※ヴァイオリン音当てクイズです。
A・Bどっちがどっちでしょう?
・現代の楽器(新品時セットで6万円台)
・19世紀末の楽器(完品で30万円~50万円前後)
どうせ正解してもなにももらえないので、冷静に考えてみてはいかがでしょう。
ヴァイオリン聴き当てクイズには、正解法があります。
まず、音色の区別ができるスピーカーで聞く必要があります。
普通のスマホやパソコンの付属なら充分ですが、あまり酷いと、オレオレ詐欺の声みたいに皆同じ音になってしまいます。違う音に聴こえればいいです。
区別さえすれば、あとは生活感覚から類推できます。
まずは、響きを聴いてみましょう。
目の前に、以下の2丁の楽器があるとして、
・ホールで弾いているように響きを足す楽器
・四畳半で弾いているように響きを引く楽器
いずれが高価になりそうだと思いますか?
・ホールの音響を楽しむのと、四畳半の音響を楽しむのと、どちらが金がかかりそうか。
・楽器のような響きを作る道具と、ゴムの塊や石のような響きを止める道具と、どちらの製造が難しく、どちらが道端に落ちていそうか。
響きが深くて長い楽器と、響きが浅くて短い楽器と、どちらに金銭的価値が発生しやすいと考えられるでしょうか。
第二に、音質の高低を聴いてみます。
AとBの、どちらが高音に強く、どちらが低音に強いでしょう。
本来は雑音などに顕著に出るのですが、録音だと音階レベルのほうが判別しやすいかもしれません。
では高音と低音と、どちらにカネや経年変化が要るでしょうか。
薄い板に削るのと、厚い板に削るのと、どちらに手間がかかるでしょう?
これは明らかです。
薄い板に削ることは、厚く削った板にさらに手を加える工程です。
薄い板のほうが、時間がかかります。
では、薄い板でできた楽器と、厚い板でできた楽器と、どちらが軽いでしょう?
これも当然ですね?
では、野菜や果物を長年部屋に置いておいたら、干からびて痩せて軽くなるでしょうか。
それとも、水を吸って太って重くなるでしょうか。
木材も植物ですね。柱なども同じようになります。
カネのかかる楽器や古い楽器が軽いか重いか、傾向が導き出されると思います。
では、軽い楽器、重い楽器は、それぞれどんな音がするでしょう。
薄いグラスと厚いグラス、重い鍋と軽い鍋などを弾(はじ)いて比べてみたとき、音が高い、低い、響く、響かないのはどちらでしょうか。外壁と内壁、机とテーブルでも何でも、同じ材料のものをコンコン、トントンと比べてみたとき、音量や、響きの長さ、音の高低はいかがでしょうか。
人間の声のような低音が豊かな楽器と、摩擦音などの高音が豊かな楽器と、いずれが高価になりやすく、また年月を経ていそうでしょうか*。
A、Bのどちらが新しい楽器か、推理できましたでしょうか。
・「ピーン……」と深く響くか、「 ピ 」とハッキリ音が立つか
・「ジーン」と低音的か、「キーン」と高音的か
の差異がわかれば正解できます。
慣れればすぐにわかります。
今回は重さが3割ほど違い、比較的わかりやすい例題だと思います。
これに偶然でなく正解できたなら、他の問題も正解すると思います(とは言っても、例外を持ってこられたら的確に外します)。
クイズはコンサートの余興や、youtubeなどでお目にかかります。ぜひお試しください、お連れさんが驚きますよ!
