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『  最後の仕事 』

 

第八章 川沿いの撮影

 

川沿いでは、三人連れがこちらへ歩いてきた。三村が手を上げ、山科が軽く頭を下げる。森川はモニターから目を離さず、通り過ぎるまで待った。昔なら「もう一回」が先に出ていたかもしれない。今は、通り過ぎる人の背中まで画面の中で消えるのを待てた。

 

モモちゃんが歩き出す。着物の青が、川面の白い反射を一度受けてから落ち着いた色へ戻る。仲谷のカメラがゆっくりついていく。森川は画面の端に入った旅館の屋根を見て、そこで初めて手を上げる。

 

川沿いの撮影は、予定より少し時間がかかる。

 

川の音が大きく、風もある。

 

仲谷はカメラの位置を決めた。

 

森川が画を確認する。

 

モモちゃんが歩く。

 

「止めよう」

 

録画が止まる。

 

「何か?」

 

「背景の抜けがちょっとボケてて、ええ感じや。ただ、歩き出す位置をもう少し後ろにしたい」

 

モモちゃんが戻る。

 

三村は川沿いへ目を配る。人の流れが切れる瞬間を待ち、撮影の邪魔にならない時間を測っている。

 

山科は反対側へ目を向ける。こちらから来る人の流れまで見ておけば、モモちゃんを歩かせる時に止めずに済む。

 

「二分ぐらい待てば空きます」

 

森川は、二分なら待つことにした。

 

誰も焦らない。

 

待つことも撮影の一部だ。

 

人が通り過ぎる。

 

自転車が通る。

 

そのあと、川沿いが静かになる。

 

モモちゃんが歩き出すと着物の裾が揺れ、仲谷はその動きを追って録画を続けた。森川はモニターから目を離さない。

 

黒田はハレパネを持つ。川面から返る光をもう少しだけ拾うため、その位置を探す。

 

川面に反射した光が、モモちゃんの横顔へ返っている。

 

森川は手を上げた。

 

モモちゃんが旅館へ近づく。仲谷は歩きの流れを入口へつなげるよう、カメラをわずかに振った。旅館が画面に入る。

 

「止め」

 

録画が止まる。

 

仲谷がモニターを見る。

 

三村は香盤表を確かめた。次の動きが頭の中ですでに組み上がっている。

 

「その前に一人を撮る」

 

機材を大きく動かす必要はない。

 

香盤表を変えたことで、川から旅館前への移動がそのまま次の撮影につながる。

 

黒田はハレパネを置く。光が強くなりすぎない場所を選び、画の中から余計な白さを引いた。

 

仲谷がカメラを調整する。

 

森川は立ち位置を見る。二人の距離が近すぎれば、会話より先に画が窮屈になる。

 

モモちゃんが立ち位置を決めると、その横へ主人が入った。

 

「ご主人、もう少しモモちゃん側へ」

 

仲谷はファインダー越しに画を見る。人物だけでなく、背後の川まで一つの画として収まる位置を探す。

 

黒田は光を見る。雲が動くたびに明るさが変わるので、今の光が残っているうちに決めたかった。

 

「回そう」

 

録画が始まり、主人が旅館の説明をする。その声に川の音が重なった。

 

森川は音を確認しながら、数秒待った。

 

「止め」

 

仲谷が録画を止める。

 

「いいです」

 

「昔の仕事みたいですな」

 

そのとき、主人の表情が少し嬉しそうだった。

 

旅館のPRを作る。

 

午前の撮影が始まると、思った以上に小さな問題が出た。

 

川の音だ。

 

画としては美しい。しかし、モデルさんが歩く場面で風が出ると、水音と葉の擦れる音が重なって声が聞き取りにくくなる。

 

仲谷がイヤホンを外した。

 

「森川さん、ここ、声は使わん方がええですね」

 

「画だけ取って、説明は後でナレーションにしましょう」

 

森川は川へ目をやった。話し声が遠のくように、流れる水へ意識を移す。

 

「現場で全部しゃべらせようとするから難しくなるんや」

 

「黒ちゃん、今日はええこと言うな」

 

