フランスで再度のテロ、トルコで動乱が起こりましたね。

 トルコの動乱は、僕は全く想定していませんでした。
 エルドアン政権もどうかと思いますが、反乱軍が市民を殺ったようなので、恐怖政治必須です。鎮圧されたほうが平和だったでしょう。

 トルコの反乱の背景についてリクエストがあったので、ここに触れておきます。
 フランスのテロも少し関連しているので、ついでに触れます。
 専門家ではありません。訪問暦はフランスが各地を少々、トルコはイスタンブールのみ、バルカンは沢山といったところです。英独のニュースはいくらか把握していますが、現地語はわかりません


 トルコという国は、地名はアナトリアといいます。

 住民は “ トルコ人 ” と言いますが、これはかなり大きな分類であることと、後述のように、かなり新しい計画的なアイデンティティであるため、“ トルコ共和国に住み公用トルコ語を話す人 ” という感じです。

 この“トルコ人”は外来民族です。 ただし “ 民族 ” の枠が、日本で一般に定義されるほどには硬くなく、よそ者という感じではありません。


 アナトリアは文明史の古い土地で、アナトリアの文明でビッグなのはヒッタイト。鉄器を発明したといわれ、鉄の車輪の軽戦車(チャリオット馬車)を用い、カデシュの戦いでは、ラムセス2世期のエジプトを破るほどの軍備を持っていました。
 アナトリアはメソポタミア(太陰暦、煉瓦、楔形文字など)とエジプト(太陽暦、巨石、象形文字など)の間に位置しており、エーゲ文明も近く、様々な文明を取り入れていたでしょう。
 複数の文明が入ってくることは、現代に至るまでこの地の宿命となります。


 アナトリアは、かなり長いことギリシャ人の土地でした。
 特に、ギリシャ人にとってのエーゲ海沿岸部は、日本人にとっての四国や九州みたいなものです。ギリシャは本来、我々がよくある国別色分け地図で見慣れているような、バルカン半島の先の国ではありません。

 ギリシャは海洋社会で、その成り立ちは、ヤマトの文明史が本州、四国、九州といった単位ではなく、瀬戸内海で起こった感じです。イタリア人も近代までは半島単位では行動しておらず、アドリア海のヴェネツィア西地中海のジェノヴァという単位で暮らしていました。
 このように、ギリシャ人はエーゲ海の民族です。
 ホメロスやシュリーマンで有名なトロイはトルコ側にありましたが、ギリシャとトルコの戦争ではなく、ギリシャ人のポリス間の戦争でした。

 ローマ時代、前半はイタリアのローマが栄えていました。しかし、ローマ帝国は建設や法制度や軍事といった実学的な科学技術は進んでいたものの、ある種の芸術や学問や思想は、かつてのギリシャ文明のほうが進んでいました。
 次第にギリシャ文明の影響が大きくなっていき、たとえばローマ皇帝にゲイ、バイが多かったりするのはギリシャ産の男色の習慣や、男性賛美からくるゲイ(プラトニックラブに代表される)の影響と言われています。
 そこに軍人皇帝時代という戦乱の時代があって、首都のローマは荒廃。 ラテン語よりギリシャ語が話されるなど、ギリシャ化していた帝国の東側のほうが,ローマやイタリアよりも国力が高くなります。
 ローマ皇帝ディオクレティアヌスは帝国を分割統治しましたが、アナトリアを含む最も栄えていた部を彼が取り、ほかの地域を、彼の子分の西ローマ皇帝と副帝らに治めさせました。
 しばらくして、コンスタンティヌス1世がコンスタンチノープル(現在のイスタンブール)を建設し、キリスト教を公認します。

