前回はメキシコの古代文明のマヤ文明までをお話させていただきました。おかげ様で面白かったというご感想をたくさんいただきましたので今回も引き続きアステカからスペインが征服するあたりの歴史について出来るだけ面白く語らさせていただきたいと思います。
時は日本の鎌倉時代後半ぐらいに遡ります。
メキシコ中部にに凶暴で野蛮なメシカ人という民族がいました。
(メキシコという名前はこのメシカに由来しているようです。)
メシカ人は周囲の村落を次々に征服し力をつけていきます。(その乱暴なやり方にかなりの反感を買い後々命取りとなります。)
1325年メシカ人はメキシコ高原のテスココ湖にやってきました。
(テスココ湖は現在のメキシコ市中心部です。)
彼らはその湖に蛇をくわえた鷲がサボテンにとまっている姿を見ました。これを神のお告げと信じ、湖の中に人工の島を造り、そこにテノチティトランという都市を築きアステカ帝国を建国しました。
ちなみにメキシコの国旗をみなさんはご存知でしょうか?
http://es.wikipedia.org/wiki/Bandera_de_M%C3%A9xico#mediaviewer/File:Flag_of_Mexico.svg
国旗の中央部には蛇をくわえた鷲がサボテンにとまっている姿が描かれアステカ帝国の伝説を意味しています。
ちなみに3色の緑は独立、白はカトリック教、赤は独立を成し遂げるために流した先祖の地を意味しています。
ちょっと脱線しますがメキシコの代表的なテキーラの正しい飲み方をご存知でしょうか? (塩をなめてから飲むのではありませんよ。)
バンデーラ(=国旗)といって3つの小さなショットグラスが出てきます。一つはライム汁の入ったもの (=緑)、もう一つはテキーラが入ったもの(=白)、最後にピリ辛のトマトジュースが入ったもの(=赤)が並べられ、これを順に少しづつ飲むのが本当のテキーラの飲み方です。 メキシコのレストランでバンデーラと頼みますとこのように出てきますのでお試しください。
https://www.flickr.com/photos/oasisantonio/8506227037/
話を元に戻します。
アステカ帝国は周辺の都市を次々に征服していき南の太平洋沿岸まで版図を広げました。ただ武力による強引な征服は周辺諸国の反感を買い、スペインの来襲時には多くの国が離反して敵に回ることになります。
アステカ文明はマヤ文明から天文学、建築学を学んでおりますので高度な文明が発達していたようです。 特に天文学は占星術を研究したことでかなり発達していたようであの有名なアステカカレンダーは代表例で国家や人生を左右するツールだったとのことです。
http://www.crystalinks.com/aztecalendar.html
また医療面でもかなり発達していたようで現在でもアステカ人が使用していた薬が結構売られています。現在の西洋的な薬では治らないものが治癒できるアステカ薬があったりします。
例えばサボテンの葉を使用した糖尿病の薬など現在でも注目されているものが結構あります。
さて、このアステカ帝国もスペイン人に征服される時期がきます。
1492年にコロンブスがアメリカ大陸を発見してからスペインに新大陸ブームがきます。 新大陸ブームといえば聞こえはいいのですけど、ようは金銀を求め泥棒を行い、現地の社会を破壊する残酷なものです。 今でもメキシコといえば銀と言うくらいかなりの鉱山がありますが当時は金もすごかったようで、スペイン人からかなりの量を強奪されたようです。
まずスペインはキューバに本拠地をおき、各地への探検隊を組織します。メキシコ担当のリーダーがエルナン・コルテスという人です。
コルテスは1518年にマヤ文明中心のメキシコ西部のユカタン半島から征服していき、ベラクルスに拠点を設け、ここから中部のアステカを目指していきます。