※上級者演奏
*新しいタイプの高級品がフチが薄い構造で重くて響くなど、色々な設計思想があります。いずれも音に傾向があり同様に推理できます。
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以下信者向け
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以上は、楽器当てクイズに正解する方法でした。
これができれば、こんな時間にこんなブログを読んでいるキモメンの貴方でも……。
無理か。
経験上キモメンは何をやってもダメです。
以下は、正解する方法を導き出す方法についてのお話にしましょう。
一言でいえば
スマホと教科書を捨てて、外で遊べ
名言あふれるルソーの教育論『エミール』前半のテーマです。
1.客観視せよ
このクイズ、だいたい不正解者のほうが多いそうです。
あるヴァイオリニストから聞いた例ですが、ある余興に価格差50倍の2台で出題してみたところ、1対19でハズレが多かったそうです。
正誤が不自然に割れるということは、音を区別した上で、判断を誤っているのです。違いがわからないなら50%ほど当たるはずです。
なぜ多くの人が、判断を誤るのでしょうか。
ネットで聴きわけ、食べ比べといったお遊びのネタを見ると、まず荒れています。
多くの人は、「こうしたクイズは自分の感性で答えるもので、当てたらセンスのいい人」という先入観に基づき回答し、外せば「なぜ自分は安物をいいと思ってしまうのか?」と考えるようです。
すなわち物理現象と推理・洞察・経験則から回答するのではく、自分の感じる高級感、印象や好みで回答しているのです。これでは当たる理由がありません。
青空は無料で見れますが、スカトロホモビデオは有料です。
水晶より隕鉄のほうが高く、産まれたての子猫が捨てられ、毒蛇が数十万円ですよね。
誰かが良いと思ったものが高いなんてルールはないのです。
つまり、落ち着いて考えれば
「高くなる条件を備えているのはどっちの音か」
を考えることが正解への道で、
「オレ様が思ういい音が高い方の音だったら、オレ様は違いのわかる優れた人」
には、その発想自体に何の意味もないことがわかります。
クイズの演奏が狭い所で行われ、狭い所でイイ音がする楽器が安く作れた場合、そこでイイ音を当てると“安物”を掴みます。耳が肥えていれば不正解になるのです。
上の例では、おそらくこれが起こったのでしょう。観客の19人は、生演奏を聴きにいくような耳の肥えた人です。
何人かは、音の小さい楽器が上品だから高いと思ったかもしれません。でも、少し考えてみれば静音化はゴムでも当てればよく、大音量化が価格上昇要素です。
2.自我を捨ててみよう
判断力を失う原因は、強い自我です。
耳やセンスが悪いからではありません。
こうした判断力の有無で自己評価することにも意味がありません。
「98円のサンマを美味いと思うオレの舌はダメだ!」
と評価しているのですから。
自我はオレ様基準を世界標準にしようとするので、黙らせたほうが判断力は上がります。
僕の目は物を見るプロ、カメラは写真を撮るプロ。僕の頭から指までは初心者。
そこで「オレの撮りたい写真」を黙らせました。要するにオートで何も狙わずシャッターを押したものです。
自我は判断力を奪います。
多くの人はひいき球団とライバルとを比較し、ひいきを高く見ます。
ソースはその辺の阪神ファンです。異論は認めません。
阪神生え抜き、関西出身と来たら、あばたもえくぼ。7回あたりの勝ち試合の外野席ともなれば、酒も入っており判断力の1gも残っていません。
ドラフト頃にはフロントやコーチの文句を言っているのですが、何故か3月頃になると「今年はなんか今までと違う。優勝いけるやろ」と思っているのが自分でも不思議です。
主観を排して事物を認識することを明鏡止水といいます。
出典は『荘子』にあり
欲求で波立った精神の泉に、真の姿は映らない
といった比喩です。
多くの人が「楽器当てクイズでは、オレ様の聴力や音感、芸術的センスが問われている」と思うことで、泉に巨石ドボンなわけです。それで順当に外した結果、中には地雷を抱えてしまい妙な言い訳を考えたり、ネットに理論らしき説を書いてしまう人もいます。
ここでオレ様もとい欲は必要ありません。
耳は物を聴くプロなので、脳より早く音を入力して処理できます。
必要なのは、判断力と生活経験です。
違いを当てる人達は、自分が違いがわかる人か否かではなく、次回誤らないか、そのとき持っていた情報や判断が正確であったか、経験に汎用性があるかを気にしているものです。