モモちゃんが立つ。次のカットへ移る合図を待つように、着物の裾を整える。

 

「昔もそう言ってました」

 

「昔はもっと高い靴やったけどな」

 

「今日は着物です」

 

「回そう」

 

録画が始まる。

 

モモちゃんは足元を見ずに川沿いを歩いた。着物の裾だけが小さく揺れ、その動きに合わせて仲谷がカメラをゆっくり送る。

 

川の水面が画面の端に残り、旅館の屋根が少しずつ近づいてくる。

 

森川はモニターを見ていた。

 

録画が続く。

 

モモちゃんが旅館の前へ入る。

 

「止め」

 

仲谷が録画を止める。

 

「音が悪いなら画を捨てる、とは限らん」

 

昼前、スタッフは座敷で短い休憩を取った。

 

三村が湯飲みを持ちながら言った。

 

「黒さん、昔の現場で一番困ったことって何です?」

 

「予算」

 

即答だ。

 

「予算」

 

「予算」

 

黒田の口元が少し緩んだ。けれど、すぐに真顔へ戻る。

 

「金がない仕事は、金がある仕事より知恵が要る」

 

仲谷が横から言った。

 

「黒ちゃん、昔からそれで何とかしてましたね」

 

「俺はカメラを何とかした」

 

「俺は光を何とかした」

 

三村が二人を見た。

 

「じゃあ森川さんは?」

 

「竹森さんは?」

 

黒田が即答した。

 

「金を何とかした」

 

「プロデューサーは悪者ぐらいでちょうどええんや」

 

モモちゃんが笑いながらお茶を飲んだ。

 

「でも、竹森さんが仕事取ってきたから、私らが食えたんやろ」

 

竹森は一瞬だけ箸を止めた。

 

それ以上は言わない。

 

午後、座敷の料理カットで、小さな事故が起きる。

 

主人が運んできた鍋の蓋を開けた瞬間、湯気が一気に上がる。

 

画としては美しい。

 

しかし、仲谷のレンズに薄く湯気がかかる。

 

「止め」

 

仲谷が録画を止める。

 

「レンズ曇った」

 

黒田が布を持ってくる。

 

「急いで拭くな。温度差でまた曇る」

 

仲谷は頷くだけにした。今は、それ以上を言わせる必要がない。

 

森川は鍋を見た。

 

三村は香盤表を開いた。終わったカットの余韻を切り替えるように、次の段取りへ目を走らせる。

 

「時間、まだあります」

 

誰も焦らない。

 

湯気が落ち着く。

 

仲谷がレンズを確認する。

 

「いけます」

 

「回そう」

 

鍋の蓋が開くと白い湯気が立ち、黒田は反射板をわずかに動かした。湯気の向こうに料理が見える。

 

森川はモニターを見た。

 

数秒後、

 

「止め」

 

仲谷が録画を止める。

 

「料理より、皆さんの方が真剣ですな」

 

「料理を撮るのも仕事ですから」

 

主人は嬉しそうにうなずいた。

 

夕方近く、仲谷が借りたカメラの望遠レンズを外した。

 

仲谷はレンズをケースへ戻した。

 

「でも、ええカメラでした」

 

仲谷はカメラを渡した。

 

「まず、好きなもん撮ったらええです」

 

主人は川を撮った。

 

ファインダーをのぞく。

 

その横で森川は何も言わずに川を見ていた。

 

一日の終わりが近づいている。

 

機材を片づける音が、朝より小さく聞こえる。

 

疲れは隠せない。足も腰も重い。それでも、誰も先に帰ろうとはしなかった。

 

三村がケーブルを巻く横で、山科は残った機材を確認する。黒田はハレパネを畳み、仲谷はデータを確かめ、森川は最後のカットを見直していた。

 

その一連の動きは、誰にも指示されずに進んだ。森川は最後の映像を止めた。

 

仲谷は一度だけ頷いた。続きは急がなくていい、と受け取った。

 

「照明がええからや」

 

「カメラがええからや」

 

「二人とも自分の仕事しか褒めへんな」

 

森川はその言葉を聞いて、わずかに口元を緩めた。