※ヴァイオリン音当てクイズです。

 

 A・Bどっちがどっちでしょう?

 

 ・現代の楽器(新品時セットで6万円台)

 

 ・19世紀末の楽器(完品で30万円~50万円前後)

 

 

 

 

 

 

 どうせ正解してもなにももらえないので、冷静に考えてみてはいかがでしょう。

 

 

 ヴァイオリン聴き当てクイズには、正解法があります。

 まず、音色の区別ができるスピーカーで聞く必要があります。

 普通のスマホやパソコンの付属なら充分ですが、あまり酷いと、オレオレ詐欺の声みたいに皆同じ音になってしまいます。違う音に聴こえればいいです。

 区別さえすれば、あとは生活感覚から類推できます。


 まずは、響きを聴いてみましょう。

 

 目の前に、以下の2丁の楽器があるとして、

 ・ホールで弾いているように響きを足す楽器
 ・四畳半で弾いているように響きを引く楽器

 いずれが高価になりそうだと思いますか?

 ・ホールの音響を楽しむのと、四畳半の音響を楽しむのと、どちらが金がかかりそうか。
 ・楽器のような響きを作る道具と、ゴムの塊や石のような響きを止める道具と、どちらの製造が難しく、どちらが道端に落ちていそうか。

 響きが深くて長い楽器と、響きが浅くて短い楽器と、どちらに金銭的価値が発生しやすいと考えられるでしょうか。

 

 

 第二に、音質の高低を聴いてみます。

 

 AとBの、どちらが高音に強く、どちらが低音に強いでしょう。

 本来は雑音などに顕著に出るのですが、録音だと音階レベルのほうが判別しやすいかもしれません。

 

 では高音と低音と、どちらにカネや経年変化が要るでしょうか。

 

 薄い板に削るのと、厚い板に削るのと、どちらに手間がかかるでしょう?

 これは明らかです。
 薄い板に削ることは、厚く削った板にさらに手を加える工程です。
 薄い板のほうが、時間がかかります。

 では、薄い板でできた楽器と、厚い板でできた楽器と、どちらが軽いでしょう?

 これも当然ですね?
 

 では、野菜や果物を長年部屋に置いておいたら、干からびて痩せて軽くなるでしょうか。

 それとも、水を吸って太って重くなるでしょうか。

 

 木材も植物ですね。柱なども同じようになります。

 

 

 カネのかかる楽器や古い楽器が軽いか重いか、傾向が導き出されると思います。

 

 

 では、軽い楽器重い楽器は、それぞれどんな音がするでしょう。

 薄いグラスと厚いグラス、重い鍋と軽い鍋などを弾(はじ)いて比べてみたとき、音が高い、低い、響く、響かないのはどちらでしょうか。外壁と内壁、机とテーブルでも何でも、同じ材料のものをコンコン、トントンと比べてみたとき、音量や、響きの長さ、音の高低はいかがでしょうか。

 人間の声のような低音が豊かな楽器と、摩擦音などの高音が豊かな楽器と、いずれが高価になりやすく、また年月を経ていそうでしょうか*。

 

 

 A、Bのどちらが新しい楽器か、推理できましたでしょうか。

 

 ・「ピーン……」と深く響くか、「 ピ 」とハッキリ音が立つか

 ・「ジーン」と低音的か、「キーン」と高音的か

 の差異がわかれば正解できます。

 慣れればすぐにわかります。
 今回は重さが3割ほど違い、比較的わかりやすい例題だと思います。
 これに偶然でなく正解できたなら、他の問題も正解すると思います(とは言っても、例外を持ってこられたら的確に外します)。
 クイズはコンサートの余興や、youtubeなどでお目にかかります。ぜひお試しください、お連れさんが驚きますよ!

 

 

 ※上級者演奏

 *新しいタイプの高級品がフチが薄い構造で重くて響くなど、色々な設計思想があります。いずれも音に傾向があり同様に推理できます。

 

 

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 以下信者向け
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 以上は、楽器当てクイズに正解する方法でした。

 これができれば、こんな時間にこんなブログを読んでいるキモメンの貴方でも……。

 無理か。

 経験上キモメンは何をやってもダメです。

 

 以下は、正解する方法を導き出す方法についてのお話にしましょう。
 

 一言でいえば

 
スマホと教科書を捨てて、外で遊べ

 名言あふれるルソーの教育論『エミール』前半のテーマです。


1.客観視せよ

 このクイズ、だいたい不正解者のほうが多いそうです。

 あるヴァイオリニストから聞いた例ですが、ある余興に価格差50倍の2台で出題してみたところ、
1対19でハズレが多かったそうです。

 正誤が不自然に割れるということは、音を区別した上で、判断を誤っているのです。違いがわからないなら50%ほど当たるはずです。

 なぜ多くの人が、判断を誤るのでしょうか。

 ネットで聴きわけ、食べ比べといったお遊びのネタを見ると、まず荒れています
 多くの人は、「こうしたクイズは自分の感性で答えるもので、当てたらセンスのいい人」という先入観に基づき回答し、外せば「なぜ自分は安物をいいと思ってしまうのか?」と考えるようです。
 
 すなわち物理現象と推理・洞察・経験則から回答するのではく、自分の感じる高級感、印象や好みで回答しているのです。これでは当たる理由がありません。

 
青空は無料で見れますが、スカトロホモビデオは有料です。

 水晶より隕鉄のほうが高く、産まれたての子猫が捨てられ、毒蛇が数十万円ですよね。

 

 誰かが良いと思ったものが高いなんてルールはないのです。

 つまり、落ち着いて考えれば

 「高くなる条件を備えているのはどっちの音か」

 を考えることが正解への道で、

 「オレ様が思ういい音が高い方の音だったら、オレ様は違いのわかる優れた人」

 には、その発想自体に何の意味もないことがわかります。

 クイズの演奏が狭い所で行われ、狭い所でイイ音がする楽器が安く作れた場合、そこでイイ音を当てると“安物”を掴みます。耳が肥えていれば不正解になるのです。

 上の例では、おそらくこれが起こったのでしょう。観客の19人は、生演奏を聴きにいくような耳の肥えた人です。

 何人かは、音の小さい楽器が上品だから高いと思ったかもしれません。でも、少し考えてみれば静音化はゴムでも当てればよく、大音量化が価格上昇要素です。

 


 2.自我を捨ててみよう


 判断力を失う原因は、強い自我です。

 耳やセンスが悪いからではありません。

 

 こうした判断力の有無で自己評価することにも意味がありません。

 「98円のサンマを美味いと思うオレの舌はダメだ!」

 

 と評価しているのですから。

 自我はオレ様基準を世界標準にしようとするので、黙らせたほうが判断力は上がります。

 

 

 僕の目は物を見るプロ、カメラは写真を撮るプロ。僕の頭から指までは初心者。
 そこで「オレの撮りたい写真」を黙らせました。要するにオートで何も狙わずシャッターを押したものです。

 

 自我は判断力を奪います。
 多くの人はひいき球団とライバルとを比較し、ひいきを高く見ます。

 ソースはその辺の阪神ファンです。異論は認めません。

 阪神生え抜き、関西出身と来たら、あばたもえくぼ。7回あたりの勝ち試合の外野席ともなれば、酒も入っており判断力の1gも残っていません。

 ドラフト頃にはフロントやコーチの文句を言っているのですが、何故か3月頃になると「今年はなんか今までと違う。優勝いけるやろ」と思っているのが自分でも不思議です。


 

 主観を排して事物を認識することを明鏡止水といいます。

 出典は『荘子』にあり

 

 欲求で波立った精神の泉に、真の姿は映らない

 

 といった比喩です。

 

 多くの人が「楽器当てクイズでは、オレ様の聴力や音感、芸術的センスが問われている」と思うことで、泉に巨石ドボンなわけです。それで順当に外した結果、中には地雷を抱えてしまい妙な言い訳を考えたり、ネットに理論らしき説を書いてしまう人もいます。