3.リテラシーをあげるチャンス
オレ様の評価から解放されると、必要なのは情報と推理だということが見えてきます。
音楽家や芸術家の能力は要りません。
要るのは楽器職人や消費者の能力です。
まず、価格と性能(いい音)との相関性はないことがわかります。
ルソーはこう指摘しています(以下、引用は岩波旧版より、中略ありの意訳)。
本当に高い技術に、高い価格は付かない
本当に皆が必要なものは、効用が一般的で皆に不可欠で、皆に買える価格しかついていない
いらないものほど高くなるのは、「私は庶民が買えないものでなければ欲しくない」という需要による
ガラス・鉄・水と、ダイヤ・金・ワインを効用の例に挙げています。
価格決定はそれだけで一科学となる分野ですが、様々な原因があるのです。
この句は更に、上級リスナーが「庶民がいい音と言わない音でなければいい音と呼びたくない」と考えている可能性を示唆します(ないと思いますが)。
楽器の価格を決めるのは、いずれでしょうか。
1.楽器製造の専門家&演奏の専門家
2.商売の専門家A&商売の専門家B
答えは2です。
楽器製作の探求で忙しい売り手より、利潤の追求で忙しい売り手のほうが大きな宣伝費を出せます。
利益の専門家のほうが、演奏の専門家よりお金を持っているので、高い楽器を買う力があります。
もっともプロ演奏家の場合は、業として演奏でカネを貰うだけでなく、ある時代や地域の一例となる楽器を高い技術で保存しながら公開する職があるため、そうした楽器を使うのは社会奉仕義務のようなものです。彼らがかなりの無理をしたり、財団が保管して奏者に貸しているので、巷間でも様々な楽器を聴くことができます。それでも市場がガラクタに大金が出てしまう圧力から逃れることは出来ません。
そして通だけが旨みを知る珍味は何事にもあります。
“高度なものは大衆に理解されず、高い値段がつかない” といった現象は普遍的です。
魚の内臓は、フィレ牛肉より不味くなくてはならないというルールはありません。高くて効力の少ないものと、安くて効力の高いものは、どの市場においても一定数存在します。
これらのことは冷静に考えてみれば自明のことですが、自我にふりまわされると市場にやられてしまいます。
4.リテラシーの無さが問題だらけの市場を形成した
ヴァイオリン市場は残念な子。マイナスイオン家電が裸足で逃げ出すほどです。
魚の市場では、美味くて身体にいいほど高いと信じている消費者はいません。魚屋の虚報も聞いたことがありません。
ほぼ権威主義で成り立つヴァイオリン市場は、そうではありません。
販売者 「ストラディヴァリのニスには人間の血が使われている」
購買者 「マジですか!一本ください」
とかは笑いのセンスを感じます。
「この楽器独特のイタリアの音」とか「金銭的価値がつかないほど」とか、「ストラディヴァリ、1ミクロンに隠された秘密」とかいいながらシール貼ってあるとか、一杯あります。クサいのも多いです。魚屋もだけど。
楽器は、「美しい音」「美しい模様」といったように需要の大部分が主観によっており、簡単に証明できる効能はほとんどありません。1億円の品となれば価格を上げるために1千万使っても2億で売ればも9千万円儲かるので、神話を吹聴する者に事欠きません。「持ち主が次々と○○になった呪われた伝説」とか付けて売ってきたわけです。
金の余ってるところから獲っているうちは笑い話ですが、そんなキャッチコピーが200年も溜まれば、一般に有害な信仰も広まるわけです。
パトロン時代の貴族は、領民からの税を還元するだけです。プロリスナーでもあり、なかなか騙せませんでした。
資本主義の時代、新興成金は音楽のことなんかわかっちゃいません。騙されるだけでなく、資産を生むための資産として投機対象にもしました。
コレは儲かるとなれば、楽器に全く興味の無い連中も集まってきます。贋作なども大量に出来ます。適当に偽ラベルを貼ったり、営業トークで都市伝説を沢山つくりました。機能と価格は正確に比例するといった宣伝も欠かさず、骨董や美術以下の市場になります。
19世紀の楽器商達は、アメリカの成金を釣りました。
それから後発の日本、そして中国で、成金や新興階級が楽器に手を出します。すると、こうしたウソを善意のアメリカ人から聞いて、信じ込んでしまったのです。
見破りにくいパターンです。彼らはまた善意でそれを広めたのです。
