今日は母の16回忌。小雪が散らつきそうな寒い日だったのを今でもはっきりと覚えています。
母が亡くなった時、『これは私や家族にとっての自立記念日だな』とふっとそんな言葉が頭をよぎりました。家族の求心的存在であった母がいなくなったことで、それぞれが本当の意味で精神的に自立していかなきゃいけない時がやって来たんだなと思ったのですが、悲しみに暮れている父にそう告げると、「それは何かの宗教か⁈」と眉毛をへの字にした顔でムッとしながら言われたのを覚えています😅
しかしその時の私は、「お母さんは早くに亡くなったけれど、自分の命にかえて私たちに自立させようとしたんだな。」と感じたのです。そしてその直感はあながち間違ってはなかったように思います。
精神的に頼りにしていた母を亡くして、困った時や、話を聞いて欲しい時に気軽に電話出来る人がいなくなったのがいちばん苦しかったです😹 実家にひとりでいる父を気にかけはするけれど、母のいない実家にはもう戻りたくない気持ちもあって、当時3歳の息子を私ひとりで育てることに精一杯だったのを理由に、実家に足が向かない時もありました。
しかし、物理的に『もういない』ってことほど、人を強くするものは他にないのかもしれません。
かつてのように母に頼れなくなって、自分の中で喜怒哀楽の感情全てを消化しなきゃいけなくなったお陰で、牛が何度も反芻して咀嚼するように、時間をかけて感情の消化をしていきました。時間はかかったけれど自分の感情に向き合い続けていき、今までどれほど母に甘えて来ていたか、気づくことも大きかったです。
母が生前に、「いつか宮島でシーカヤックをしてみたい。」と言っていたのを思い出して、母の夢を叶えてあげようとシーカヤックを始め、葉山に引っ越して、葉山の自然に充分癒された後、海外に出て暮らし、気がつけばいつの間にか本当に自立していました。
母が亡くなった時、いや、正確には、母が末期癌だと診断されて、少しずつお別れの準備をしていた1年足らずの時間は、私にとって人生で一番大ピンチだった時期なので、その後どんなピンチがやって来ようとも、「あの時よりはマシだ。」と思って乗り越えて来ました。自分が胃癌になった時でも、「あの時よりはマシだ。」と思えたのです。
母は太陽のような人だったので、明るくて周りを元気にする存在感をそのまま引き継いでいきたくて、私の一部になっているように思います。もし今生きていたら70代後半ですが、同年代の方が内視鏡検査に来られると、「お母さんが生きていたら、こんな感じなのかな。」と想像することもあります。早い別れでしたが、母は自らの命にかえて自立させてくれたことで、今の自分があると思うと感謝でしかありません。
オリンピックの聖火リレーのように、私が母から受け継いだ太陽のような役割は、いつか息子に引き継がれていくんだろうなと思います。『人は亡くなってそれで終わり』ではなく、その人の一番の魅力はそんなふうに大事にしたいと思う人へと繋がっていくんじゃないかなと思っています。
母と私と息子