 ギリシャ・ローマ世界がメソポタミアやエジプトに始まる西洋古代文明の集大成とされていますが、このローマ帝国は西から滅び、東ローマ帝国1000年くらい存続します。

 この東ローマ帝国(ビザンツ帝国、ビザンティン帝国など)はギリシャ化しており、基本的にはギリシャ人の国でした。 ローマ帝国のブランドを用い、キリスト正教会の本拠となり、カトリックと対立したり、ギリシャ神話の神々への信仰を弾圧したりしていますが、生活形態はギリシャ人です。 世界帝国から、徐々に民族国家へと変質します。
 海洋民族国家ですので、領土を広げても、アドリア海や黒海などの海沿いに多くなります。

 これが、近東の一大火種である、トルコとギリシャとの対立の元です。



 ビザンツ帝国の中期、西暦1000年ごろ(長命なので相当アバウトになります)、藤原道長のころですね。アナトリアに、トルコ系民族が大掛かりにやってきます。


 ちょっと複雑ですが、“トルコ人”を整理しておきましょう。


 トルコ人というのは大きな分類で、インド・ヨーロッパ語族とか、モンゴル系といったようなレベルの大分類です。 トルコ系の民族のうち、一番西に住んでいるのがアナトリアのトルコ人、つまりトルコ共和国のトルコ人です。

 歴史的には遊牧民だったので、中国史を紐解くと、狄(てき)、突厥(とっけつ)、鉄勒(てつろく)、丁零(ていれい)などと言って、中国に侵入してきた異民族として様々な訛り方で記録されています。 彼らは今のモンゴルからカザフスタン、アラル海のあたりやペルシャ付近までを、カザフ、ウズベク、ウイグルといったトルコ系の各民族や、モンゴル系などと入れ替わり立ち替わりしていました。
 トルクメニスタン(トルクメン人の土地)もそうした地域の一つです。

 
 このようにトルコ系カザフ人、トルコ系ウズベク人、トルコ系ウイグル人といった民族がありますが、トルコのトルコ人は、歴史的経緯とその思想から、そういった国家や大部族レベルの単位における伝統的感覚や伝統的名称がありません。 便宜上、トルコ系トルコ人ということになります。
 
 トルコにおいて民族とは、血統や生活習慣ではなく言語で定義されます。
 血統や遺伝形質においては、トルコに暮らすトルコ人は、コーカソイドつまりヨーロッパの白人や、アラブ人となります。
 宗教も関係なく、非ムスリムのトルコ人もトルコ人です。

 1000年頃のトルコ人は、セルジューク朝の人々として、支配者層としていくらか入ってきただけのようです。 トルコ語といっても、文章はペルシャ語、アラブ語だったそうです。
 アナトリアに入ってきた時点でかなり混血が進んでおり、元来の、我々と同じような東洋人顔はしていなかったようです。

 また、イスラム化していました。
 トルコ系の人々は、わりと後のほうにイスラム化したり、旧ソ連だった地域が多く、ゆるいイスラムが多いです。 トルコのこの性質は、現代まで継承されます。
 
 セルジューク朝ではスーフィーが盛んで、権力や体制より、内向的な瞑想などを好みます。 ルバイヤートいう酒賛美の詩集が流行ったり、ガザーリーという研究の行き届いた達観系の思想家が出てきており、今日のスンニ派の原理主義体制なら皆殺しにされそうです。 
 
 セルジューク系は遊牧色が強く、数世紀の間、アナトリアの内陸部を勢力範囲とします。沿岸部はギリシャ系のビザンツ帝国が支配していました。
 ギリシャが古来の活動を行っていたのはこの頃までです。 トルコとの間では、この頃の住み分けが、最も無難かつ正当性の高い国境と思われます。
 
 セルジューク以降は、十字軍が残念だったり、モンゴルが来たり、小国群となっていたりして、次にオスマン帝国の時代となります。
 
 
 
 オスマン帝国は、いわゆる世界帝国です。
 領土はローマ帝国を東にずらしたような感じでした。

 世界帝国の語は、いまいち意味が通じにくいと思いますが、今のアメリカやEUに近い存在です。 ローマ帝国や唐王朝やモンゴルがそれで、宗旨人種不問で高官を登用混血が進み複数の文明圏にまたがり文明が混ざるといった特徴があります。
 面積が広くとも、大英帝国はエリートが固定的で、ソ連は思想信条に偏狭で、中華人民共和国は漢民族が多すぎ、日本が目指した大東亜共栄圏は民族主義が基盤なので、ちょっと違うと思います。 現代では、実現には難儀していますが、英仏が信仰の自由を保障して旧植民地人に参政権を与えたりと、世界国家を理想に掲げている感じはあります。