今日では、概して新品なら価格差3倍くらいだと個体差や製造国の人件費、ブランドで逆転しえ、10倍の差が逆転されることは稀といった程度でしょうか。骨董品だと何でもあり、つまり茶碗の価格と性能の関係と一緒です。音の好悪で価格を見破るなんて不可能です。
「ヴァイオリンには大金がかかる」というのもウソ。
信じてもらえば高く売りつけられるので、嘘をついたのです。
一般のヴァイオリンが他の楽器一般より高かった時代はありません。今や中古ローエンドは1円で手に入り、気軽に手を出せます。
今日のマトモな楽器屋さんが、誠心誠意に事実を話して顧客を説得しても、固定観念を信じる人が多いそうです。
初心者用の中国製にヨーロッパの商社がラベルを貼ると、値段が上がってなぜか中級者用なるとか。イタリアで修行した中国人が作っても高い値段では売れないとか。物理法則とかは信じないんでしょうね。
被害者にもみえる消費者ですが、対価を支払わずに教養を手に入れようとしています。
ヴァイオリンのメッカはイタリアではなくアルプス外周です。イタリア側ではトリノからヴェネチアあたりまでの平野で、エンジン音にこだわるフェラーリもここです。ローマ以南にこの音響文化は無いようです。イタリアは半人造国家で、南北で別の国と言っても過言ではありません。19世紀後半までイタリアという国や民族はなく、イタリア半島と周辺には、アドリア海のヴェネツィア人、西地中海のジェノヴァ人、南地中海のナポリ人と、海単位で生きた海洋民族がいたのです。
楽器製作の手法はアルプス北側のドイツからクレモナなどイタリア側に入り、再びオーストリア側、フランス側、ドイツ側へと波及します。英語やフランス料理のような欧州オフィシャルとして採用されたヴァイオリンへと、ガイゲやフィドル、ハーディングフェーレといった各民族の四弦楽器が音楽様式とともに規格統合されていき、フランスで近代化され、トランジショナルの時代を通して現代の様式群に集約されました。
イタリアという言葉だけを知っていると生兵法となり、逆に騙されてしまうわけです。
新しい楽器がストラディヴァリの音色を何故抜けない(ということになっている)かというと、音質の良し悪しは好悪なのに「ストラディヴァリが一番いい音の基準である」としているために、別のものが基準を抜ける理由が無いためです。アイドルより近所の子が可愛いというと、お前はわかってないと言われる偶像権威集金システムです。
古物信仰の背景には禅の境地と同じ価値観がありますが、大衆は新しいものがいいと知れば新型を漁り、古いものがいいと知れば旧作を漁るだけです。こうした知識も判断を狂わせます。実際には、新しい楽器でコンクールに入賞することは普通で、100年前の楽器が毎日10ドルや20ドルで落札されています。好悪は割れますが経年変化の音響的傾向はあります。しかし高値が付くときは骨董や史料や、なにより資産としての評価です。
ストラディヴァリの部品は、楽器能力がゼロでも何百万もするでしょう。
5.権威主義に陥らず、判断力を育てる方法
A「さっきの店、どうだった?」
B「うーん、どうかな。俺様の舌ともなると微妙……」
A「シェフは、ミシュラン3ツ星ホテルの料理長だったフランス人なんだ」
B「微妙な味が表現されてて、さすが3ツ星だと」
A「あーいや、ミシュランは隣の店で、さっきの店は冷凍食品だった」
B「だろ?だから最初から言ってた通り、俺様の舌ともなると……」
こういう経験ありませんか?
日本人はブランド好きといわれますが、要するに権威主義です。
メーカーや人気や知名度、家柄や学歴や地位のほか、価格や地名も権威になります。
権威を支持するのは、判断力に自信がないからです。
ある子供が、クモが昆虫であるか同級生に聞いたとします。
出木杉 「クモは昆虫だよ」
のび太 「クモは昆虫じゃないよ」
多くの子供は「クモは昆虫である」とします。
小さな生物学者は、クモが昆虫であるか否かは自分で調べます。
野生児は、少し考えればわかるでしょう。
ルソーはこう言っています。
彼の名前からではなく、彼の作品からその値打ちが付くように育てよう
よくできたものを作ってきたら、「これがいい」というがよい
「オレが作った」と言ってきたら、「誰が作ったかはどうでもいい、これはいい」というがよい
自分に判断力があるか、自分ではわかりません。
判断できると判断している自分に判断力があるかと、自己言及のパラドックスに陥るからです。
ですがヴァイオリンという実践と、古典の学説で証明を試みてみましょう。
最高の教科書はロビンソン・クルーソー
農村へ行ってアウトドアだ!