 ここで
オレ様もとい欲は必要ありません

 耳は物を聴くプロなので、脳より早く音を入力して処理できます。

 必要なのは、判断力と生活経験です。

 

 違いを当てる人達は、自分が違いがわかる人か否かではなく、次回誤らないか、そのとき持っていた情報や判断が正確であったか、経験に汎用性があるかを気にしているものです。

 

 

 3.リテラシーをあげるチャンス

 

 オレ様の評価から解放されると、必要なのは情報と推理だということが見えてきます。

 音楽家や芸術家の能力は要りません
 要るのは楽器職人や消費者の能力です。

 

 まず、価格と性能(いい音)との相関性はないことがわかります。

 

 

 ルソーはこう指摘しています(以下、引用は岩波旧版より、中略ありの意訳)。

 本当に高い技術に、高い価格は付かない

 本当に皆が必要なものは、効用が一般的で皆に不可欠で、皆に買える価格しかついていない

 いらないものほど高くなるのは、「私は庶民が買えないものでなければ欲しくない」という需要による

 ガラス・鉄・水と、ダイヤ・金・ワインを効用の例に挙げています。

 価格決定はそれだけで一科学となる分野ですが、様々な原因があるのです。
 この句は更に、上級リスナーが「庶民がいい音と言わない音でなければいい音と呼びたくない」と考えている可能性を示唆します(ないと思いますが)。

 

 楽器の価格を決めるのは、いずれでしょうか。

 1.楽器製造の専門家&演奏の専門家

 2.商売の専門家A&商売の専門家B

 

 

 答えは2です。

 楽器製作の探求で忙しい売り手より、利潤の追求で忙しい売り手のほうが大きな宣伝費を出せます。
 利益の専門家のほうが、演奏の専門家よりお金を持っているので、高い楽器を買う力があります。
 もっともプロ演奏家の場合は、業として演奏でカネを貰うだけでなく、ある時代や地域の一例となる楽器を高い技術で保存しながら公開する職があるため、そうした楽器を使うのは社会奉仕義務のようなものです。彼らがかなりの無理をしたり、財団が保管して奏者に貸しているので、巷間でも様々な楽器を聴くことができます。それでも市場がガラクタに大金が出てしまう圧力から逃れることは出来ません。

 

 そして通だけが旨みを知る珍味は何事にもあります。

 “高度なものは大衆に理解されず、高い値段がつかない” といった現象は普遍的です。

 魚の内臓は、フィレ牛肉より不味くなくてはならないというルールはありません。高くて効力の少ないものと、安くて効力の高いものは、どの市場においても一定数存在します。


 これらのことは冷静に考えてみれば自明のことですが、自我にふりまわされると市場にやられてしまいます。

 

 

 4.リテラシーの無さが問題だらけの市場を形成した

 

 ヴァイオリン市場は残念な子。マイナスイオン家電が裸足で逃げ出すほどです。

 

 魚の市場では、美味くて身体にいいほど高いと信じている消費者はいません。魚屋の虚報も聞いたことがありません。

 ほぼ権威主義で成り立つヴァイオリン市場は、そうではありません。

 

 販売者 「ストラディヴァリのニスには人間の血が使われている」

 購買者 「マジですか!一本ください」

 とかは笑いのセンスを感じます。
 「この楽器独特のイタリアの音」とか「金銭的価値がつかないほど」とか、「ストラディヴァリ、1ミクロンに隠された秘密」とかいいながらシール貼ってあるとか、一杯あります。クサいのも多いです。魚屋もだけど。


 楽器は、「美しい音」「美しい模様」といったように需要の大部分が主観によっており、簡単に証明できる効能はほとんどありません。1億円の品となれば価格を上げるために1千万使っても2億で売ればも9千万円儲かるので、神話を吹聴する者に事欠きません。「持ち主が次々と○○になった呪われた伝説」とか付けて売ってきたわけです。
 金の余ってるところから獲っているうちは笑い話ですが、そんなキャッチコピーが200年も溜まれば、一般に有害な信仰も広まるわけです。

 パトロン時代の貴族は、領民からの税を還元するだけです。プロリスナーでもあり、なかなか騙せませんでした。

 資本主義の時代、新興成金は音楽のことなんかわかっちゃいません。騙されるだけでなく、資産を生むための資産として投機対象にもしました。
 コレは儲かるとなれば、楽器に全く興味の無い連中も集まってきます。贋作なども大量に出来ます。適当に偽ラベルを貼ったり、営業トークで都市伝説を沢山つくりました。機能と価格は正確に比例するといった宣伝も欠かさず、骨董や美術以下の市場になります。


 19世紀の楽器商達は、アメリカの成金を釣りました。

 それから後発の日本、そして中国で、成金や新興階級が楽器に手を出します。すると、こうしたウソを善意のアメリカ人から聞いて、信じ込んでしまったのです。

 見破りにくいパターンです。彼らはまた善意でそれを広めたのです。

 

 今日では、概して新品なら価格差3倍くらいだと個体差や製造国の人件費、ブランドで逆転しえ、10倍の差が逆転されることは稀といった程度でしょうか。骨董品だと何でもあり、つまり茶碗の価格と性能の関係と一緒です。音の好悪で価格を見破るなんて不可能です。

 

 「ヴァイオリンには大金がかかる」というのもウソ。

 信じてもらえば高く売りつけられるので、嘘をついたのです。

 一般のヴァイオリンが他の楽器一般より高かった時代はありません。今や中古ローエンドは1円で手に入り、気軽に手を出せます。

 今日のマトモな楽器屋さんが、誠心誠意に事実を話して顧客を説得しても、固定観念を信じる人が多いそうです。

 初心者用の中国製にヨーロッパの商社がラベルを貼ると、値段が上がってなぜか中級者用なるとか。イタリアで修行した中国人が作っても高い値段では売れないとか。物理法則とかは信じないんでしょうね。

 
 被害者にもみえる消費者ですが、対価を支払わずに教養を手に入れようとしています。
 ヴァイオリンのメッカはイタリアではなくアルプス外周です。イタリア側ではトリノからヴェネチアあたりまでの平野で、エンジン音にこだわるフェラーリもここです。ローマ以南にこの音響文化は無いようです。イタリアは半人造国家で、南北で別の国と言っても過言ではありません。19世紀後半までイタリアという国や民族はなく、イタリア半島と周辺には、アドリア海のヴェネツィア人、西地中海のジェノヴァ人、南地中海のナポリ人と、海単位で生きた海洋民族がいたのです。

 楽器製作の手法はアルプス北側のドイツからクレモナなどイタリア側に入り、再びオーストリア側、フランス側、ドイツ側へと波及します。英語やフランス料理のような欧州オフィシャルとして採用されたヴァイオリンへと、ガイゲやフィドル、ハーディングフェーレといった各民族の四弦楽器が音楽様式とともに規格統合されていき、フランスで近代化され、トランジショナルの時代を通して現代の様式群に集約されました。
 イタリアという言葉だけを知っていると生兵法となり、逆に騙されてしまうわけです。

 新しい楽器がストラディヴァリの音色を何故抜けない(ということになっている)かというと、音質の良し悪しは好悪なのに「ストラディヴァリが一番いい音の基準である」としているために、別のものが基準を抜ける理由が無いためです。アイドルより近所の子が可愛いというと、お前はわかってないと言われる偶像権威集金システムです。

 古物信仰の背景には禅の境地と同じ価値観がありますが、大衆は新しいものがいいと知れば新型を漁り、古いものがいいと知れば旧作を漁るだけです。こうした知識も判断を狂わせます。実際には、新しい楽器でコンクールに入賞することは普通で、100年前の楽器が毎日10ドルや20ドルで落札されています。好悪は割れますが経年変化の音響的傾向はあります。しかし高値が付くときは骨董や史料や、なにより資産としての評価です。

 ストラディヴァリの部品は、楽器能力がゼロでも何百万もするでしょう。


 5.権威主義に陥らず、判断力を育てる方法

 A「さっきの店、どうだった?」

 B「うーん、どうかな。俺様の舌ともなると微妙……」

 A「シェフは、ミシュラン3ツ星ホテルの料理長だったフランス人なんだ」

 B「微妙な味が表現されてて、さすが3ツ星だと」

 A「あーいや、ミシュランは隣の店で、さっきの店は冷凍食品だった」

 B「だろ?だから最初から言ってた通り、俺様の舌ともなると……」



 こういう経験ありませんか?

