウンコ教というのを企画したことがあります。
半分はネタですが、半分はそうではありあません。
■ 4. ウンコ教
自殺の危険に迫られているヤツでも、便意があるうちは、それこそ差し迫った状況下では必死の形相で、全身全霊が一体となってトイレに向かおうとするでしょう。
この時にフラっと大便しながら飛び降りとか、死のうかたくらむというケースは無いように思われます。とりあえずトイレに行っているはずです。
便意による全身の一体感は、本能的でもあって実に強力なんです。
脳が心身を攻撃するのは、脳自身のイメージを“相対的に上”にしようとする心理によるので、脳は綺麗な評価を得たいはずです。「どうせ死ぬから」といって、完全にニュートラルな価値観になって、たまたま便座でウンコをしながらラストという話は聞いたことがありません。
脳は強欲になると、「美しい幻想の中で潰えたい」と考えるようになります。便意などといった現実は追放しようとするでしょう。しかし、いかなるストレス社会であれ、社畜であれ、ウンコに行くという貴方の前では、誰もが道を譲らねばなりません。
自宅なり出勤前なり、ためしに下剤を飲んでみるというのも一計かもしれません。
そこで、我々の仕事は高尚なほどに貴方のウンコ以下であるという逆転が見えるかもしれません。知らないけど。
このドグマは、
子供はなぜ「ウンコ!」と大喜びで言うのか?
ということを真剣に考えて頂ければ、納得いただけるかもしれません。
僕の中に残存する子供が「ウンコ!」と言って喜んでいるのは、どうやら装飾で現実を見失ったオトナ達の権勢欲への反抗なのです。
■ 5. 適当で、いい加減で、分別のつかない優柔不断なヤツ
しかしウ○コ教には重大な欠陥がありました。
“賢い病”や“強い病”なら効果がありますが、接近を拒む“綺麗病”には効果がありません。
“賢い病”や“強い病”なら効果がありますが、接近を拒む“綺麗病”には効果がありません。
というか実際に病原菌の塊で、近づかないに越したことはありません。
キモメンの僕だって直視せず流してるのに……。
他にある対策は、分別を妄信しないことです。
キモメンの僕だって直視せず流してるのに……。
他にある対策は、分別を妄信しないことです。
いい加減
これは、良い加減。あいまいなことです。
ポジティブな語でしたが、ハッキリさせることを信仰した連中が、ネガティブな語にしました。
「私が悪いんだ」なんてのは、どこかで無理をして自作しているものです。
適当
適して当たっていることです。あいまいなことです。
これも、ハッキリさせることを信仰した連中が、ネガティブな言葉にしました。
優秀で柔和で分別をしないことです。あいまいなことです。
これも分別信仰からくる欲が、ネガティブな言葉にしました。
生 き る か 死 ぬ か な ん て 決 め な く て い い んですよ。
脳にその決定力の証明能力はありません。
生きているうちは放って生かしておきましょう。死んだら死んだで放っておきましょう。
分別のつかないヤツ
これはもう説明は要りませんね。
適当
適して当たっていることです。あいまいなことです。
これも、ハッキリさせることを信仰した連中が、ネガティブな言葉にしました。
思いつめるなんて分別はオナニーと同じです。テキトーに切り上げましょう。
優柔不断優秀で柔和で分別をしないことです。あいまいなことです。
これも分別信仰からくる欲が、ネガティブな言葉にしました。
生 き る か 死 ぬ か な ん て 決 め な く て い い んですよ。
脳にその決定力の証明能力はありません。
生きているうちは放って生かしておきましょう。死んだら死んだで放っておきましょう。
分別のつかないヤツ
これはもう説明は要りませんね。
赤ん坊は泣き、赤ん坊でなかった人はいません。
「迷惑」という概念は、時間的分別によって作られた上で利用されています。
「考えることや人知は偉大だ!」
「迷惑」という概念は、時間的分別によって作られた上で利用されています。
■ 6. 君子欲(立派になりたい系の欲)を捨てる