パリで教育を受け、しかも裕福となると最悪だ
ルソーは自然に触れることを幼少年の第一としました。
子供の自然な発育に任せよ。
本ばかり読んでいては判断力がなくなる、というわけです。
物知りだといわれなくていい
農夫のように働き、哲学者のように考えよ
とも書いています。
判断はしないにかぎるが、必要な場合にはできるよう、
真実を教えるのではなく、体感からの真実の見分け方を訓練させよ
何かを知っても真実からは遠ざかる
判断から生まれる虚栄心のデメリットが、知識の価値より大きくなる
知識を押し込むのではなく、発見する力を育てよ
総じて、教えるのではなく、見つけ出させろというわけです。
つめこみ主義の反対ですね。
一般に教育は、本当に役に立つことではなく、
人目に目立ちひけらかしやすい知識や技術を子供に与えて試験をし、大人は出来を見て満足する
人は子供自身にはイミフなことを押し込んで、しかも充分によく教育したと信じている
自分で体験させて考えさせれば自尊心も育つ
聡明な子を人は見抜けない
バカは自分がバカだと自覚できないから、自分の結論を他人に押し付けようとする
教育の怠慢で歩けない大人になった子供はいないが、
ヘンな歩き方を教わったために、一生ヘンな歩き方をしている人は沢山いる
雨が降ってきたら、いつも教わった通りにするのではなく、たまに当たりに行くと自然を体感できます。
ルソーは迫り来る近代に、「これが正解だ」と暗記している人材より、目の前の問題の解法を見つけ出せる人材を欲しています。
なぜかというと、人々が自立しないと近代社会は成り立たないからです。これは欧州では民主主義とともに広まった考えです。自立カクイイではなく、死活問題です。
こうしたクイズは判断力を上げてくれるでしょう。
6.セミと弦楽器
ルソーに従えば、判断力には自然体験です。
この説は本当でしょうか。
確かに、似ている現象を体験していれば、物事は手っ取り早く把握できます。
クラスの虫博士だった僕には、クイズの判断材料は昆虫でした。
ヒグラシというセミをご存知でしょうか。
その鳴き声は哀愁を誘うとされ、人間が感じる音楽性を高く持ち、録音をBGMに使う人もいるくらいです。文学的にも特別視され、詩や題にミンミンゼミやアブラゼミが出てくることは稀です。
セミは胴体が空洞で、生きる楽器です。ヒグラシの声は『カナカナカナ』と表記されますが、聴こえてくるときは大抵距離があるので、『ヒーンヒーン』といった高音が響き渡って消えていきます。
昆虫採集は、ヒグラシと他のセミとの違いを教えてくれます。
Wikipediaにもヒントが書いてあります。
オスの腹腔内は大きな共鳴室が発達しているためほとんど空洞で、光が透けるほどである。
間近で聞く声はかなり大きく、遠くで聴く「物悲しい印象」とは異なるともいう。
・哀愁系の音
・中が空洞で、薄い
・耳元だとうるさいが、遠くでは音楽的に響く
そう、セミの形状と音響は弦楽器そのままです。
ヒグラシは比較的小さいセミですが、大きな鳴き声がして、倍音が多いのか響きが長く、低音成分が多いのです。
間近で聞くと『ギチギチギチ』が混ざる感じです。実はこれが美音成分です。音源から遠ざかると、連打音が響いて混ざり、繋がって聴こえます。同時に細すぎる高倍音が絶え、胴内で充分に拡大された低倍音だけが生き残ります。自然の合奏はありませんが、大きなホールでは森より響くはずです。
同じく愛好されるスズムシも、近くだと『ジジジジ』が混ざった感じですが、遠くだと『リンリンリン』と丸く響きます。庭に放し飼いにして、月見でもしながら声を鑑賞すると粋です。籠やプラより、ガラスの水槽のほうが響くはずです。
キリギリス系ではマツムシとかカンタン、カネタタキみたいな小型の弱そうなヤツを、少し離れて聴くのが好まれます。大型のクツワムシとか、東南アジアの凶悪なのはハードロックです。
Youtubeで疑似体験できます。
写真
7.逆だよ、逆!