 “オスマン・トルコ”は他称、また俗称で、実際には典型的な多民族国家でした。オスマンのトップはスルタンを名乗っていましたが、ローマ皇帝を名乗っていたこともあります。いずれも、秩序の覇者であるということです。

 公用語はオスマン語。支配者層はこれを話していたそうです。
 トルコ語系統の文法に、イスラム文明を多く残していたペルシャ語とアラブ語の語彙を使った人造語で、表記はアラブ文字といいます。現在の人造世界言語、ポーランド産のエスペラント語が、ヨーロッパ語を基礎にしているようなものです。
 上流階級はこのオスマン語を話していたそうです。

 イスラム体制を標榜しながら、公用語がアラブ語でないことには大きな意味があります。 イスラム教は反民族主義ですが、コーランを翻訳してはいけないなど、アラブ語は優位になっています。それで、エジプトなどはアラブ語化してしまいました。
 後のトルコ人達がそうだったように、オスマン人達も汎イスラム主義は取らなかったのです。
 現在でも、トルコがイスラムにどっぷりということにはなりにくく、イスラム原理主義(イスラム統一国家を作ろうという宗教的思想、草の根的、ゲリラ戦とテロリズム)とか、ナセルやフセインやカダフィが掲げた汎アラブ主義(アラブ統一国家を作ろうという合理主義的思想、エリート的、ソ連に接近)とは相容れないものがあります。 トルコは地域大国なんですが、イラクやエジプトのように、アラブの覇者に名乗りを上げることはありません。


 オスマンの支配者層は様々な出身からなり、トルコ系、今日からトルコ系(今日からオスマン語話者になった人)をはじめとした多民族でしたが、オスマン人という帰属意識を持っていたそうです。アメリカ人が、アングロサクソンとかヒスパニックと思う前に、アメリカンと考えるようなものでしょうか。
 オスマン帝国市民の感覚では、トルコ人とはギリシャ人やスラブ人、アラブ人たちと同列の被支配民で、“アナトリアの土着民的な意味だったといい、よそと同じように反乱を起こしています。バルカンのスラブ人が、自分達のうち、カトリック教徒をクロアチア人、正教徒をセルビア人と呼びますが、ムスリムをトルコ人と呼ぶそうです。これはオスマン時代の意識の残滓でしょうか。

 トルコ系の人達は、中央アジアの一部の遊牧帝国を除き、概して遺伝形質的な意味での血統を信仰していません。オスマン帝室もこれには極めて無頓着で、民族意識も薄かったため、皇妃はヨーロッパ人だらけ。1でハーフ、2代で75%、3代で87.5%になるので、中期には、スルタンの遺伝子はほぼ西洋人となっていました。
 ヌール・バヌー、サフィエ・スルタンなどが有名ですが、ヴェネチアあたりの貴族の娘を誘拐してきて後宮に入れ、この女性達が皇帝を産んで、権勢を奮うというのが一時期の基本でした。
 ちなみに、中期まではスルタンが即位すると、兄弟は皆殺しという慣習でした。皇帝一家は支配権と引き換えに、凄まじい義務を負っていたことになります。

 こうして、スルタンほどではなかったでしょうが、オスマン人たちの顔は混ざって、東洋人的な顔立ちではなくなり、ヨーロッパ+少しアラブといった顔になっていきます。


 

 くまモンのアクセントは 「 くまもと 」 の音で、後ろが上がるそうです。

 熊本の震災は、ようやく状況が伝わるようになってきました。
 先行きの不安や、火事場泥棒などによる不信感、正義の味方の闘争による荒廃など、精神面の問題が大きいように思われます。
 なので教祖としては、邪魔になることを怖れながらも、外野から多少の口を挟んでおくべきかもしれません。