 日本人はブランド好きといわれますが、要するに権威主義です。

 

 メーカーや人気や知名度、家柄や学歴や地位のほか、価格や地名も権威になります。
 権威を支持するのは、判断力に自信がないからです。

 ある子供が、クモが昆虫であるか同級生に聞いたとします。

 出木杉 「クモは昆虫だよ」

 のび太 「クモは昆虫じゃないよ」

 多くの子供は「クモは昆虫である」とします。
 小さな生物学者は、クモが昆虫であるか否かは自分で調べます

 野生児は、少し考えればわかるでしょう。

 

 ルソーはこう言っています。

 彼の名前からではなく、彼の作品からその値打ちが付くように育てよう

 よくできたものを作ってきたら、「これがいい」というがよい
 「オレが作った」と言ってきたら、「誰が作ったかはどうでもいい、これはいい」というがよい

 

 自分に判断力があるか、自分ではわかりません。

 判断できると判断している自分に判断力があるかと、自己言及のパラドックスに陥るからです。

 ですがヴァイオリンという実践と、古典の学説で証明を試みてみましょう。

 最高の教科書はロビンソン・クルーソー
 農村へ行ってアウトドアだ!

 パリで教育を受け、しかも裕福となると最悪だ


 ルソーは自然に触れることを幼少年の第一としました。
 子供の自然な発育に任せよ。
 本ばかり読んでいては判断力がなくなる、というわけです。

 物知りだといわれなくていい

 農夫のように働き、哲学者のように考えよ


 とも書いています。

 判断はしないにかぎるが、必要な場合にはできるよう、

 真実を教えるのではなく、体感からの真実の見分け方を訓練させよ

 何かを知っても真実からは遠ざかる

 判断から生まれる虚栄心のデメリットが、知識の価値より大きくなる

 

 知識を押し込むのではなく、発見する力を育てよ

 

 総じて、教えるのではなく、見つけ出させろというわけです。

 つめこみ主義の反対ですね。


 一般に教育は、本当に役に立つことではなく、

 人目に目立ちひけらかしやすい知識や技術を子供に与えて試験をし、大人は出来を見て満足する

 人は子供自身にはイミフなことを押し込んで、しかも充分によく教育したと信じている

 

 自分で体験させて考えさせれば自尊心も育つ

 聡明な子を人は見抜けない

 バカは自分がバカだと自覚できないから、自分の結論を他人に押し付けようとする

 教育の怠慢で歩けない大人になった子供はいないが、

 ヘンな歩き方を教わったために、一生ヘンな歩き方をしている人は沢山いる

 

 雨が降ってきたら、いつも教わった通りにするのではなく、たまに当たりに行くと自然を体感できます。
 

 ルソーは迫り来る近代に、「これが正解だ」と暗記している人材より、目の前の問題の解法を見つけ出せる人材を欲しています。
 なぜかというと、人々が自立しないと近代社会は成り立たないからです。これは欧州では民主主義とともに広まった考えです。自立カクイイではなく、死活問題です。

 こうしたクイズは判断力を上げてくれるでしょう。

 


 6.セミと弦楽器

 

 ルソーに従えば、判断力には自然体験です。

 

 この説は本当でしょうか。

 

 確かに、似ている現象を体験していれば、物事は手っ取り早く把握できます。
 クラスの虫博士だった僕には、クイズの判断材料は昆虫でした。

 ヒグラシというセミをご存知でしょうか。

 その鳴き声は哀愁を誘うとされ、人間が感じる音楽性を高く持ち、録音をBGMに使う人もいるくらいです。文学的にも特別視され、詩や題にミンミンゼミやアブラゼミが出てくることは稀です。

  セミは胴体が空洞で、生きる楽器です。ヒグラシの声は『カナカナカナ』と表記されますが、聴こえてくるときは大抵距離があるので、『ヒーンヒーン』といった高音が響き渡って消えていきます。

 昆虫採集は、ヒグラシと他のセミとの違いを教えてくれます。

 Wikipediaにもヒントが書いてあります。

 オスの腹腔内は大きな共鳴室が発達しているためほとんど空洞で、
光が透けるほどである。

 
間近で聞く声はかなり大きく、遠くで聴く「物悲しい印象」とは異なるともいう。

 ・哀愁系の音
 ・中が空洞で、薄い
 ・耳元だとうるさいが、遠くでは音楽的に響く

 そう、セミの形状と音響は弦楽器そのままです。
 ヒグラシは比較的小さいセミですが、大きな鳴き声がして、倍音が多いのか響きが長く、低音成分が多いのです。
 間近で聞くと『ギチギチギチ』が混ざる感じです。実はこれが美音成分です。音源から遠ざかると、連打音が響いて混ざり、繋がって聴こえます。同時に細すぎる高倍音が絶え、胴内で充分に拡大された低倍音だけが生き残ります。自然の合奏はありませんが、大きなホールでは森より響くはずです。

 同じく愛好されるスズムシも、近くだと『ジジジジ』が混ざった感じですが、遠くだと『リンリンリン』と丸く響きます。庭に放し飼いにして、月見でもしながら声を鑑賞すると粋です。籠やプラより、ガラスの水槽のほうが響くはずです。
 キリギリス系ではマツムシとかカンタン、カネタタキみたいな小型の弱そうなヤツを、少し離れて聴くのが好まれます。大型のクツワムシとか、東南アジアの凶悪なのはハードロックです。

 Youtubeで疑似体験できます。
 
 
写真

 

 

 7.逆だよ、逆!

 ペラい音・ヘビーな音

 

 という言い方があって、これが混同を招くのでしょうか。

 重い楽器は、低い音がする

 これが、とくにギターなどで半ば常識になっているようですが、逆です。
 低音に強いのは軽い楽器です。

 ルソーはこうも指摘しています。

 人は本来、モノを見て触って確認するが、

 今ではそれより先に、知識から入らされる

 18世紀の話です。21世紀の今、もっと知識偏向であることは言うまでもありません。
 情報が氾濫し、子供はポケモンが昆虫の代役です。
 

 考えることを学ぶためには、手足や耳目を鍛えねばならない
 

 知識より感覚器官を鍛えよ
 認識の元となる感覚器官が育たずして理性は育たない

 人の大先生は自分の手足や耳目で、書物は他人の理性に過ぎない


 認識が理性の元であるということは、デカルトに対抗する形でホッブズやヴィーコらが訴えていました。人工設計物を美しいと考えたデカルトは、木製の古い楽器は理解しなかったでしょう。
 その後のヨーロッパ思想史は、大衆が「理性こそ人間の優れた点だ」といい、学者が「人間の頭はそんなに良くねえよ」という基本構造が、大体レヴィ・ストロースあたりの80年代まで続きます。理性主義を実践した植民地支配、ナチ、ソ連の失敗で一般にも非理性主義が広まりますが、アメリカや日本は理性主義が強い社会です。

 僕の中で、ルソーの説はセミの構造と音の差異→楽器で実証されました。
 楽器と繋がる現象は何でもいいでしょう。スポーツ、木工、自動車やバイク、旅先ごとのシャワー音の違い等々……。ルソーは音楽家でもあり、音楽は彼の説の実証にふさわしい役ですが、森羅万象を人間は常に認識しており、判断力の基礎は運動や美術にも通じています。

 ただ、本人が体験・実感する以外にありません。僕が何を書いても、誰かの中で、その人の体験に勝る説得力を持つことはないでしょう。

 


 というわけであまり外で遊べなかった現代っ子が、自分で楽器を選ぶことは難しそうです。

 前提が逆だと、希望の品を見つける能力が高いほど嫌いな品を選んでしまいます。

 