当然アステカにもこのニュースが届いていますが問題だったのはアステカ人の勘違いです。 アステカ人もマヤ人同様、神への生贄をするぐらい宗教心が非常に強いのですが肌の白いスペイン人をアステカ伝説の最高神ケツァルコアトルが戻ってきたと思ってしまいます。
ちょうどアステカカレンダーによるとスペイン人が侵入してきた1519年はちょうどケツァルコアトルが戻ってくる年でもあったようです。また見たこともない白色の肌を持つ人種を戻ってきた神だと勘違いしたようです。
アステカ王のモクテスマ2世は戦うどころかむしろ金銀をスペイン人にあげ最高のもてなしをしてしまいます。 (与えた金は1トン以上と言われています。)
これが簡単に征服されてしまう一つの理由ですがもう一つは強引な征服の仕方にアステカへの反感をもっていた民族をスペイン人が味方につけていたことです。またスペイン人たちは大砲や騎兵を持っていたので彼らに叶うわけがありません。
結局、アステカ人の猛攻もあったようですが結局、お互いに多くの血を流した後、アステカ帝国は完全に滅亡します。
アステカ帝国の首都テノチティトランには20万の人が暮らしていた。当時のヨーロッパでこれだけ大きな町はなかったと言われいます。
現在エボラ熱の恐怖が世界中で取りだたされているいますがスペイン人が持ってきた疫病だけで免疫のないアステカの現地民の8割がなくなったと言われいます。
スペイン人の残虐な部分はこれだけでは収まりません。彼らの神殿、を徹底的に叩き壊し、その上に教会を建設します。精神的にも完全に侵略するためです。
また、この大都市は大きな湖(テスココ湖)で囲まれていますが此の湖に徹底的に破壊した建築物と死体の残骸を投げ埋め立て都市を作りました。 現在のメキシコ市です。
従いまして現在のメキシコ市はもともと湖を埋め立てしたものですので常に地盤沈下を起こしております。
また多くの死体の上に出来たお墓に住んでいるようなものなので自分はあまり好きではないのですがメキシコ人はあまり気にしていません。むしろ人口2500万人の世界でももっとも大きい人口を支えるスペースが足りないのでそれどころではないのかもしれません。
アステカを占領したスペイン人たちはヌエバ・エスパーニャ(新しいスペイン)という国を作り1810年の独立戦争が起きるまで植民地として支配することになります。
この間、移住してきたスペイン人と先住民(インディオ)との混血が進み、現在人口の60%を占めるメスティーソが出来上がります。 残りの25%が先住民、15%がヨーロッパの白色人種だと言われています。
現在のメキシコの文化はアステカまでの古代文化とスペイン、後に一時期侵略をしたフランスなどのヨーロッパの文化の完全融合で成り立っており、非常に面白いです。
先住民はもともと海を渡ってきたモンゴル系で我々日本人と同じ先祖のようですので親しみ安いのはこのためだと思います。
また、其の上にヨーロッパー、特にスペインの影響も強く受けておりますので建築なども興味深いです。
とりあえず、メキシコの古代歴史はこの辺りで終わりにしまして次回からまた建築のテーマについて語らさせていただきたいと思います。 どうぞお楽しみに!
時は日本の鎌倉時代後半ぐらいに遡ります。
メキシコ中部にに凶暴で野蛮なメシカ人という民族がいました。
(メキシコという名前はこのメシカに由来しているようです。)
メシカ人は周囲の村落を次々に征服し力をつけていきます。(その乱暴なやり方にかなりの反感を買い後々命取りとなります。)
1325年メシカ人はメキシコ高原のテスココ湖にやってきました。
(テスココ湖は現在のメキシコ市中心部です。)
彼らはその湖に蛇をくわえた鷲がサボテンにとまっている姿を見ました。これを神のお告げと信じ、湖の中に人工の島を造り、そこにテノチティトランという都市を築きアステカ帝国を建国しました。
ちなみにメキシコの国旗をみなさんはご存知でしょうか?