 ある人が熊本の地震を受けて
 「あんな地震が起こるんだから、神様なんていないんだ!」
 と言っていました。

 その理由は、
 「だって神様がいたら、そんなことはさせないし、助けるはずだ!」

 これは無神論といえます。


 で、彼はどうしてそんなことを言い出したのかというと、
 「地震は人間の行いが悪いから起きたんだ。天罰だ!」
 という、いわば神罰論を聞いたからだそうです。
 これは東北の時に度々云われ、僕はシュツットガルトでドイツ人からすら聞きました。
 そこで無神論の彼は、この神罰論を否定して
 「天罰なんかじゃない、なぜなら神は罰を与えたりしない、だから神様なんていないんだ」
 と言っていたわけです。


 このような話は、まあとにかくハチャメチャです。
 今の日本人で、義務教育レベルの宗教知識を語れる人は1%くらいではないでしょうか。


 結論からいうと、震災と、神の意思や、神の有無とは何の関係もありません。
 むしろ精神という語に神が入っているように、神は困った人を内面から支えるものです。
 被災者を攻撃するだけで、復旧に何の寄与もしない天罰論を部外者が突然叫び出すことは、迷惑以外の何物でもないと思われます。
 また神頼みをして凌いでいる不安時の人々にとって、無償の支えを取り外そうとするだけの無神論も、ネガティブに作用するだけなので、歓迎はされないでしょう。

 天罰論や無神論を否定しているわけではありません。地震と関係付けるのは感情的・短絡的過ぎて、結果的に有害だろうと指摘しているのです。念のため。


 第一に、天災が起こることは、無神論の証明にはなりません。神は天災を起こします。
 第二に、天罰とは罪との対応です。そうでないものは祟りか試練です。


 神道においては、神は祟るもので、天災を起こします。
 神道は二元論ではなく、神の対立概念である悪魔や怪物はいません。
 徹底的な汎神論で、人間が認識したものには全て神がいます。たとえば墓や神棚には、祖先全体の神、祖先達の神々、特定の祖先の神、氏神(一門、系統の神)がいます。人を攻撃するのも神、守るのも神です。

 天神さん(天満宮)は、大宰府に左遷された菅原道真の怨霊です。
 道真は中国式の教養人で、人を呪うタイプの人物でもなければ、首相が大阪市長になった程度の左遷でしたが、それでも昔の人は、落雷を道真の怨霊の祟りと見なしました。
彼はまず、天神(雷神)として祀られました。復讐という天罰と、日常の落雷という祟りの両方を起こします。
そのうちに学問の神となり、人々に知恵を授けるようにもなりました。儒学など学問の道を進む人々は、道真の事蹟から、彼を範としたのです。

 天神さんは色々なことをする神ですが、親切なだけの神、祟るだけの神もいます。
 “ 鳥居におしっこをかければバチがあたる” という論理式型の祟りもあれば、“ 村人を食うだけの祟り神 ” など、何の理由もなく祟る神もいます。うち、罪にかかる型の祟りを、神罰や天罰といいます。
 熊本の地震は、山林を伐採して土砂崩れが起こったのではありません。気まぐれの神が突然祟ったという認識になるでしょう。

 神道的な汎神論で神を認識するならば、地震の神、熊本地震の神、土地区画ごとの神々、熊本の神、地震を起こす神、地震を止める神、地震で打ちのめされた人々を救う神、などが現れることになります。たとえば平安期の地殻変動期に起きた東北の津波を元ネタとした“末の松原”を詠んだ清原元輔が、終焉の地の熊本で祀られています。
 何でも神様になると考えると混同しやすいのですが、何の神様がいてもいいというか、何でも神様がいなくてはならない感じです。
 従って、「天罰だ!」と論理式型の攻撃神のみがいるのはナンセンスです。

