2017年1月4日。年頭の徘徊において最初に訪れた物件をご紹介…いや、ご報告。
そもそもこの物件、昨年9月に敢行したシバキ倒しツアーにおいて、かすがさん(現・ハルニチさん)から教えていただいた物件。「大石に未成橋がある」と。我が家からも近場なんだけども、恥ずかしながら全然知らなかった。
当日最後に立ち寄ったけど、時刻は19時。さすがに真っ暗でよくわからなかったので、「また明るい時間にチェックして報告します」ということになっていたもの。遅くなりましたが、ご報告。
というわけで、東より接近。
市道の突き当たりは丁字路になっているが、明らかに存在する「その先」。ご丁寧に街灯まで立っている。
あれこそが、ハルニチさんに教えていただいた、未成橋。
接近して見れば、
うむ、紛うことなき橋!
なんとなくは9月に来た時にわかってはいたけど、正確には未供用橋というべきか。
それにしても、この本気度の高い封鎖は特筆モノだ。手前のガードレールはまだしも、フェンスに至ってはガッツリと作られたコンクリ土台の上に設置されている。
まるで、もう金輪際、この橋が解放されることはない!と宣告しているかのよう。
そのフェンスに掲示されているのがこれ。
赤々とした「立入禁止」の文字。
にもかかわらず、フェンスとフェンスの間には、さりげなく人ひとりが通れる程度の隙間があけてある。
コレは、建前上立入禁止とし、歩行者が使う分には自己責任で通れよ、の意であると解釈するのが正しい(←個人の意見です・笑)。
はい、自己責任で。
うわ~…。
この断絶感。これこそ未成(未供用)物件の醍醐味。完全にブッタギレ。
これより先に、道は無し。
廃物件にはないこの寂寥感は、どう表現したらいいだろうか…。これはキテる。
振り返り。
1枚目写真の逆アングルになる。
一目瞭然で、こっちに直進してくるはずだった線形がわかる。
現在、その突き当たりは
こうなっているわけで。
この隙間。やはり非公式な勝手道としての使用を黙認されている状況か?
隙間を抜けて…
この「未供用感」を堪能。
サイドより。
まあ、橋自体はさほど面白いものではないけれども。
可能な限り全体をくまなく探してみたけど、残念ながら橋名板のたぐいは一切発見できなかった。
ちなみに、川の名前は信楽川。ここから500mほど下流で、瀬田川に流れ込む。
渡った先からの振り返り。
断絶した道路の先は、シングルトラックのあぜ道に転落。
このダイナミズムが、趣味者的にはたまりませんな~。
もっと進んだところから。
茶色く立ち枯れたマント群落の帯が、まさに道路敷きとなるはずの部分に他ならない。
ここらまでは用地取得ができているということだろうが、
これはさらに先の道路から望んだ景。
左側の細道が橋からつながっているあぜ道。こうして見ると、用地取得できているのは橋から数十mというところか。2枚上の写真から段階的に遠ざかっているだけなので、橋の位置はおわかりになるかと。
この橋と道のことを軽く調べてみたけど、よくわからなかった。なのであくまで推測だが、もしかすると国道422号のバイパスとして構想されていたのかもしれない。
現在もこの大石東地内のR422には狭小な区間が存在し、ボトルネックとなっている状況。これを解消すべく、この道の延長線上にある鹿跳橋(R422が瀬田川を渡る橋)へと結ぶ計画だったのではないか、と。
真実は不明だが、もしそうだったとしたら、すでにその計画は確実になくなっている。なぜならば、現在別ルートにて、この狭小区間をバイパスするルートがまさに建設中だからである。
《参考PDF》↓
関津トンネルと仮称・瀬田川橋をもって軽やかになめらかに石山方面へとつながるこのルートに比べて、この未成道が通ろうとしていたであろうルートはいかにも貧弱…というか、前時代的な印象を受ける。
前半で書いたように、
金輪際この道ができることはない!
のだろうな、たぶん・・・。
…という感じでございましたよ、ハルニチさん。
教えていただき、ありがとうございました!
以上、完結。