 もちろん商品の権威で選ぶのは問題外です。
 電気製品では帰納法が通じますが、手工木工品ではだめです。作家名などは参考になりますが、偽物が多いのと、作者固有の特徴を聞き比べられない限り無意味です。アマチュアが参考にする意味はまずないでしょう。

 

 ハンドメイド、柄が濃いなど、工法や外見の権威も無意味です。聴いてわかる高性能ならそんな宣伝はしません。現在判別不能な要素、耐久性とかなら宣伝文句に意味がありえます。

 産地名は、費用対効果を狙って逆用するなら役立ちます。ちなみに古いヴァイオリンの場合、ドイツ製は安物の代名詞。昔アメリカに安物を大量輸出したためです。今の中国製のポジションですね。

 最たるムダが効用としての価格です。たとえば趣味仲間のマウンティングに価格を使うなどは逆効果。マウンティングをされるような人は、する人より優勢な判断力を持っているもので、底を見抜かれています
 

 ebayでは、掘り出し物もボッタクリも散見されます。

 産地名や工法名やニス的外見に引っかかる人が多く、年代や作家名からボラれる人は少ないようですが、ラベルを売っている業者もいるので、どこかでエサに使われているのでしょう。まあ素人なら気に入れば何でもいいと思うんですが。
 

 最後におさらいを。

 

 自我を黙らせれば冷静に判断できます。

 自然経験から情報を処理し、正解率を上げることができます。

 

 ・同種の楽器AとBは、いずれかがインド製で、いずれかがエジプト製

 ・インドでは球体形、エジプトでは円盤型が流行っていた

 

 ならば、小さく籠って響くほうがインド製、ワンワン鳴るほうがエジプト製といったようにです。加工が大変な材料ならインド製が、耐久性が不足する材料ならエジプト製が高くなるでしょう。


 問題となるのは、我々が違いがわかる者達か否かではなく、我々が自然条件を歪めず通過させる経験則を維持しているか否かです。外したら、遊びに行きましょう。

 

 

 

 多忙なため、また更新期間が開いてしまいました。

 やはり教祖様ともなると、ゲームやオナニーによってかなりの時間を奪われるものです。



 超絶テクに見える?

 

 トリックです。

 

 実は、ヴァイオリンでは、とりあえず速く弾くことは、音程やテンポをごまかしやすいため簡単

 ビシっと合わせた上で速く弾くとなって、急に難しくなります。

 

 いっぽう、遅く弾くのは、常に技術やセンスを要します。

 撃ちっぱなしのギターやピアノとちがって、音の入り方から音が消えるところまで、奏者が責任と権限を持つので、ロングトーンは常に弾いている感じです。優雅に見えても、すっごい頑張っていたりするそうで。

 

 現代、楽器をやる人の大半は、撃ちっぱなしで、かつ音程に責任の無いピアノやギターに親しんでいるため、速弾きが難しいと思いがちですが、リコーダーでは、遅くて長い音も、息が続かなくなって難しかったのではないでしょうか。

 『G線上のアリア』とかは、メロディーだけをゆ~っくりとピアノで弾くのは初心者でもできますが、ヴァイオリンやフルートは腕や息を尽くして音をキープしなければいけないのと、ビブラートやボリュームや音色があって、どうやったら上手いとか下手というより、感覚的で無限的です。

 上の動画のようなのは、リコーダーでピロピロ連打してるようなもので、一番弾きやすいテンポで弾くより少し難しいといった程度です。そもそも色々ミスってますし、何回か撮りなおしています。楽譜を、一般的日本人が辞書を片手にロシア語を解読する程度にしか読めないので、Youtubeからコピって自分でアレンジしたので、だいぶ適当になっています。

 

 

 ポップスとは、大衆音楽という意味です。

 それは大衆道徳に拠っています。テンポは機械的に時間を割った“正確な”拍子です。伝統音楽なら、テンポとは人間の動きや心拍に合ったもので、たとえば、だいぶ近代的な西洋クラシックの中でも、ウィーナー・ワルツでは1拍目が強くなって他の2拍ぶんある感じです。それでワン・ツースリーと左右にダンスするわけです。

 また、ポップスバンドでは正確にコピーすることが高い技術と評価されますが、伝統音楽では適宜にあわせること、すなわち奏者の体格や、奏者間のコミュニケーション、場の音響や聴衆の雰囲気に合わせることが要求されます。
 要するに、大衆音楽では工業製品生産者の道徳(優秀さや正解や性能)が反映されています。また、それ自体が工業製品です。

 

 伝統音楽は学校教育が、権威に従う訓練に利用し、下級工業生産者を育成するツールとしていますが、実のところは生物的で、ワンパターンな商品ポップスや、日本の若者のバンド文化より、ずっと多様かつ自由です。大体は土着宗教の道徳に依存しているので制約はありますが、そうした制約のいくつかは、工業化や大衆化を防ぐための、大きな自由のための小さな制約だったりもします。

 その意味で、要求されるのはセンスで、かつ主観的です。売れればよいというものでもありません(難解なものや訓練や経験を要するようなものは売れない)。指先を速く動かすというような技巧は、何となく歴史の浅い感じや、小手先感や、または多少俗っぽい印象になります。それより、キラキラ星を“聴かせる”ことが求められます。こうした状況は、ガムランでも祇園祭の囃子でも、何でも一緒です。

 

 

 6月ごろの頃となりますが、ヴァイオリンを買って、今度は1年続いたので、記念にを買いました。

 

 ヴァイオリンの弓には馬の毛が張ってあって、1年とか半年置きに替えるそうですが、僕の以前の弓は、20年とか40年とか、ひょっとするともっと張り替えてない状態だったので、毛替えに行ったのです。

 

 すると、骨董品だったので現代の奏法には合わないらしく、弓ごと買い換えることにしました。

 

 

 

 5万円のお買い物です。

 

 

 

 

 5万円ですよ?

 

 

 

 

 5万円ですよ???

 

 

 

 

 フフフ……。

 

 


 と自慢してみたものの、動機がケチなので、わりと残念なご自慢。

 

 

 毛替えには5,000~1万円かかります。

 なので、1万円の弓だと、弓代が3000円で毛代が7,000円と、ケチには我慢できないバランスになってしまうのです。

 

 弓は、パソコンみたいに値段と性能が比較的比例しています。この時点からもう1年飽きず、週に3時間の音楽タイムがあるとして、CDに1枚3,000円払ってるのに、3,000円のスピーカーで聴くのと、3万円のスピーカーで聴き続けるのとを比べると、前者では割に合いません。 それならコンポを買ってきたほうが、CDを買う枚数が減るでしょう。
 

 中でも、楽器が一番安上がりなわけです。生音だし、飽きることもないわけですから。

 

 と思ってドヤ顔したけど、前に一度、すぐ飽きてやめたんだったwww

 

 しかしこれは楽器が良くなかったんです。

 キンキンするのもそうだけど、心地よい音ではないというか、音楽的な音が物足りないというか。今の楽器は、音階なんか要らないくらいです。で、当時は音程も今よりさらに合わないので、快楽物質が出なかったと思われます。上手くなりたいという野望は無いので、習ったりもしてないですし辞め放題。趣味で頑張るとか僕にはありえません。やろうと思わなければそれっきりです。衝動買いの反省に移りました。ギターなどより音数を減らして、一音を丁寧に聴く・出す修行をしようという企画も、当時はありませんでした。

 

 この楽器はホコリをかぶった頃に、人にあげてしまいました。持って行ってくれたという感じだったんですが、その相手が後に嫁になり、再び身近なところにあります。

 

 

 で、5万円の破壊力たるや?

 

 

 5万円ですからね?

 

 

 買った日は全然使えなかったのですが、翌日覚醒しました。

 

 転がし方を覚えたというか。
 

 なんと、跳ね返ってくるので音楽的な音がする!


 それに、跳躍を利用すると、1度のアクションで2度弾けるのです。以前は上・下・上・下と動かしていたのが、上(パィン)・上(パィン)で済んじゃう。つまり速弾きが可能です。

  反動は力学的に初動と比例するので、安定した音が出ます(すこし腕がいるようですが、今までのように上下と動かすことも可能です)。

 サッカーでいうと、広すぎた駐車場に壁ができて、壁当てができるようになった感じです。

 ボール拾いに行かなくていいじゃん!