 もちろん地震が起こったからといって、神がいないことにもなりません。 鳥居につばを吐かない程度にしても、日ごろ神々の認識を持って生活していた人々に 「 助けてくれと思ったときだけ神はいない 」 というのも、同じ理由でナンセンスです。彼らはどこかで支えとなる祈り先と出会うことになります。
 神々をトータルすれば、 “願えば現世利益を保障してくれる” という存在ではありません。だから思想や学問を削って技術や科学にあてた現代日本人の一大常識となっている “ 神は願えば何かをくれる存在だ → お願いしたのに現世利益をくれなかったから神はいない ” ということは成り立ちません。
 アリがどれだけ自分達に都合のいいようにしたいと伝えても、象は寝返りをうつし、食べこぼしを出すようなものです。ゾウという現象が炭素の塊なのか、ゾウという実在なのか、我々の認識なのか、ゾウを成している部品群の象徴なのか、そういう認識のうち、あるあいまいなものが神道の神という感じです。


 九州は伝統的にキリスト者が多い土地ですが、こちらの神も、ノアの洪水、ソドムとゴモラ、バベルの塔など、天罰を行なってきました。
 ただし、ソドムの罪はソドムへ
 岩手とかむしろ逆です。
 歌舞伎町や銀座のかわりに、阿蘇と熊本の間に土砂崩れを起こすとか意味がわかりません。
 また、神は人間を個人単位で完璧に観察し、ノアやロトを選別して救出しています。
 神は絶対に契約を守るので、旧約聖書における神と人との関係において、天罰として熊本に地震を起こすとかは、色々とありえないです。
 
 さらに、このアブラハム系の神は、“ 罪深い人間が罪深いことをしていると、天罰を発動する ” という性質はあるのですが、キリスト教においては、イエスが契約を結びなおしてしまいました。人間は新しい契約(新約)の下では、天罰に怯えて支配されるのではなく、主体的に生きていく存在です。
 日本でキリスト教とされる “ 一般常識 ” は旧約の創世記の影響が大きいですが、新約によって、いわゆるオワコンとされた価値観が多いです。
 
 聖書の世界では、全てが神が設計した通りに動いており、帰結も決まっているというルールなので、地震を起こすのも神です。
 ギリシャ二元論(グノーシス派)の影響もあり、神(の側)と対立する悪魔はいますが誘惑や麻薬物質の擬人化で、新約の後期やコーランでは多神教の神(偶像)を示すことが増えてきます。いずれも地震を起こす存在ではありません。
 何かが起こる、する、ある、ということは全て神に帰結するか、少なくとも端を発します。コーランではジン(妖霊)も神の産物で、神の命令で行動する存在です。
 ということで、聖書においても、地震が起こることが神の不在を示す理由にはなりません。
 
 では神の起こした地震は人類や被災者への天罰かというと、それも違います。
 日本では、試練という概念はあまり知られていません。聖書の神は、神道の神と違い、気分で人間を攻撃したりはしません。完璧な設計者です。アブラハムの宗教の認識では、災害は祟りではなく、すべて計画通りに与えられた試練なのです。
 天罰は罪に呼応しますが、試練はニュートラルまたはポジティブなもので、人間は主体的にこれと向き合えます。ケイマン諸島直下やウォール街直下で、関係者だけが死んだ地震なら天罰と認識されるかも知れませんが、今回のなんかは試練です。
 
 イエスは、いわばコペルニクス的転回をして、旧約聖書を読みました。
 皆が存在するのは神が創ったからで、それは神が皆を愛したからです。また人間は神をモデルに創られたのだから、神の愛(アガペー。またチャリティーの語源)を実践できることになります。
 神の意図や、神の創った宇宙の法則は人智を超越し、不明です。ある天災が、天罰なのか、神が気に入った人を傍に召すのかといったことは、権威が決定することではなくなり、不明になりました。人間は自由で主体的になったのです。のちに神の法則の確認は、西洋サイエンスの原動力となりました。
 