「心ゆくまで突き詰めて、とことん分析せよ!」
「優れた人になれ!」
こんな宗旨に従っていれば、内外に向かって暴走します。
このような欲に追われていると、色々と見失いますし。
このような欲に追われていると、色々と見失いますし。
この価値観は、すでに東アジアの基本的道徳になっている上、アダムスミス系統の近代思想もかなり似ています。
今の日本で「この宗教を信じるな」ということは、学校教育、テレビ放送、少年ジャンプ、歌謡曲、カイシャ文化、恋愛物、勧善懲悪などの基本理念を基本的に無視しろということで、狂人扱いされることもあるでしょう。
幸福、正義、完全、平等、真理、自由、有無などを信じないことですから、かなり少数です。
幸福、正義、完全、平等、真理、自由、有無などを信じないことですから、かなり少数です。
裏を返せば、いかに多くの人々が「立派になりたい」という欲張りであるか。
広まって広まって、信者に自覚が無いほど当然化されています。
広まって広まって、信者に自覚が無いほど当然化されています。
まあ狂人扱いされようと、自分が上か下かとか思わないのであれば全く問題ありません。
タカシ君は、昨日酔った時は痴漢で、日ごろは冷静だった人物です。
「あいつは本性をあらわした」
と思うか
「あいつは我を失った」
と思うかは、思う人の欲求に依存します。欲で目が曇ってしまうわけです。
いい加減で適当な我々は、タカシ君を
「昨日酔った時は痴漢で、日ごろは冷静だった人物」
と認識しておきましょう。本性を表したのか、我を失ったのかは自在にしておきます。
違いのわかる男とか、分別のつく人などの君子評価とは縁を切って、
欲に支配されることを放棄してしまいましょう。
欲に支配されることを放棄してしまいましょう。
で、君子欲を放棄できても、「俺SUGEEE!」とか思わない。
できなくても「私ダメ」とか思わない。
今できたこと、できなかったことが将来どう転ぶか、絶対にわからないはずです。
「楽だなコレ。つーかそういうことだったのか」
「なんか今イライラしてないかな自分」
とか、感じる程度がテキトー。
■ 8. 君子欲の例
「なんか今イライラしてないかな自分」
とか、感じる程度がテキトー。
■ 8. 君子欲の例
これらは希望ですが、分別を忘れてしまうために、試せそうなことです。
★自らを至高善としたためライバルが至低悪となり、不倶戴天の敵となっている。
脳と心身が、北朝鮮vs韓国みたいなイデオロギー対立になっていませんか?
★自己内に君子の成立を求めると、脳が君子になり心身が小人になる。
脳が「上に立とう」と考えると、心身が下に押し込まれます。他人からの評価は無視が一番ですが、無視できない意見は、褒められても叩かれても全身でシェアしましょう。今「この文を読んでくれてありがとう」と僕に言われた場合、目と視神経と脳が独り占めするのではなく、スイッチを入れた手やアクセスした足、それらを稼動させている消化器官や肺……ということです。
脳が「上に立とう」と考えると、心身が下に押し込まれます。他人からの評価は無視が一番ですが、無視できない意見は、褒められても叩かれても全身でシェアしましょう。今「この文を読んでくれてありがとう」と僕に言われた場合、目と視神経と脳が独り占めするのではなく、スイッチを入れた手やアクセスした足、それらを稼動させている消化器官や肺……ということです。
★絶対清潔や絶対高貴、絶対有能などを求めると心身への暴力に繋がる。
上の二つのコンボ。前回説明した個人病の一典型です。
★人々が自分や自分に似た人が正気で優れていると思い、他人とくに少数派が狂っており劣ると考えている。
自分が正気なことは確認不可能です(やってみて下さい)。精神状態に優劣はありません。
★立派でありたいという欲のために他者と対立し、孤立する人が実に多い。自分が正気なことは確認不可能です(やってみて下さい)。精神状態に優劣はありません。
前回述べた社会病でもありますが、周囲は自分のセーフティーネットでもあります。しかし、貴方を小人にして自分が君子になろういう人には、できるだけ近づかないが吉。前々回のテーマ。