 

 さらに、弾むので、弓を反転させずに音を切ることができます。上から下に弾いているままで “ド・ド・ド” とかが弾けちゃう。
 

 加えて、弦に毛を沢山当てて音を大きくしたり、細く当てて小さくしたりできるので、音量の概念が。

 

 その上、手前側を弾いて堅い音にしたり、手先側を弾いてやわらかい音にしたりと、音色も選べます。前のは手前側だとスベって音が出ませんでした。どうも手先を弾くクセがあるようですが、快楽のレンジが広がった感じです。

 

 ある意味、前の弓は特定の用途に使えば、音楽的に面白いはずです。たとえば、ヴォリュームをつけることができないことができるので、一定の音量で弾くのは、とても簡単です。

 しかし新しい弓で、表現力がぐっと広がりました。とにかくドラッグ的で、太い弦で手前側を大きく弾くと、顎の下でブルルルルンと振動して陶酔できます。弓は楽器である(付属品ではない)ということに気づいていたのでゲットに至りました。
 

 

 まあ、なんせ5万円ですからね?

 


 

 新しい弓はブラジル製で、現地で材料(ペルナンブーコ)を植林して、安い人件費に頼りコストカットということで、値段に比べて性能が高いと、評判はよいようです。

 

 量産品ですが、弓の性能はほとんど木材で決まるので、個体差があります。木工や料理やペットをやる人ならよくご存知かと思いますが、生物材は工業製品と違って、同じ名の量販品でも、一つ一つ全然違いますよね。

 

 弓の量産品は、いくつかのグレードがラインナップがされていました。

 つまり同じ5万円ラインの弓でも、1つ上のグレードに食い込むものから、ギリギリで規格が通ったものまでレンジがあることになります。上のグレードが11万ほどですので、5万円で売られている商品では、同ラインナップの3万~12万円くらいの個体性能差が予想されます。
 11万円のグレードは、下のグレードの上位相当から、さらに上のラインナップに食い込む性能帯、8万円~20万円といったところでしょう。それぞれの平均値が5万、11万にならないのは、低性能材のほうが数が多いためです。
 銘柄だけでなく、当たり年のワインを選べということですが、今回は楽器を2丁持っていって店を2件試して、2日間行って選びました。個体差9万円分ということは、日給にしても4万5000円も違ってしまうのです。

 

 こうして試した10本ほどのうち、ブラジル製の2本とそれ以外で、ブラインドで1秒でわかるほど高音(音程というか倍音)の残響の伸びに差があった、つまりブラジル製は、ミクロのところで、しなって弦に吸い付いていたため離脱が穏やかになり、響いていたと思われ、2択のブラジル対決になりました。

 そこでわりと迷って、聞き分けができるほどの差が無かったので、堅めで強い音がするほうで、わずかに高音が伸びる気がしたほうを選んだ感じです。

 楽器と違って、弓は職人でもない限り、数字や見た目からは何もわかりません。試奏せずヨーロッパ製のモノを選ぶと、中国製などの3倍とか5倍はザラ、50万出して2万円クラスといったモノもあるそうですが、事実でしょう。好みや、楽器や奏者との相性も大きいので、そっちも外した傾向だったら超大損です。試奏は必須です。

 

 ヴァイオリンは、楽器を数本、数箇所しか弾いたことがない素人が耳元のような近距離に聴こえてくる音を評価しても無意味なので、プロを連れて行って弾いてもらって決めました。

 一応自分でも弾いて、当日はこの弓ではほとんど弾けなかったので無意味なのですが、首の下でブルブルする振動の快楽が大きいヤツを選びました。

 

 さすが5万円……。

 

 楽器屋さんには色々な楽器が展示してあって、いくらかは調弦してあります。それらが共鳴するので、奏者に背中を向けていれば、ブラインドテストになるだけでなく、狭くてもそれなりの音質チェックができます。

 

 

 

 

 上の動画から、道具を選ぶことで、典型的な初心者の音ではなくなることが明らかです。

 

 音程の狂いや、“わわわん”としないビブラートの不足、フォームとくに右手が真っ直ぐ動いておらず、手先側を弾いていることなど、僕の演奏技術は、典型的な初心者のそれです(たぶん)。でも、木工や昆虫の知識を元に、道具を選んだので、響いたり強弱がついたりしているわけです。それで、これはまあネタなんですが、ポップスとは違った価値観と知った上で、上述のトリックを使えば巧くも見えるわけです。

 趣味でやってて、1円にもならず、女子にモテるわけでもないのに、力をする(隷のと書き、嫌だけど頑張らされること)など、もってのほかです。

 カネを出した上で不快感を味わうのでは、わざわざ自分の部屋に、男湯の排水溝に溜まった陰毛を撒いてやる奉仕活動をしているのと五十歩百歩です。

 

 その点、初めから快楽をくれる音なり振動なりが出せれば(録音だとあまりわかりませんが)、そもそも巧くなる必要がないのです。技術以前に、究極に音質がよければ、音階やリズムは全く要りません。曲が要らないほど、技術も要りません。一つの視点で、最高の音楽は風鈴ですが、曲を楽しむにしても、同時に音質も楽しめるほうが飽きないのです。歌に飽きたことがない人はいませんが、人間の声に飽きたという人はいません。昔ほど音質を重視していましたが、売るために音質を下げ、小部屋の単音から大ホールに、生音からレコード、レコードからCD、CDからMP3へとなり、曲には余計な音が増えて行ったのです。音符の洪水に感覚も肥え鈍って、悪循環を起こしています。

 

  “上手くならないと快楽にならないので、練習が必要だ”という事態は、音質の不足から起こっています。これは簡単に響くタイプの楽器を手に入れることで、瞬時に解決します(鳴らしやすい楽器、高い技術と出会うとものすごい良い音がする楽器、といったキャラクターの差があります。初心者用として売られているものが、僕のいうような意味で初心者に向いているわけではありません、この話は次回に)。

 

 そういったわけで、趣味なんか、道具さえ良ければ練習は要りません。

 やりたいときだけやれば充分、強制力フリーなので、努力系の概念は要りません。冬の間放置するのも自由でしたし、逆に、G線(一番太い低音の弦)だけを2時間ほど鳴らしているとき、用事を思い出したけど快楽を切らしたくなくて、サボった時もありました。

 プライベートな趣味で、一切のイヤな事は不要というわけです。巧くならなくて問題ありません。上手くなる必要が無いんですから。何事も、道楽は、ただ快楽を味わっていれば成るように成ります

 

 趣味を通して女子達と知り合う場を作ろうというなら、習い事にするなど出会いの場に通うべきだし、万が一そこで演奏が巧いほどモテるならば、過労死寸前まで練習するのが合理的と思いますが、音楽自体は自己完結でお釣りが来ます。

 振動と音質の快楽があれば、曲や、技術や、他人の目線などは不要です。どうせ、上手なイイ曲を聴きたかったら誰かの演奏を聴くしかないですし。一生をかけて道を究めようとするプロが、快楽のために他人の演奏を聴きにいくのです。ヴァイオリンのベスト音質は、構造上、遠くから生音を聴くしかないのです。

 

 さらに言えば、楽器職人の腕のほうが、アマチュアの演奏の腕より高いレベルにあります

 つまり素人が自分の腕を出すより、楽器の音に依存して、それを解放したほうがレベルとして高い音が出て、腕が追いつくことは無い道理です。“自分”とは、依存した上で発生する体格の個性の影響といった程度で充分です。

 プロが作った道具とは、使うことのプロが対等にコントロールするレベルのものです。初心者の芸は何事もそうだと思いますが、写真などもそうで、余計なことは考えず、カメラの性能と、モノを見ることのプロである自分の目の感覚に頼って(つまり自我を捨てて)機械的にシャッターを押すと、余計な煩悩の写りこまない写真が撮れます。

 

 

 