 大災害のような試練は、イエスにとっては、神意を問うたり、神殿の規律を守ったり、生贄を捧げる時ではありませんでした。チンチンの皮を切る(割礼)ときでもありません。安息日や民族差別などの規律を華麗にスルーし、神の愛を実践し、助け合う時だったのです。
 こうしてイエスは、災害や病気という試練を、助け合うという形で神の愛を実践するポジティブな行為の場にひっくり返してしまいました。
 
 基本的に(聖書内でも諸説ありますが)、自分を殺した人々をも愛したイエスは神の完コピを実践し、人類の罪を持って行ってしまったと認識されています。
 旧約時代のような、
 命令(権力が監視する規則) → 逆らえば天罰(と人罰)。 従えば喜ぶ
 という、単純なプログラムみたいな神と神授権による支配は希薄です。神は、主体的であることを手伝ってくれる対話の相手です。
 
 このように、キリスト教では天罰はオワコンで、試練も神の計画によって、あらかじめ予定されたように確実に起こっているという認識です。
 神は救う力も全能で、契約を必ず守る存在です。だからOMG!は「(この試練は)なぜだ!(いや神の意図が不明なのはわかってるけど叫びたくはなるよ)」というニュアンスで、幼児がスマホによだれを垂らしたといったようなアクシデントにネタとして使うと、敬虔な人からはたしなめられます。
 こうして見ていくと、キリスト教における困難の第一義的解釈は 『 神は試練を与えられた。今は隣人を助ける時だ 』 という感じになり、実際に寄付(チャリティー)なんかも集まっているわけで、天罰論はともかく、震災からの無神論はなかなかリンクできない発想でしょう。
 というか、キリスト教は全般的に誤解が多すぎです。いや、古典が名前と権威ばかりが有名で、スルーされまくりなのか。
 思想や精神のような基盤となることは、平時のうちに備えておくと効率的と思うのですが。 

 まあ、僕の場合なんかは、キモメソとして生まれ育ち、中二の時にはフェラチオというものは一体どういうものかと考えているうちに興奮してきて、自分で試しているうちに身体が柔らかかったので届いてしまい、成功してしまいました。こういうのは何かの天罰かもしれませんが。

 というわけで、外野は、関係者の足を引っぱらないように、精神面でも気をつけたいものです。
 





 最近、 「 日本死ね、保育園落ちた 」 というのが流行っているようですが、この流れでは死ぬのは日本人で、日本はますます肥え太るでしょう。

 
 事の発端は、企業別となった労働組合が有効に機能しなかったことと、80年代の、男女雇用機会均等法にあります。
 
 洗濯機や冷蔵庫や電子レンジなどの普及で家事が機械化し、世の中は変わったようです。
 男女とも職場に向かうということは、単純に言えば、給料が半分になることになります。だってモノが倍に売れるわけではなく、むしろ家は洗濯機や冷蔵庫で埋まったんですから。
 2016年の今日まで、職は自動化やロボット化やIT化で人間いらずになっているのに、労働者が倍に参入するということがおこったのです。
 そういうわけで、収入3割減、時間が3割増のブラック企業が増加なんてことになるのも、算数的には当然の流れなわけです。

 
 “日本”を構成する一要素である政府は、国家総動員法みたいなのを作ったようですが、とんでもない話。 日本人は、日本に搾取される機会を奪い合って、殺しあうことになります。 “日本”を構成する一要素である産業が、美味しく太るだけです。
 
 
 世界の幸福度ランキングで日本は53位ということでしたが(幸福に釣られる思想はどうかと思いますが、今はさておき)、経済力と平均寿命が反映されているようなので、反面、生活レベルが著しく劣悪ということになります。
 上位を占めたのはヨーロッパの国々です。
 ヨーロッパは、別に、活躍しなくてもいい社会です。
 国家総奴隷法など考えられません。

 
 男女雇用機会均等法につづく国鉄民営化問題のとき、民衆は、自分が休むことではなく、労働組合にも働かせる方向に誘導されました。 この互いに足を引っ張り監視しあう社畜的空気が、単身赴任やサービス残業を生み、派遣自由化やブラック企業化まで続きます。
 
