昨日、電車に乗っていて、
ふと気づいたことがあります。
ドアのボタン、今って
「あける」「しめる」って
書かれていますよね。
ひらがなで、なんだかやさしい印象です。
でも昔は確か…
「開く」「閉まる」だった気がします。
漢字で、ちょっと説明っぽく、
どこか無機質な印象でした。
そういえばエレベーターのボタンは
今も「開」「閉」の一文字。
省スペースでスッキリしているけど、
実はちょっとした“罠”だったりしませんか?
見た目はシンプルでも、
矢印(◁▷)や
一文字だけで判断することもあって、
意外と紛らわしい。
私、普通に間違えます。
間違えたくはないのに、
間違えてしまうんです…
どちらもよく似た漢字だし、
矢印表示も見れば見るほどわからなくなる。
あの一瞬で、瞬間的に判断するには
見た目があまりにも紛らわしいんです。
前から走ってくる人が見えて、
「あ、乗れるかな」と
軽く会釈して笑顔で待つ合図。
なのに…“開”を押したつもりが、
なぜか“閉”を押してしまっていたり。
そして無情にも、ドアは静かに閉まる。
会釈で笑顔→完全に「待つ合図」です。
走っている人も、
待ってくれると思ったのに、現実は無慈悲。
私は開けようとしているつもりなので、
ボタンが効かないとつい連打してしまう。
もう少し落ち着いて考えれば
押し間違いだとわかるのですが、
間違えているつもりがないので、
一回押しただけでは反応が足りないのかと
つい何度も押してしまう。
端から見れば「早く閉めようとしている人」にしか見えない、
まさに小さな地獄です。
相手の「えっ?」とした顔、
自分の「あっ…」って気持ちが、
ドア越しに一瞬だけ交差するあの感じ。
地味に気まずい。
さらに追い打ち。
エレベーターの中に一緒にいる人たちの視線が、「この人、待たないで閉めるんだ」みたいな空気を醸し出す。
ドアが閉まった後、
背中越しに冷たい視線を感じながら、
失敗の罪悪感で空気がやけに重くなる、
地獄の数秒間が訪れ…
いや違うんです、待つつもりだったんです!
でも全員知らない人。
「押し間違えました」とも言えず、
もうドアは閉まっているし、
やり直しもできない。
あの時、駆け込んで来ようとした皆様、
ニコニコ笑顔でドアを閉めてしまって
本当にすみませんでした(笑)。
もう一度会えることがあるなら
お詫びしたい気持ちでいっぱいです…(^^;
図らずして数々失敗してきた体験から、
エレベーターほど瞬間的な判断が
必要な場面ではないとしても、
電車のドアに関して
日々の使いやすさのために絶えず進化し、
改善されてきた工夫を感じます。
電車のドアには今、
「あける/しめる」とひらがなで書かれ、
その横に英語で オープン/クローズ (Open/Close) も表示されています。
この英語表記は、押すとどうなるかが直接的に伝わる命令形で、とても直感的です。
迷う余地がほとんどなく、誰でもすぐに操作できます。
日本語は、昔の「開く/閉まる」は自動詞、
今の「あける/しめる」は他動詞で、
自分が何をするかまで示している分、
微妙なニュアンスが表現できます。
日本語はひとつの動作にも
いくつも表現方法があるので
言葉としては複雑で 奥深いですが
使われている言葉の 表現の幅を理解出来たら
選ばれた理由、その心が読み解ける気がしました。
こうして身の回りを見渡すと、
「どうなるか」ではなく「どうするか」を
直接示す表記がいろんな所に
増えています。
ほとんどの人はその変化に気づかないまま、
自然に受け入れて
生活しているのですね。
これまで長く
日常の“普通”だと思ってきたことも、
いつのまにか自然に形を変えていて、
永遠に同じではないことに気づきます。
だからつい「昔はこうだったな」と、
いつのまにか変わってしまったこと
今との違いを思う瞬間もあるのだと感じます。
何気なく見過ごしていた小さな変化の中に、
世の中の移り変わりや、
言葉の奥深さ、文化の微妙な差が隠れていたり。
使われる言葉が変われば、
考え方や常識、日常の“普通”にも同じことが言えるかもしれません。
少し立ち止まって周りを見渡すと、
小さな発見や日常の面白さに気付け
単なる便利さや工夫だけでなく、
時代の変化や進化の跡も見えます。
いろいろな変化に敏感で、
些細なことも前向きに捉えられる自分でいたい
──そう思う、電車のボタンひとつから
考えた時間、30分の頭の中ツアーでした(*^^*)