 

 

写真を使った修行を始めて一ヶ月頃の花鳥

カメラはNikon1 S1という製品で、セットで2万円台

 

 

 というわけで、何もかも道具にたよるくらいが、バランスがとれているようです。

 

 弘法は筆を選ばずというヤツで、何事も、巧い人は、何を使ってもモノにすることができます。20年前の、2万円台のデジカメのサンプル写真がよい例です。彼らは道具や、見る人の心理をコントロールすることができるので、“ただイイ写真”が撮りたいというのに、最新のごついカメラなんか要らないんですよ。“○○なイイ写真” が必要なので、ごついのも持っているんです。狙って撮るために、自我はむしろ必要です。

 器用な写真家なら、レンズの傷を利用したり、確認用の液晶が見えなくなったことを利用したりと、道具が壊れていることも使いこなしますが、楽器の上級者もまた、低性能の楽器を屋外で弾くのに利用したり、響かない分、共鳴する音程としない音程を強調してバランスをとったりできるわけです。何の世界でも、上級者ほど活用力が高く、身を捧げて10年くらいのレベルで自我の居場所ができるのは一緒です。

 

 最新デジカメのオート機能といった、道具に依存する割合が高いのは初心者です。

 ヘリに乗ったらパイロットが気絶して、貴方が操縦棹を握ったとしましょう。オートパイロットボタンがあったら、押しますよね。パイロットですら、こうしたツールを使うときは使うのです。何よりラクですから。
 道具を選び、「オレがこれがいいと思う」とか「オレがこうしたい」、「オレはこうなりたい」、「誰かにこう感じさせたい」といった自我を捨てて、何も考えず道具に頼りきれば、自然の流れが楽にやってくれます。

 

 今気づいたのですが、僕は初心者ではなく、無心者だったぽいです。

 無心者、というか、その修行者ですね。

 

 初心という野心は、煩悩で、所有者を苦しませるのではないでしょうか。

 道楽に、こんなものは忘れるに越したことがありません。

 

 初心、覚へるべからず

 

 

 続いて、楽器のほうのネタに入ろうかと思います。


 “ヴァイオリンは金がかかる” というのは偏見です。

 よくあるウン億えんのストラディヴァリウスを当てるクイズは、簡単に正解がわかります。

 

 などなど、とにかく偏見と都市伝説がまかり通っている業界なので、次回はそのお話を。

 

 

 

 

 

1.サボっていたワケ


 
 (お急ぎの方は 6.共感覚的手法で作曲をしてみよう に飛んでください↓)

 話の途中で期間が開いてしまいました。

 

 実は、「共感覚は発達障害のひとつ」 と語っている最中に、わが弟が実家に築いて置き去りになっている汚部屋ADHDによるものではないかとの激しい疑惑がわき、神奈川に戻って片付けたところ、どうやらそれに違いないという事態になっておりました。

 

 家系をたどると、それは確信に。
 僕自身もADHDに当てはまる点が多く、WEBによくあるチェックリストでは半分から8割あたりが的中し、いくつかは重度です。 発達障害は前頭葉が小さいという特性のため、他の症状、たとえば共感覚とも併発することが多そうです。 ですが、僕はアスペルガーについては該当する点がないようです。

 生活に問題はありませんが、どうもヤバそうだと思って車の運転をやめていたのは正解だったようです。

 

 というわけで、発達“障害”について、話を集めてまとめたりするうちにインプット期が訪れ、ブログは放置。

 ドラクエとかあんなに面白いのに、セーブが飛んだらしばらくやめるじゃないですか?

 クソブログなんか大概ですよ。

 

 発達障害のネタはいずれ語ろうと思いますが、とりあえずは前回の続きを。

 

 今回は、すこし実用的な話をしましょう。

 


2.共感覚で容易にできること

 

 

 今回は、共感覚者が容易にできることの例をあげます。

 

 結論から言うと、以下のことは共感覚者であろうと、純感覚者(非共感覚者)であろうと、誰にでもできます
 ここで紹介するモノの製法は、共感覚者なら多少速くできるといった程度の差で、
少なくとも特有の能力ではありません。 ですので、こんなブログをこんな時間に読んでいるキモメン同士で萎えますが手間をかけてあげて、同じことを純感覚者がやる方法も記します。

 

 色々なものを製作できますが、実用的とするため、今回は音楽を題材とします。

 

 共感覚者であろうとなかろうと、思い浮かぶメロディーを曲にすることはできます。
 共感覚者は、
思い浮かばないメロディーも作曲することができるのです。
 この手順では名前や色や言葉などの要素を音に変換するので、はやい話がちょっとした遊びです。 各感覚の対応表を制作することで、誰にでもできるというわけです。 アイデアは浮かばないけど作曲をしてみたい人や、飽きた人や、バンドなどで作曲をしていてアイデアに詰まった人には、参考になるかもしれません。 

 

 

3.共感覚的な作曲方法

 


 では共感覚に従い、無機質なものを代表して円周率の曲を作ってみましょう。


 

 僕には

 

 =緑
 =黒
 =黄色

 と感じられています。

 

 また、のギターポジションが、フレットが基点のためか緑です。

 もおなじく基点が1のためか、黒。
 黄色はですが、9も黄色いためか、ローもミドルもハイも全部黄色調の位置です。


 このことから、文字 → 文字の属性色 → 色のギターフレット番号 に翻訳。

 

  = 緑.黒黄 = C.FB

 
 このプログラムは、今回の作曲者である僕にとってはギターのフレット位置に色があるために、僕の中で構成され、わりと自動的に処理されます。

 

 C ― F B


 

 音声確認用です。 手元には生音のエレキギターしかないのでコレで。。。
 

 このままでもいけるジャンルもありますが、色々実験的に作成した音源を最後にくっつけてみようと思っているので、諸ジャンルをまたげるようにしてみます。  直訳の段階のコレを、コードが流れるように編曲(つまり意訳)します。  この手順は共感覚とは関係なく、基礎に従い(Cを基音とする場合にはFGをメジャー、DAEをマイナー、Bをdimとし、移調の際はCGは7、Fはマイナーを入れる)、 単純なリズム(半分に区切る)も入れてみましょう。

 

  C C C7 C7  F Fm  Bdim



 

 同じ手順で、メロディーも作成してみます。

 歌詞は  「 さんてん いちよん いちごー きゅーにー 」  としましょう。


  A. 歌詞の音節に、文字の属性色(7色に単純化)をふる
  B. 色を、その色属性の数字(1桁、かぶったらずらす)に変換
  C. 数字を、1をド、2をレ、3をミ…と、それぞれの頭から階名に振る(Cをドとする)


 これを出力すると

  原形 さんてんいちよん いちごーきゅーにー
  音節  さ て  いちよ  いちご  きゆ に
  A.       
  B.  3 1   071   071   142
  C.  ミ ド    シシド   シシド   ドファレ

 

 西洋近代音楽の曲っぽくするには、C7に合わせてメロディーのシをシbとするか、コードのほうをC7からCmaj7に意訳すると和音に合いやすくなります。 Cのままならどちらも合います。 今回はコードから作成しているのでメロディーのほうを意訳し、シをシbにます。

 楽器の特性にまかせて出力すると、かなり曲っぽくなります。 今手元にあるのはエレキギターですので、リズムや伴奏をエレキギターの癖に合わせてみます。
  これを弾き語ってみましょう。

  稚拙な演奏技術ですが、僕は演奏家タイプではありません。音程がわかればいいということで……。
 

 

 曲を作る際は、1パターンのみならず無限の展開が可能です。
 たとえば、このプログラムの

  B. 色を、その色の属性の数字にする

 を、

  B’.色を、ドとの音階差数(相対音感、 ド ― レ 間が 1 )の属性色の数字にする

 と変更すると、


  原形  さんてんいちよん いちごーきゅーにー
  シラ   さ て  いちよ  いちご  きゆ に
  A.        