http://es.wikipedia.org/wiki/Bandera_de_M%C3%A9xico#mediaviewer/File:Flag_of_Mexico.svg
国旗の中央部には蛇をくわえた鷲がサボテンにとまっている姿が描かれアステカ帝国の伝説を意味しています。
ちなみに3色の緑は独立、白はカトリック教、赤は独立を成し遂げるために流した先祖の地を意味しています。
ちょっと脱線しますがメキシコの代表的なテキーラの正しい飲み方をご存知でしょうか? (塩をなめてから飲むのではありませんよ。)
バンデーラ(=国旗)といって3つの小さなショットグラスが出てきます。一つはライム汁の入ったもの (=緑)、もう一つはテキーラが入ったもの(=白)、最後にピリ辛のトマトジュースが入ったもの(=赤)が並べられ、これを順に少しづつ飲むのが本当のテキーラの飲み方です。 メキシコのレストランでバンデーラと頼みますとこのように出てきますのでお試しください。
https://www.flickr.com/photos/oasisantonio/8506227037/
話を元に戻します。
アステカ帝国は周辺の都市を次々に征服していき南の太平洋沿岸まで版図を広げました。ただ武力による強引な征服は周辺諸国の反感を買い、スペインの来襲時には多くの国が離反して敵に回ることになります。
アステカ文明はマヤ文明から天文学、建築学を学んでおりますので高度な文明が発達していたようです。 特に天文学は占星術を研究したことでかなり発達していたようであの有名なアステカカレンダーは代表例で国家や人生を左右するツールだったとのことです。
http://www.crystalinks.com/aztecalendar.html
また医療面でもかなり発達していたようで現在でもアステカ人が使用していた薬が結構売られています。現在の西洋的な薬では治らないものが治癒できるアステカ薬があったりします。
例えばサボテンの葉を使用した糖尿病の薬など現在でも注目されているものが結構あります。
さて、このアステカ帝国もスペイン人に征服される時期がきます。
1492年にコロンブスがアメリカ大陸を発見してからスペインに新大陸ブームがきます。 新大陸ブームといえば聞こえはいいのですけど、ようは金銀を求め泥棒を行い、現地の社会を破壊する残酷なものです。 今でもメキシコといえば銀と言うくらいかなりの鉱山がありますが当時は金もすごかったようで、スペイン人からかなりの量を強奪されたようです。
まずスペインはキューバに本拠地をおき、各地への探検隊を組織します。メキシコ担当のリーダーがエルナン・コルテスという人です。
コルテスは1518年にマヤ文明中心のメキシコ西部のユカタン半島から征服していき、ベラクルスに拠点を設け、ここから中部のアステカを目指していきます。
当然アステカにもこのニュースが届いていますが問題だったのはアステカ人の勘違いです。 アステカ人もマヤ人同様、神への生贄をするぐらい宗教心が非常に強いのですが肌の白いスペイン人をアステカ伝説の最高神ケツァルコアトルが戻ってきたと思ってしまいます。
ちょうどアステカカレンダーによるとスペイン人が侵入してきた1519年はちょうどケツァルコアトルが戻ってくる年でもあったようです。また見たこともない白色の肌を持つ人種を戻ってきた神だと勘違いしたようです。
アステカ王のモクテスマ2世は戦うどころかむしろ金銀をスペイン人にあげ最高のもてなしをしてしまいます。 (与えた金は1トン以上と言われています。)
これが簡単に征服されてしまう一つの理由ですがもう一つは強引な征服の仕方にアステカへの反感をもっていた民族をスペイン人が味方につけていたことです。またスペイン人たちは大砲や騎兵を持っていたので彼らに叶うわけがありません。
結局、アステカ人の猛攻もあったようですが結局、お互いに多くの血を流した後、アステカ帝国は完全に滅亡します。
アステカ帝国の首都テノチティトランには20万の人が暮らしていた。当時のヨーロッパでこれだけ大きな町はなかったと言われいます。
現在エボラ熱の恐怖が世界中で取りだたされているいますがスペイン人が持ってきた疫病だけで免疫のないアステカの現地民の8割がなくなったと言われいます。
スペイン人の残虐な部分はこれだけでは収まりません。彼らの神殿、を徹底的に叩き壊し、その上に教会を建設します。精神的にも完全に侵略するためです。
また、この大都市は大きな湖(テスココ湖)で囲まれていますが此の湖に徹底的に破壊した建築物と死体の残骸を投げ埋め立て都市を作りました。 現在のメキシコ市です。
従いまして現在のメキシコ市はもともと湖を埋め立てしたものですので常に地盤沈下を起こしております。
また多くの死体の上に出来たお墓に住んでいるようなものなので自分はあまり好きではないのですがメキシコ人はあまり気にしていません。むしろ人口2500万人の世界でももっとも大きい人口を支えるスペースが足りないのでそれどころではないのかもしれません。
アステカを占領したスペイン人たちはヌエバ・エスパーニャ(新しいスペイン)という国を作り1810年の独立戦争が起きるまで植民地として支配することになります。
この間、移住してきたスペイン人と先住民(インディオ)との混血が進み、現在人口の60%を占めるメスティーソが出来上がります。 残りの25%が先住民、15%がヨーロッパの白色人種だと言われています。
現在のメキシコの文化はアステカまでの古代文化とスペイン、後に一時期侵略をしたフランスなどのヨーロッパの文化の完全融合で成り立っており、非常に面白いです。
先住民はもともと海を渡ってきたモンゴル系で我々日本人と同じ先祖のようですので親しみ安いのはこのためだと思います。
また、其の上にヨーロッパー、特にスペインの影響も強く受けておりますので建築なども興味深いです。
とりあえず、メキシコの古代歴史はこの辺りで終わりにしまして次回からまた建築のテーマについて語らさせていただきたいと思います。 どうぞお楽しみに!