【前回】までで旧道探索を終えたわたくし、最後にもうひとつ、気になっていたところへ。
はいこちら、
駐車スペースから北に分岐するこの道。その入り口にもなにやら石柱が立っているのには気づいていた。そして「卍」にも。
石柱に刻まれていた文字は、
「中興了源上人遺跡」。下の方にも何か刻まれていたが、判然としなかった。
舗装はすぐ先で途切れ、
そこにも案内が立っていた。
内容はよりはっきりと、
「了源上人ご殉難の地(阿山町指定文化財)」と。
ぶっ倒れている看板には「ここは了源上人がおなくなりになった聖地です。ゴミなどはぜったいすてないようにしましょう。」との注意喚起も。
なるほど、とそちらへ足を向けた。
ほんの50mなら、ちょっと行ってみようか…というのもあったし、
この道のたたずまいもね~。
おそらくこれが旧々道なんだろうな、と思えたし、実際まさにこの場所が、本来の桜峠なんだと思う。
峠の切り通しを抜けるとすぐに、
左手に先ほど案内されていたものであろう史跡が見えた。
まず入口左側に立てられていた解説看板。内容は各自お読みいただくとして、
「了源上人遭難の地」。さっきは「殉難」と表記されていたな。
対して、入口右側にある旧道 旧看板には、
「了源上人遷化の地」。さらに違う~。
遷化とはいかにも難解な言葉、わたくしも知らなかったので調べてみると…
【遷化 せん‐げ】
《この世の教化を終え、他の世に教化を移すの意》高僧や隠者などが死ぬこと。入滅。
出典:小学館 デジタル大辞泉
つうことで、確かに亡くなったという事実だけを捉えれば、「遷化」で間違っていないと思う。対して、設置し直されたほうの「遭難」は、事件性を帯びた響きになる。そういう意図があったのかどうかは知らねど。
さらにさらに、一番新しそうな石碑には、
「了源上人ご殉難の地」。今度は「ご」がついて崇敬の念を出してきた。
「遭難」に対しての「殉難」だと、教えに殉じての死、すなわち仏教者として立派な亡くなり方だった、というニュアンスが込められてるのかな?
そんな表記の揺らぎが面白かったのだが、記事タイトルではどうしようか?としばし考えたものの、わたくしの好みにより「殉難の地」を採用した(笑)。
まあ、それはさておき、
何かのご縁でここに連れてこられた身、しばし手を合わせた。
旧々道はこの先ももちろん続いていたが、
この日はここまでとした。ちなみに1kmも歩かないうちに丸柱の集落に入るはずだ。
最後に、「了源上人殉難の地」全景を。
これまた非常に地味な史跡だが、手入れは実にしっかりとされていて、好ましかった。
そばにあったゴミ箱。
「護美箱」と書いたゴミ箱は絶滅したかと思っていたが(笑)。
よく見るとゴミ箱には、「佛光寺旧跡用」と書かれている。了源上人ゆかりの佛光寺の関係者が、今も掃除に来てたりするのだろうか?
ちなみに佛光寺は、京都市下京区にある、真宗佛光寺派の本山である。
観光寺院ではないので、広い境内はいつも落ち着いた雰囲気で気持ちがスッキリする、そんなお寺だ。
お寺のHPにも、もちろん了源上人は中興の祖として紹介されていた。冒頭の石柱も、おそらく佛光寺もしくは真宗門徒による建立と思われる。
…という、ちょっと異色な記事。適切なテーマ分けがなかったので「気になった社寺」を「気になった社寺や史跡など」に改めて、そこに入れることにする。
以上、廃道から高僧へと華麗なる展開で〆(笑)。