  B’ 2.5 5   725   721    53 2
  C.   ミb ソ   シレソ   シレド   シミ レ


 となります。

 コードに合わせて意訳すると、最後のBdim以外のシはbとなります。 これはドリアンという旋法に近い音階ですが、知っている必要はありませんよザーボンさん。 一般的な作曲知識として、シをbにしてギターの低音三本弦で伴奏し、ミbとミをメロディーに振り分けて旋法を揺さぶるのがロックの基礎です。




 少し違った印象になりました。

 解説しながら長々とやりましたが、感覚なので、実際には2分程度でやっており、もう少し変数が多くて複雑です。 たとえば

 “ドレ”の場合のレは錆色

 “ミレ”の場合のレはオレンジ色

 といった関係性による化学反応的な格変化があります。
 

 パターンは色々で、今メロディーを変えてみた手段のような関連付ける要素を変更する他に
  D.数字を+1する
 を加えたりと、変化を増やすこともできます。

 逆に、単純な曲にしようと思ったら、言葉をあいうえお段などで5つに揃えてしまうとペンタトニックになります。

 ドレミソラ (ヨナ抜き)

 レミファラシ (都節)
 ドミファソシ (琉球民謡の一種(八重山?))

 といったもので、5(ペンタ)つの音だけの曲となり、皆が耳慣れていて無難です。

 

 

4.機械的ゆえ、誰にでもできる

 

 このように、円周率を曲にするという作業が、機械的に成されました。

 

 コンピューターを使って、誰かが作ったプログラムに変数を入力して結果を出力させる際、その作業場が頭の中にあるという感じです。 いわば “ 物を落としたら音がする ” という現象を見ているだけなので、面白いのは最初だけで、作曲した感もありません。 感性によるものではないので、曲を弾いてみて始めて 「 まあまあだな 」 とか 「 当たりだ! 」 といった感想が出てきます

 

 手癖や脳内演奏メロディーで作られた曲が全く練習を要らないのに対し、共感覚的に出力された曲は、初めて聴いた曲と同じ練習量を要します。 たいてい少し変わっているので難度は高めです。 一般的な作曲力があると、ここをヌルく変更できたりして少しトクです。 
 

 設計しているわけではありませんので、楽器の影響も強く受け、その楽器風の曲になります。

 楽器の構造上の癖や音質は特有のものですので、たとえば共鳴やボリューム増減が得意で、5度や半音が苦手なヴァイオリンでやればクラシックぽくなります。 こうした自作曲をバンドなど複数人で演奏する場合は、担当以外の楽器については弾き手に任せるとよいでしょう。 意図して他のパートを作ろうとすると、楽器の知識という一般的な作曲能力がそれなりに要求されるからです。 
 また、歌詞の言語の発音と共感覚的メロディーがぶつかる場合もあり、選択を迫られる場合も多いです。


 さて、後述の方法で、純感覚者にもこの方法は使えます
 忘れた頃に同じテーマで曲を作ると、以前とは少し違った調子のモノができます。 色や音の関係は固定的なのですが、プログラムの処理内容は、そのときの気分によるためです。
 すなわち、共感覚的手法を行う場合、固定の関係性を持ったいくつかの系列さえ用意しておけば、プログラムは適当でいいわけです。 音楽を作る場合は、音と何かの対応表を自作すれば、音階を利用するタイプの曲に限れば、誰でも機械的に作曲することができます。  必要なのは、何かの楽器とコードネームの基礎知識だけで、いわゆる音楽的才能は全く要りません。 
 音階はデジタルなので、コンピューターでランダムにものすごい数の曲を生成し、音階の羅列の著作権を片っ端からとるということが、近いうちに行われるかもしれません。 音階自体は単純なもので、難しいのは演奏者の身体が成す表現のほうなのです。

 


 

5.複雑化した例

 

 

 共感覚的な作曲法は、作曲に詰まったり、飽きてきた方にお勧めの方法です。

 

 頭を使って奇を衒っても、ただの不協和音になって微妙になりがちです。 しかし共感覚的手法を使えば、法則は持ちつつランダムに近い生成方法となるため、それまでの自分の音楽センスと被らない曲を出力できます。 

 

 ただしこれは、音楽的センスを上げたりするものではありません。 モーツァルトが共感覚者だったという話がありますが、彼が様式に忠実だったりするのは心理効果の認識力やパターン認知や器楽知識といった一般的な作曲能力が高かったということであり、上にあげたような機械的作曲能力は間接的には作用しているかもしれませんが、主たる力ではないでしょう。

 ということで、“モーツァルト” を題材にして、多少複雑なものを紹介します。
 上の機械的手順で生成された 『モーツアルト』 のAメロです。


 Amadeus=
 第1小節.Am7(A 錆色)
 第2小節.Dm7(m 透き通った茶)
 第3小節.Am7(a 錆色)
 第4小節.E7(d 黄~白)
 第5小節.(e 青だが無いため、やまとことばの緑(あお))
 第6小節.B9(u 黄)
 第7小節.Fm7(s 鼠青)
 第8小節.7文字のため7と1の中間音を挿入、1回目 Bb7 / 2回目 G7。
 ミレド ファミレ ミレド レドシ
 レドシ シソbソ ソ#シbド ソ#ファミbレ/シソファ
 Wolfgang Amadeus, Wolfgang Amadeus,  
 Johannes Chrysostomus Wolfgangus Theophilus.


 メロディーは共感覚的手法で出力されたものを、和音に合わないところはウィーン語のアクセントをメロディー化したもので埋めました。 なので、少しドイツ民謡ぽくなりました。 S の音がいいリズムで入った名前です。
 


 

 

6.共感覚的手法で作曲してみよう!


 では、まずは一度体感するために、ごく単純な作曲を試みてみましょう。


 やり方は簡単。

 適当に、目の前にあるものなど何かモノ(A)や、思いついた音程を、陰陽五行説みたいに繋げた図表を作っておいて、音なり画像なりに変換するだけです。 (A)はモニターでもスマホでも、色でも匂いでも友達の名前でも、何でもかまいません。


 試しに音楽でやってみましょう。

 まずはメモ用紙に AからG までの音階を振ります(ドレミファソラシでもいいです)。

 

  A  アレクサンドリア
  B  ベルリン
  C  カイロ
  D  ドブロブニク
  E  江ノ島
  F  フランクフルト
  G  グラスゴー

 

 とか、なんでもいいので、音階に対して (A) を適当につけます。 Aが皿、Bがコップでも何でも。
 それぞれは車とか、花とか、系統立てておいてください。

 次に

 

  アレクサンドリア  あ
  ベルリン   い
  カイロ  う
  ドブロブニク  え
  江ノ島  お
  フランクフルト  か
  グラスゴー  き

 

 と、さらにもうひとつの属性を、(A)に対して適当に振ります。

 例ではひらがなを振りましたが、記号でも食べ物の名前でも、なんでもいいです。
 共感覚の場合は、これらが自動的に色とか匂いなわけです。
 今は話に合わせてひらがなを振っていただけると、理解がしやすいかと思います。

 

 これで定数が完成。最初は3つあれば充分です。


 今、 「 あいうえおかき 」 までの文字から構成される単語は、自動的に音階化できます。
 「愛」 「上」 「危機」 「異界」 「おかき」 など、探せば数百個くらいはありそうです。 「く」 からは「あ」に戻って2週目に入れば無限にできますが、今回は 「 あいうえおかき 」 に限定しましょう。

 

 一番簡単なプログラムは、こうした 「 あいうえおかき 」 から成る単語をそのまま出力する方法。
 リズム感だけで完成します。

 

 曲 『言う 』 はベルリン・カイロですので、BC。
 曲 『お絵描き』 は江ノ島・ドブロブニク・フランクフルト・グラスゴーですので、EDFG。

  BC EDFG

 

 ですので、

 

  bCCC eDDD fGGGGGGG

 

 で演奏してみましょう。

 Gのスリーコードみたいになるので、2回目はロック風にオカズをつけてあります。



 

7.実用してみよう

 

 