★勧善懲悪のストーリーで出来上がった国家や組織や階級が“悪”と対立している。
★勧善懲悪のストーリーで出来上がった国家や組織や階級が“悪”と対立している。
これも社会病。フィクションにせよ報道にせよ、リテラシーが高いのでなければ、正義や善悪を感じ取ったら関わらないように。ストレスや自己征伐の元です。
★身体の大きさを競って金メダルを競うが、概して暗殺は狭いところで行われる。
★頭がいいと言って記憶力を競うが、余計な記憶で身を滅ぼしたり、忘却力不足で発狂しうる。
★ある身体部分の特徴を美しいとし、その美点をエサに金を貰う広告が力をつけ、さらに身体を細分化して美しい理想と醜い者を作って、後者から金を脅し取る。美しくなられたら困る。 人間に人間を評価することは無理です。対人評価は血液型占いと同一レベル。お遊び程度に。
★社会的に上とされる者が下とされる者を圧迫し、下はさらに下を求めて無視や不可触を行う。
差別やいじめなんて許せねえ!と言ってる正義漢も避けましょう。犬をけしかけている飼い主。
★自殺の話を聞くと、「生きたくても生きられない人も居るのに……」などとのたまう人を生産。
君子欲によって、自殺志願者を小人に仕立てようとして目が曇っているタイプ。量産型君子で、上の正義漢ぶりを併発することも多し。「死ぬ勇気があるなら死ぬ気で頑張れ」も量産型。欲張りに支配欲の自覚は期待できなそうです。スルー推奨です。
君子欲によって、自殺志願者を小人に仕立てようとして目が曇っているタイプ。量産型君子で、上の正義漢ぶりを併発することも多し。「死ぬ勇気があるなら死ぬ気で頑張れ」も量産型。欲張りに支配欲の自覚は期待できなそうです。スルー推奨です。
★上下対立を避けた結果、馴れ合いが発生し、外部を下としようとして外部と対立する。
社会病。部署でも東アジアの国家間でも普遍的な現象。平和な職場は宝。社会病も多くあげているのは、“脳が悪い”とか“君子が悪い”といった攻撃的な分別に陥らないようにするため。脳や個人は、社会的宗教による作用で分別を肥大化させているだけです。
枚挙に暇がありません。
“自分は迷惑な存在だ”などと脳が考え出したら、■ 7のところに戻って、それを止めましょう。
■ 9. 最後に
僕は7~8年前までは、社会問題を題材に、「近代人、または現在の日本人の宗教はヤバい」ということを指摘していましたが、だんだん個人の精神の問題とつなげ、分別そのものを危険視するようになりました。
日本の統計では、年間の自殺者は3万人と言われています。
これは遺書が見つかったり目撃者がいるなど、明らかに自殺と思われる場合のみ、カウントされます。ほかは不明扱いとなります。
これは“疑わしきは罰せず”と同じように、近代法の考え方では理にかなった統計法ですが、よくある国別の比較を用いて多寡を論じるには、他の国が同様の統計法を採っていることが前提になります。
ところが、たとえば旧ロシア圏の場合、「よくわかんねーのは自殺にしとけ、仕事増やすな」という統計法のため、日本のやり方と比べてかなり多く出ます。
この方法で日本の統計を採ると、年間15万人前後になるとか。
3万人でもトップクラス(もちろん率で)ですから、なんにせよ異常といっても差し支えのなさそうな数値。若者層に他の死因が少ないとか、島国ゆえに言語や文化や法の壁が厚くて、地上界の他国への亡命が難しいといった非精神的な増加理由もありますが、とにかく多いし、増えたというのが実感的でしょう。
よりダイレクトに言えば、自殺に追い込む圧力が増している方向に走っている感じです。
よりダイレクトに言えば、自殺に追い込む圧力が増している方向に走っている感じです。
自殺という語に対してはちょっとひっかかりがあります。
社会病なら特定犯人の居ない他殺であり、個人病、つまり脳が心身を殺す構図も他殺的です。
だから、今回問題にしているのは、本来的には“ある種の殺”です。
社会病なら特定犯人の居ない他殺であり、個人病、つまり脳が心身を殺す構図も他殺的です。
だから、今回問題にしているのは、本来的には“ある種の殺”です。
