マタイ6:25~27
だから私は言う、
命のために何を食べようか、何を飲もうか、
また体のために何を着ようかなどと心配するな。
命は食べ物にまさり、体は衣服にまさるものである。
空の鳥を見よ。
蒔きも、刈りも、倉に納めもせぬに、
天の父はそれを養われる。
あなたたちは鳥よりもはるかに優れたものではないか。
あなたたちがどんなに心配しても、
寿命をただの一尺さえ長くはできぬ。
もう十年近くも前だっただろうか?
仕事も思ったように行かないし、
(とは言え今より全然多かったな・・)
ストレスからかな?買い物魔になってた。
カードなんて便利なものがあるしね。
先のこと考えずに、「欲しい!」と思ったものは即買い。
その頃、結構家賃も高いところに住んでいたので、
いろいろ苦しくなっていた。
で、その時具体的にはどういうコトで苦しかったのかは、
はっきり覚えてはいないんだけど、
なんとなく聖書を読んでみようと思った。
中学・高校とミッションスクールだったので、
そこで貰ったものがあったから。
いつも頭から読み始めて、すぐ挫折してたなあ・・・
ちなみに、旧約聖書を読んでないと、
マタイのど頭って訳わかんないのよね。
ま、それはどうでもいいんだけど・・・
そして、↑のところを読んだときに、ものすごく感動して涙が溢れた。
「すごい!」って思った。
そう思って後から読んだときには、あまりピンと来なかった。
今も実はその時のような感動はない。
空の鳥を見よ。蒔きも、刈りも、倉に納めもせぬに、
天の父はそれを養われる。
あなたたちは鳥よりもはるかに優れたものではないか。
ここを読んだときに、「あー私は想われてるんだ。」
みたいなコトで感動したような気がする。
そうそう、32節には
あなたがたの天の父は、
これらのものがみなあなたがたに必要なことをご存知である。
とあって、ここでなんだかホッとしたんだよね。
6章の最後にトドメがあるんだよな・・・
何よりもまず、神の国と神の義を求めなさい。
そうすれば、これらのものはみな加えて与えられる。
”何よりもまず”だよ・・・でも”加えて”与えられるんだよね・・・
御言葉のすごいところはね、”留まる”と現実化するっていうか、
体感できるっていうか、ミラクルを体験できるのよ。。。
あの感動って、結構他のものでは味わえないんだな、これが。
でも、留まれない私・・・・・