 男女雇用機会均等法が制定・施行された80年代、“女性の社会進出”が喧伝されました。今思えば、おそらく産業界と、その献金によった政界のプロパガンダでしょう。
 しかし、本質的な平等を目指すならば、女性が主に携わっていた家事の地位が上昇し、男性が喜んで家事や育児に回りたがる事態が、女性が喜んで外で働きたがることと同等にならなければなりません。 こうしたことが一般に考えられた形跡は、調べたところでは発見できませんでした。
 結局、日本人を犠牲にする徴兵・払税で日本を肥え太らせてきた、男尊女卑カーストの儒教脳のまま、未だに脱却できているとはいい難いです。
 
 
 幼児の親が全員、企業に仕えて、経済的に、また誰かに褒めてもらったりしないと生きていけず、幼児がみな保育園に収容されるというのは、異常な社会です。
 保育園のキャパを増やして、親が労働市場に殺到すると、ポジションの奪い合いはますます加熱します。 必要な仕事が増えたわけではないですから。 
 いずれ仕事を奪い合うため、大学院までが職業訓練校になり、経営学部と工学部以外は廃止、女性の半分は売春婦みたいな、SF的ディストピアになります。
 
 男女雇用機会均等法の時、同時に時短を意識せねばなりませんでした。
 仕事のポジションを殺し合って奪うのではなく、合理的にシェアするということです。 
 仮に、80年代から現在まで、夫婦が理想的に社会進出していた場合。
 ・夫婦それぞれ週に3~4日ずつ働く
 ・2人とも仕事に出ている1~2日を保育園に預ける
 仕事が減ったぶんは、機械やコンピューターを作って人間がいらなくなった分、本来いらない過剰広告や無駄なポジション争い、今その辺にある無くても死なないものの生産などに該当しているので、無くなっても大丈夫です。
 
 
 
 僕は、小2のときにイトウ君のお父さんが過労死でなくなって以来の、筋金入りの日本キラーです。 
 小3の時にも、クラスのヤツのお父さんが大型車の運転手だったのですが、仕事中の事故で亡くなり、そんなこんな色々あって、僕は学校の授業や集会などの話を聞くのをやめました
 当時からの友達が今でもSNSなどに残っていますが、10歳ごろ以降、僕が学校の話を真面目に聞いたり、ましてや一生懸命ノートをとったりしているところを見たことのある人は、誰もいないはずです。

 ずっと“社畜工場(=日本)死ね”と思っていたので、教員の話はなるべく聞かず、寝たり、おしゃべりをしたり、マンガを読んだり、絵を描いたり、音楽を聴いていました。 だから特に苦労をしたわけではないのですが、身体の小さかった中学2年ごろまでは、それなりの恐怖感も味わいました。 それなりの戦いではあったため “日本”=大人全部と考えており、いたずらや万引きなどで、無垢な企業や無害な商店への攻撃も無差別に行っていました。 要するにテロリストです。
 
 高校生くらいからは論理的になりましたが、それでも30くらいまでは攻撃的な毒舌派でした。同志の笑いのネタを提供するという感じでしたが、僕の攻撃対象は、いつしか人間になってしまっていたのです。
 自分の発言が、カイシャや国家を信仰している人々の精神を破壊しかねない攻撃力を持ったとき、僕はだんだん丸くなり、コトの本質に気づきました。
 
 その後、浮浪者や社長や海外経験を経て、わりと観察的・理性的な科学的手法から導き出したことですが、日本を殺すこととは、日本人を生かすことです。
 “ 日本死ね ” とは、自立した自由な人々が、思想や機械や組織や慣習といった人間が作り出したものや、互いの支配欲から解放しあうことにあります。
 つまり日本人が生きれば日本は死ぬのです。
 
 つまり今回の騒ぎでは、恐らく 「 社会が若い 」 ということなのでしょうが、人々は感情的になって、その意味でも人間同士で攻撃しあっているようです。 このことも冷静な判断力を奪い、人々を奴隷化するほうに加担してしまい、日本を肥え太らせそうです。