《 記事UP時は「玉橋梁(仮)」としていましたが、正式名称判明のため修正します 》
2011年10月8日、「秋の煉瓦祭り」にて訪れた。「煉瓦祭り」についての説明は、いたしません。ググっても、出てきませんので悪しからず(笑)。
場所はコチラ。
ごらんのように、国道365号線の直下にある暗渠が今回ご紹介するブツ。ビジュアル的にはあっさりスルーして当然の物件だが、しかしてその内部をのぞきこむと、
ひょおおおー
煉瓦アーーチ!!
ここで注目しておいてほしいのが、側壁の切石積み。煉瓦のヴォールトが始まった時点では5段確認できるが、すぐに最下部の段は隠れて4段しか見えなくなっている。そして奥に行くに従って、低くなっているように見える。はてさて?
では、進んでみよう。
クラックが気にはなるが、見事なもんだ。してもまあ、ちっさいアーチですなあ~。
後ろからのおろろんさん強力ライトでよく見えるわ~。前方をゆくのはピカさん。
さー、
盛り上がってきたよー!
この時点で、見えてる側壁は2段。
そして最終的には、
いちだーん。
そして下は激流(大げさ)。
いや~まいったわ~。
どんなんやったかと言うと~
よとと隊長撮影。無断拝借したけど、被写体わたくしなので、ご容赦を~(汗)
オレンジ色の馬鹿野郎は置いといて、どうですか、反対側とは対照的な、建設時の息吹を伝えるポータルと苔むした石垣の質感!素晴らしいですよね~!それと…言わずもがなだが、明らかに土砂の堆積により絶妙に狭くなったこの穴。
いや~この低さは、自分史上同率1位相当かも。
隊長との比較をご覧ください。
アカンやつですわ、コレ(爆)。
当然またコレに潜りこんで戻るわけで、
ヒイイイイィィ
こうして見ると、相当埋まってしまったのが分かる。
関ヶ原~長浜にかけてのR365は、実はかつての初代・東海道本線(新橋~長浜)の廃線跡をかなり忠実にトレースしている。
この区間は1884(明治17)年に敷設され、1899(明治32)年には現在の柏原経由ルートの完成により早くも廃線となった。なんともはかなく、かつ廃止後からでさえ114年も経過(!)した、非常に歴史ある廃線跡なのである。
よって、通常明治期の鉄道下で見られるような煉瓦製橋梁・暗渠が、こうして人知れず国道下に現存しているというわけ。
中でもここは、用がなきゃ踏みこまないような集落の中の狭小路を抜けた先のどん詰まり近くにあるため、そのつもりで行かないとまず見つけられない立地。4人の変態(笑)の熱意で発見いたしました~。
以上、完結。