ペラい音・ヘビーな音
という言い方があって、これが混同を招くのでしょうか。
重い楽器は、低い音がする
これが、とくにギターなどで半ば常識になっているようですが、逆です。
低音に強いのは軽い楽器です。
ルソーはこうも指摘しています。
人は本来、モノを見て触って確認するが、
今ではそれより先に、知識から入らされる
18世紀の話です。21世紀の今、もっと知識偏向であることは言うまでもありません。
情報が氾濫し、子供はポケモンが昆虫の代役です。
考えることを学ぶためには、手足や耳目を鍛えねばならない
知識より感覚器官を鍛えよ
認識の元となる感覚器官が育たずして理性は育たない
人の大先生は自分の手足や耳目で、書物は他人の理性に過ぎない
認識が理性の元であるということは、デカルトに対抗する形でホッブズやヴィーコらが訴えていました。人工設計物を美しいと考えたデカルトは、木製の古い楽器は理解しなかったでしょう。
その後のヨーロッパ思想史は、大衆が「理性こそ人間の優れた点だ」といい、学者が「人間の頭はそんなに良くねえよ」という基本構造が、大体レヴィ・ストロースあたりの80年代まで続きます。理性主義を実践した植民地支配、ナチ、ソ連の失敗で一般にも非理性主義が広まりますが、アメリカや日本は理性主義が強い社会です。
僕の中で、ルソーの説はセミの構造と音の差異→楽器で実証されました。
楽器と繋がる現象は何でもいいでしょう。スポーツ、木工、自動車やバイク、旅先ごとのシャワー音の違い等々……。ルソーは音楽家でもあり、音楽は彼の説の実証にふさわしい役ですが、森羅万象を人間は常に認識しており、判断力の基礎は運動や美術にも通じています。
ただ、本人が体験・実感する以外にありません。僕が何を書いても、誰かの中で、その人の体験に勝る説得力を持つことはないでしょう。
というわけであまり外で遊べなかった現代っ子が、自分で楽器を選ぶことは難しそうです。
前提が逆だと、希望の品を見つける能力が高いほど嫌いな品を選んでしまいます。
もちろん商品の権威で選ぶのは問題外です。
電気製品では帰納法が通じますが、手工木工品ではだめです。作家名などは参考になりますが、偽物が多いのと、作者固有の特徴を聞き比べられない限り無意味です。アマチュアが参考にする意味はまずないでしょう。
ハンドメイド、柄が濃いなど、工法や外見の権威も無意味です。聴いてわかる高性能ならそんな宣伝はしません。現在判別不能な要素、耐久性とかなら宣伝文句に意味がありえます。
産地名は、費用対効果を狙って逆用するなら役立ちます。ちなみに古いヴァイオリンの場合、ドイツ製は安物の代名詞。昔アメリカに安物を大量輸出したためです。今の中国製のポジションですね。
最たるムダが効用としての価格です。たとえば趣味仲間のマウンティングに価格を使うなどは逆効果。マウンティングをされるような人は、する人より優勢な判断力を持っているもので、底を見抜かれています。
ebayでは、掘り出し物もボッタクリも散見されます。
産地名や工法名やニス的外見に引っかかる人が多く、年代や作家名からボラれる人は少ないようですが、ラベルを売っている業者もいるので、どこかでエサに使われているのでしょう。まあ素人なら気に入れば何でもいいと思うんですが。
最後におさらいを。
自我を黙らせれば冷静に判断できます。
自然経験から情報を処理し、正解率を上げることができます。
・同種の楽器AとBは、いずれかがインド製で、いずれかがエジプト製
・インドでは球体形、エジプトでは円盤型が流行っていた
ならば、小さく籠って響くほうがインド製、ワンワン鳴るほうがエジプト製といったようにです。加工が大変な材料ならインド製が、耐久性が不足する材料ならエジプト製が高くなるでしょう。
問題となるのは、我々が違いがわかる者達か否かではなく、我々が自然条件を歪めず通過させる経験則を維持しているか否かです。外したら、遊びに行きましょう。


