Quiet Time -6ページ目

ちょっと放置しすぎよね・・・

明日は大宮@最前列。
ココとはなんの関係もない・・・

へブル5:7

キリストは、肉において生きておられたとき、
激しい叫び声をあげ、涙を流しながら、
御自分を死から救う力のある方に、祈りと願いとをささげ、
その畏れ敬う態度のゆえに聞き入れられました。

恐れると畏れるでは全然意味が違う。
でも私はまだ畏れるの意味が分かっていない。
もちろん、こういうような意味、というイメージはあるけれど。
私の心の中には「畏れ敬う心」が無い。
畏れるという事がどういう事、状態(?)なのかちゃんと分かったら、
いろいろいろいろ変わるだろうな、人生変わるな!

そうか・・・4福音書をもっと読み込めば、
イエスの言葉や態度から分かるか・・・
このところちょっと、分かりやすい所ばかり読んでいたわ。

出エジプト記

神様から十戒を与えられる辺り・・・ドキドキするわ・・・
特に”死に値する罪”なんていうところは読みたくないって思った。
自分の罪を認めて悔い改めるだけなのに。
すごくシンプルなのに・・・
どうしてそんな簡単なことが出来ないんだろう?

簡単な事ほど難しいのは何故なんだろう?

サムエル

最近はココを読んでます。
いろいろ学ぶわ・・・そして続けて読んでいると気持ち良い。
サムエルは旧約の時代、神様に仕えた人、預言者ですね。
ⅠとⅡがあるんだけど、

途中からはどちらかというとダビデが主役になります。
でもいろいろいろいろ・・・なんて言うんだろ・・・
戦闘のことや女性問題などあって、
なんとなく疑問を持ちながら読んでいるのは確かです。

しかし主はサムエルに言われた。

「容姿や背の高さに目を向けるな。
わたしは彼を退ける。人間が見るようには見ない。
人は目に映ることを見るが、主は心によって見る。」

Ⅰサムエル16:7

何年か前、ある人のことが好きで、

やっぱり綺麗でありたいと思うでしょ!?
ちょうどその日はお仕事で、適当に化粧してスタジオに行き、
コンタクトをしてはじめてその日の自分の顔を見ると・・・
粉が浮いててなんかすごい汚い顔・・・

ぐわあ~~~ん!
「こんな顔じゃダメだわ・・・」と落ち込みました。
帰り道、たまたま通った小道の電柱に、

この聖句が貼ってありました。


思わずうおっ!て声を出したような・・・
見られてるわ、何もかも、こんな所に聖句が貼ってあるなんて・・・
顔じゃないのよね、心の美しさが必要なのよね。

と、笑ったものです。

ちなみに↑の聖句はサムエルが神様に導かれて、
次の王様になる人を探しに行った時、
容姿も美しく背も高い青年を見て、「この人に違いない。」
と思ったとき、神様が仰った言葉です。

Ⅰペトロ2:19~20

不当な苦しみを受けることになっても、 
神がそうお望みだとわきまえて苦痛を耐えるなら、
それは御心に適うことなのです。
罪を犯して打ちたたかれ、それを耐え忍んでも、
何の誉れになるでしょう。
しかし、善を行なって苦しみを受け、
それを耐え忍ぶなら、これこそ神の御心に適うことです。


ホントは随分前に一生懸命書いたのに、

何かの弾みで消してしまった・・・

まだ教会に行っていた頃、

ここを読んでこの言葉に留まろうと決心して、
すごい奇跡的な心の変化を体験したことがある。


少し前、新しいバイト先でちょっと嫌な気持ちになった時も、
この聖句を思い出した。

すがるような思いでここを読んだ。
別に不当な苦しみを受けたわけでもないのだが、
そういう時は得てして、

自分がそういう扱いを受けたような気持ちになる。


人を色眼鏡で見るな!自分の価値観を正しいと思うな!
と、なんだかあの時は怒っていた。


この聖句を読んで、いろいろ考えて、
結局自分が色眼鏡で人を見ていたことに気付いた。
最初にこのことを書いた時は、
もっと具体的に怒りの内容を覚えていたんだけど、
またまた奇跡的に心を変えて貰ったので、
すっかり忘れてしまった・・・

そうそう「ゲツセマネの祈り」も読んだんだわ。
これはマタイの26章の中にある有名な所。


イエスが裏切られ捕らえられる前にゲツセマネという所で祈る。
ちょうど、最後の晩餐の少し後のこと。
イエスは自分が十字架に架けられることを知っていて、

はじめは、
「できることならこの杯をわたしから過ぎ去らせてください。」

と祈る。
そして戻って来てみると、弟子はがあがあ寝ている・・・
「一緒に起きて祈っていて欲しい。」って頼んでいたのに。


そしてイエスはまた祈りに行き、今度は、
「あなたの御心が行なわれますように。」と祈る。
3度目も同じように祈る。
これは祈りによって心を変えられること、
祈りによって心を強められることを学べるとてもいい所。
以前は何かあると、”ここを読みなさい”と言われたが、
反抗心が邪魔をして心に入って来なかった。


今回はⅠペトロの聖句と共にここを思い出して読みたくなった。
ここを読んで涙が出てきたのは初めてだった。
悲しいとかイエスが可哀相とかそういうのではなく、
ただ泣きたかっただけかもしれない・・・
弟子になってから自分のことじゃ泣けなくなってしまったから、
泣いてスッキリしたい時はちょと苦労する。
でもおかげでいろいろ見えて来た。
彼に対しても普通に接することが出来た。
昔の私ならわだかまりが残ってそんなこと出来なかった。
久々に感じた奇跡にちょっと酔いしれました。(笑)