 実は、さっきの曲は、A=あ、B=い、と直接繋げれば、(A) (例ではアレクサンドリアなどの地名)は要りません。

  おえかき = EDFG

 で完成です。
 
 ところが、このように要素とコードを一義的に繋げるだけでは、すぐにネタが切れてしまいます。

 そこで、(A)地名はそのために噛ませてあります。 これによって要素を複合的にコードへつなげます。 感性の介在する余地も生まれ、完全機械化を脱した感もあります。
 

 例では、間に立つ要素(A)に地名を入れておきました。 なので(A)に関する曲もできます。例だと地理の曲ですね。 (A)は変数ですので、食器なら食卓やキッチンに関する曲、友達の名前にしていれば、友達や団体に関する曲が作れます。


 例では地理ですので、地理の単語を使いましょう。
 こないだ石垣島に行ったので、『島唄』を作ってみましょう。

 

 『島』であれば、江ノ島(E) と グラスゴー(G)が島国の一部ですので、コードはEとGです。
 ここに地名でなくて料理の名前が並んでいれば、たとえば『冬』としてシチューや大根などのコードを抜き出します。『赤』としてトマトや馬刺しを抜き出しても、なんでもいいです。

 これでイントロのパートができました。 例では

 

  E G

 

 です。 次のパートも作りましょう。

 今度は 江ノ島 と グラスゴー に対応するひらがなを使います。「お」と「き」から「沖」に発展させます。 沖の青い海を想定して、残りの港町のアレクサンドリア(A)とドブロブニク(D)を入れてADとします。
 もし(A)を車にしていれば、2シーターとかワゴン車とかドイツ車とか、属性がありますよね? それを使って次のネタを引っ張ってみてください。 もしひらがなを繋げて単語にならなかったら、ひっくり返したり伸ばしたりしてみてください。 おお → OH!、王、大きい、覆う、とかでいいです。 そういう車を他に見つけて、となりのコードを鳴らしてみましょう。

 単純化するため、これをサビにして曲は完成です。 例では
 

  A D

 です。
 歌詞は何でもいいですが、今回はネタから「島国!沖へ!」とします。
 自分の脳で作ったのは 「へ」 だけです。


 パンク風ならこれで十分です。

 適当に叫ぶだけでよいので、メロディー製作は省略しましょう、かえってダサいです。

 リズムも手癖でテキトーに。

 

  EEEE 島国! GGGG 島国! EEEE 島国! GGGG 島国!
  EEEE 島国! GGGG 島国! EEEE 島国! GGGG 島国!
  AAAA 沖!  DDDD へー! AAAA 沖!  DDDD へー!
  AAAA 沖!  DDDD へー! AAAA 沖!  DDDD へー!

 

 

 

 

 かなりありきたりになってしまいました。

 自宅アパートのため小声で誤魔化していますが、スタジオでオカズを入れたらそれっぽく聴こえるはずです。

 

 歌詞もパンクが嫌なら、島国というテーマに関して述べて、行末に韻でも踏めばそれらしくなります

 

 ~九州 ~kiss you,

 ~四国 ~行こう,
 ~イギリス ~行きます

 ~インドネシア, ~imitationや~intonation

 

 などです。 これはオヤジギャグと同じ能力ですので、こんな時間にこんなブログを見ているキモメンの貴方でも、夏のスイカの皮にたかるハエみたいに山ほど沸いてくることでしょう。

 

 色々とやってみると、面白い曲に当たるはずです。

 


8.完成品


 今日の分を適当にくっつけてみました。 接着部をごまかすためリバーブを入れました。
 

 

 

  『共感覚的作曲法による実験曲1』

 

   ヴォルフガング アマデウス ヴォルフガング アマデウス
   ヨハネス クリュソストムス ヴォルフガングス テオフィルス

 

   3.141592   3.141592
 

   ヴォルフガング アマデウス ヴォルフガング アマデウス
   ヨハネス クリュソストムス ヴォルフガングス テオフィルス

 

    (間奏)

 

   島国 島国 島国 島国  3.141592

   沖へ 沖へ 沖へ 沖へ

 

 

 頭のおかしい人感は無事拭えません

 無限に出てくるので、適当につなげれば次々壮大になります。

 

 こうしたことは、アルゴリズムなので誰にでもできます。
 絵なども同じ方法で生成することができ、たとえば肖像画を位置と色だけであらわすといった妙なものも生成できます。 人格に色があるという人でなくとも、共感覚的手法を使って人格を画像に変換することで、無限に作れるのです。

 

 

9.なぜこれに行き着いたかと次回
 

 

 上の方法は、ある種の音楽に飽きた方には、しばらくオススメです。

 全ての共感覚者がこうしたことをやっているわけではありません。 美術だと、たまに現実化している人もいるようですが、音楽だと稀だと思います。

 なぜ僕がこれを思いついてやっていたかというと、僕は、これは共感覚ではなく別の “障害” による性質だと思うんですが、曲を覚えるのがあまり得意ではなく、少なくとも3歳のときにはロボットアニメの主題歌の続きを勝手に考えており、脳内自動作曲が止まらなくなっているテープが残っています。 その後、不眠症状態になるなどして、脳内の音楽には飽きました。 

 その頃この方法を思いつき、10年くらいでしょうか、一通りのパターンを試してみて、10年くらい前にそれも飽きました。 上手い人がありきたりの音階を演奏したほうが心地いいです。

 このプロセスは、まずメロディーに飽きて、次にリズムも飽きて、成人してからはEncartaというデジタル百科事典の音源からジュジュだのセガだのチムレンガだの現代無調音楽だのカッワーリーだの、世界中の音楽を探しましたが、これといったものはなく、結局、
音階やリズムといった分別による音楽は、単純な倍数や分割によるパターンなので必ず飽きると悟り、音楽に求めるものは主に音質や、自分がやるバカっぽい遊びになりました。

 強い刺激を外部に求めるのではなく、内面を敏感に研ぎ澄ます方向をえらぶようになると、人間が演奏しない
風鈴などが心地よくなります。 風鈴は常に意外性を持っているわけです。 音楽をつくるのは風であり風鈴であり、自分の中でもあります。

 

 普段音楽を聴かないでおくと耳が丁寧になり、丁寧に作られた楽器や、年月を経た楽器や、演奏家の細かい弾き分けや、オーケストラの熟練のプレイヤーなどを聴きわけられるようになります。 他言語の聞き取りや発音も、かなり効率が高くなっていたと思います。 脳の動物的な部位に作用して感情をコントロールする劇薬である音階音楽が、人為的に製作されて販売される世界に閉じ込められている状態から逃れ、自由な音楽にも目覚めることができます。 行き着く先は風鈴だと思います。 センスだの才能だの優劣をつけることは、全てが儒者どもが、自分の基準が全宇宙の基準であると妄想することで吐く、くだらないたわごとです。 

 上にも書きましたが、いつかコンピューターが全パターンの譜面を書いて、今の著作権の概念は消滅します。 音符は単純で機械的で無個性であり、個性は身体がやるほうの演奏にしか残りません。 生だったら、その時その場所もユニークですし、よりアートとして生き残るのではないでしょうか。

 

 耳の性能は上がりましたが、反面、共感ツールとして音楽を聴くことはできなくなって久しいです。 僕がどんな音楽を聴いているか知っている人は、成人後はいません。 香を炊いて茶を入れて、瞑想がてら風鈴を……。とかも、なかなか居ないですし。
 他に、BGMが、支配的でしつこい店などに居られなくなる弊害もあります。 木曜日のダイエーとか、山下達郎の歌が流れる年末のかなりの商店などはノイローゼメイカーです。

 こうしたことに共感覚が関係しているかはわかりませんが、この作曲法のおかげで色々な発見があり、しばらくは遊べました。

 

 

 というわけで、次回は共感覚で困ること。

 たとえば “文字に色がある” ということは、文字を読んだときの解釈が、大多数を占める純感覚者と違うということで、同調圧力の高い世の中はあまり生活しやすいものではありません。 

 いわばデメリットですが、今あるメモは愚痴に近い印象と思われ、手直しをせねばなりません。
 色のネタは以前に使ってしまったので、音楽ネタでがんばるよてい